「世界の猫を喜ばす」会社は、なぜ日本中の嫌われ者となったのか…いなば食品の炎上が止まらない根本原因

2024年4月24日(水)9時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/nature picture

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食品メーカー「いなば食品」で新入社員が相次いで入社辞退したことを『週刊文春』が報じ、注目を集めている。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「今回の問題は、いなば食品の関係者だけでなく、多くの若者に『明日はわが身』という切迫感を抱かせたのではないか。だからこそ、『炎上』も『密告』も終わりが見えないのだろう」という——。
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■「CIAOちゅ〜る」いなば食品は200年の歴史


「いなば食品」の炎上が止まらない。


「週刊文春電子版」の報道をきっかけに、次から次へと悪評がネット上に拡散している。


2016年には300億円だった年商が8年で1700億円にまで拡大したにもかかわらず、今回の騒動で、イメージの悪化を招いた。


ペットフードや、缶詰食品など、いなば食品は消費者に近い。耳に残るCMソング(「ちゅ〜る、ちゅ〜る、CIAOちゅ〜る」)によって、ソフトな印象を与える。今回のニュースが起きるまで、同社が創業1805年で200年以上の歴史を持つとも、本社が静岡県であるとも、多くの人は知らなかったのではないか。


「週刊文春電子版」がスクープした、同社の「由比のシェアハウス」の写真からの衝撃は、あらためて強調するまでもないだろう。ボロボロの古民家の写真は、不潔そのものだった。文春に「女帝」と呼ばれる社長夫人に加えて、「由比のボロ家報道について」というタイトルのプレスリリース(現在はタイトル、内容ともに変更されている)が「怪文書」のようだと話題になった。良いイメージは吹き飛び、悪徳企業の権化のような扱いを受けている。


■「炎上」が止まらない根本原因


社長だけではなく「女帝」がいかに悪辣か、そんな声や評判も、止まるところを知らない。創業家(稲葉家)が延々と支配するオーナー企業ならではの歪さ、「広告」に頼るばかりで「広報」をおざなりにしてきたツケ、といった、経営面からの失点は、いくらでも挙げられよう。


ただ、だからといって、同社を袋叩きにするだけで、いいのだろうか。


今回のニュースが、同社に入社予定だった新入社員をめぐるものだったからである。同社のみの問題ではなく、他の多くの若者にとって他人事ではない、と感じられているのではないか。だから、ここまで炎上が続いているのではないか。


ヒントは、時を同じくしてNHKが報じた「退職代行」をめぐるニュースにある。


■「退職代行」がXのトレンドワードに


「退職代行」とは、「退職したい社員に代わって退職の手続きを進めてくれる業者」を指し、ニーズが高まり、業者の数は増えているという。


厚生労働省の調査によれば、2020年3月に卒業して就職した新入社員のうち、高卒では37.0%が、大卒では32.3%が、3年以内に離職している。なるほど低いとは言えない水準と言えよう。大卒者の3割が3年以内に辞める傾向は、2010年から続いている


人手不足のなかで、次を見つけやすいから退職のハードルが低くなっているのであろう。面倒な退職手続きは、代行会社に任せてしまえばよい、そんな感覚が、コスパ・タイパを重視する最近の気質に合っているのだろう。


実際、就職活動も、できるだけ早く決めたい、そんな思いが強まっているように見える。インターンの早期化とは、つまりは、青田買いの横行であり、採用する企業も、される学生も、どちらもともに、最小限の労力で、大きなリターンを狙おうとしている。


■「大卒の30%が3年で辞める」傾向は30年前から


企業も学生も早合点するのだから、ミスマッチが横行し、早期退職者が増える。そう解釈すれば、昨今の「退職代行」の流行は、ごく自然に見える。


しかし、図表1を見ればわかるように、大卒者の3割が3年で辞める傾向が始まったのは1995年であり、30年近い。就職氷河期であろうとなかろうと、あるいは、景気が良かろうと悪かろうと、今の50代前半から下の世代に共通している。入社から間もない離職は、決して最近のトレンドではない。


厚生労働省「新規学卒就職者の離職状況」を基にプレジデントオンライン編集部作成

人手不足ではなかった時代から始まっているどころか、新卒者の就職が厳しかったころにも同じだった。より良い労働条件を求める、それは、どんな時代の、誰にでも切実な望みだからである。ブラックだのホワイトだのという言葉がなかった頃から、いつも人々は、少しでも恵まれた環境を目指してきた。アルバイトであれ、正規雇用であれ、変わらない。


なぜ今、「退職代行」がトレンドになり、それが、いなば食品をめぐる炎上につながるのだろうか。ここにこそ、昨今の労働をめぐる価値観が現れている。


■「やりがいの搾取」を避けようとする防衛意識


あなたも私も、強いられた労働は避けたい。無理やり好きでもない仕事をさせられたくはない。逆に、できるだけ自分のしたい仕事に就きたいし、続けたい。可能性を求めて模索し、転職する。


