授業時間を含めて1日たった3.5時間しか勉強しない…小中学生より短い大学生の勉強時間が示す日本のヤバさ

2024年5月14日(火)7時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tadamichi

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日本の受験制度が社会におよぼす実害はなにか。感染症医の岩田健太郎さんは「理系だの文系だのという不要な区別が、若者の学びを歪ませ知性を痩せさせていく」という——。

■受験制度が特に苛烈な韓国と日本


なぜ、日本でだけ(あるいは日本で尖鋭的に)「理系」「文系」の区別をしたがるのか。


私はこの最大の遠因は受験制度にあると思っている。


世界的に見て、受験制度が特に苛烈で、かつ公平性にこだわるのが韓国と日本である。他国では大学入学のための受験にここまで学生が血道を上げることはない。学生選抜の方法も多様であり、一発試験のウエイトは相対的に低い。学生選抜の方法が多様であるのは、そもそも「大学入学」が学生の目標ではないからだ。


本来、大学入学は手段であり、目的ではないはずだ。


大学入学後に行う学問こそが、学生の行いたい目標であるべきだ。だから、アメリカなどでは学部での勉強では飽き足らず、大学院に進学する者も増えている。まあ、アメリカは実利主義国家なので、大学院での成果もよい就職先とか、よりよい収入という副産物を目指している場合も少なくないのだけれど(欧州の学生に比較して。私見である)。


■バーン・アウトして勉強しない大学生


対して、日本の大学生は海外の大学生に比べて勉強しない。どのくらい勉強しないかについては、拙著『医学部に行きたいあなた、医学生のあなた、そしてその親が読むべき勉強の方法』(中外医学社)をご参照いただきたい。


例えば、東京大学「大学経営・政策研究センター(CRUMP)」の報告によると、日本の大学生の学習時間は授業も含めて1日あたり3.5時間しかない。これは小学生や中学生のときよりも短い。週あたりの「授業に関連する学習時間」もアメリカよりずっと短く、多くは週5時間以下で、まったく勉強しない学生も1割近くいる。アメリカの学生の1割近くが週26時間以上勉強しているのとは大きな違いだ。日本の場合、小学校、中学校、高校の学習時間は割と長いのに、大学生になるとガクッと学習時間が落ちるのが特徴だ。


日本の大学生が海外の学生に比べて勉強しないのは、高校生までに勉強しすぎて疲れてしまっている、場合によってはバーン・アウトしてしまっているのが原因の一つだと考えられる。これは実際、神戸大学医学部の学生を対象として私が行った、小グループディスカッションの質的研究でも示されていた。医学部に入った途端、勉強しなくなるのだ。


写真=iStock.com/tadamichi
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■「理系」「文系」の区別が学びを歪ませた


日本の若者は「受験における成功」を過大に重要視する。


成功のための合理的な戦略は、効率化だ。受験科目を少なく抑えれば、相対的に短時間で高得点を期待できる。多数の科目を受験する場合は、その分勉強量が多くなってしまう。


「理系」「文系」の区別は、この効率化に親和性が高い。片方は社会科を、もう片方は理科を一切勉強しなくてもよい。「受験に出ない」保健体育などは言うまでもない。こうして、日本の若者の知性は非常に歪んだ、一面的なものに偏ってしまう。


写真=iStock.com/Seiya Tabuchi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Seiya Tabuchi

例えば、理科を学ぶにしても、科学史をちゃんと学んでいるのといないのとでは大きく理解が違う。過去から学問がどのように進化、発展してきたのかを知らずに「今、ここ」だけを理解しているのでは、学びが平坦なのだ。


その科学史の勉強も、その歴史が成立してきたバックグラウンドが分からなければ理解は不十分だ。要するに、理科をしっかり学ぼうと思えば、社会科もしっかり学ばねばならない。逆もまた同様だ。理科の理解なくして、しっかりとした社会科の学びはない。


■省エネ化で痩せていく知性…


「学び」とは、人間が安全に生き延びていくための手段でもある。


だから、私は学校教育に「健康教育」「金銭の教育」「安全の教育」が必要だと考えている。多くの人が知識の欠如から健康を損ない、経済的に困窮し、危険な生活を送っているからだ。


しかし、こういう授業は学校で行われることはない。「保健体育」は受験に出ないから、教わる方もやる気が出ない。その中で行われる「性教育」も授業が1コマ、あるかないか。要するに「やったふり」をしているだけである。


大学受験や、そこから遡及して派生した高校受験、中学受験、小学受験、幼稚園お受験……に合格することが「目的化」することで、受験科目の省エネ化は必然だ