この原稿を書いている私自身、6回の転職を重ねているのは、そうした試行錯誤の賜物に他ならない。


とはいえ、望み通りの仕事や職種を、転職すれば得られるのか、と言えば、そうではない。私は7つ目の仕事をしているし、テレビCMに転職サイトが多く見られるように、理想郷にたどりつける人は、ほぼいない。


就職難の時期に勝ち得た正規雇用にせよ、人手不足の最中でもらったポストにせよ、どちらに就いたとしても、やりがいを出しに働かされるかもしれない。少し前の流行語=「やりがいの搾取」のように、望んだ仕事であるがゆえに、低賃金・長時間労働を余儀なくされるケースも少なくない。


昨今の早期離職、とりわけ退職代行の流行は、こうした、やりがいの搾取を何としても避けようとする、防衛意識が働いているのではないか。転職活動へのコストをかけてでもなお、自分が望まない仕事をするのは絶対に嫌だ、そんな危機管理の末に、離職率が高まっているのではないか。


いなば食品(の労働環境)への関心が長く続く要因は、ここにある。明日はわが身、と、若年層、とりわけ新卒者が切迫感を抱くからこそ、炎上も密告も終わりを見せないのではないか。


■「損をしたくない」現代のコスト感覚


いなば食品は、オーナー社長と、その配偶者の暴走が招いた、「地方企業の病理」なのかもしれない。緊張感を欠いた、お山の大将が増長した悲劇として、関係者には同情を禁じ得ないとはいえ、その程度の事例として、やり過ごすべきなのかもしれない。


写真=時事通信フォト
清水庵原球場の名称が「ちゅ〜るスタジアム清水」に決まったことを発表する、命名権を取得したいなば食品の稲葉敦央社長(中央)ら=2024年1月18日、静岡市 - 写真=時事通信フォト

ただし、昨今の、というよりも、この30年ほどに及ぶ新卒者のトレンドを見るにつけ、単なる、いっときの不祥事には見えない。日本で働く人、とりわけ、社会人として働き始める多くの人たちに通底する課題が浮き彫りになっている、と解釈すべきではないか。


その課題とは、労働の意義であり、働き甲斐、という、古くて新しいテーマである。何のために働くのか。どうしたらモチベーションを高められるのか。古今東西にわたって、多くの人たちが頭を悩ませ続ける課題を、いなば食品をめぐる炎上は、つきつけている。


そこに現代の特徴が加わる。損をしたくない、バカを見るのを嫌う、そういったコスト感覚である。


せっかく就職する、それも、市場価値の高い新卒で職に就く以上、できる限り高い値段で、自分を売りたい。と同時に、一社に限られない汎用性の高い=市場価値を持つスキルを高めたい。そればかりか、プライベートも充実させたい。残業はそこそこにとどめ、会社の外での交流を活発にさせながら、いつ会社が傾いても生きていけるように能力を上げたい。


虫が良いとも利己主義とも言えるものの、競争を強いられてきた(と思い込んでいる)若年層、いや、50代以下の働く人たちにとって、これ以外の労働観を持つのは、難しいのではないか。


■いなば食品の炎上から得られる「教訓」


おそらく、働くとは、良くも悪くも、その程度のものなのだろう。


我慢の対価の場合もあれば、反対に、能力以上の見返りを得られる時もある。上司や同僚、部下、経済情勢といった、自分(だけ)ではどうにもならない要因によって左右される。能力があるからといって評価されるとは限らないし、適性がなくても優遇されるかもしれない。


すべて運が支配する、とまでは言わないものの、いつも隣の芝生は青いし、青い鳥を求めたくなるが、それでも、理想の職場・職業には、なかなかたどりつけない。不確実な世界と、さまざまなしがらみのなかで、ほとんどの場合は妥協して、何かの仕事をしてお金を得る以外に方策はない。


だからこそ、いなば食品の劣悪とされる労働環境、それも、新入社員を受け入れる様子に関心が集まったのである。希望に胸を膨らませて入社した若い人たちには、せめて、快適な労働環境を与えてほしい。そんな願いが、多くの世代から寄せられたから、いなば食品への冷たい視線は収まらない。


もちろん、同社には多くの瑕疵がある。会社を創業家の所有物と勘違いし、働く人たちを家来と思っているかのような扱いは糾されなければならない。いくら言い訳を重ねても、その端から、稲葉家が、これまで労働者をどう扱ってきたのかが、漏れ伝わってくるからである。


ただ、それ以上に、私たちにとって、働くとは何かを考えさせてくれた意義は大きい。会社は利潤を追い求めるしかない以上、私たち労働者が、それとどう付き合うのかは、極めて利己的な選択であって良いし、あるべきではないか。


そんな教訓を与えてくれた点で、いなば食品は、同社のキャッチフレーズ「世界の猫を喜ばす」というよりも、「世界の人に喜びを考えさせる」役割を果たしたと言えるのかもしれない。


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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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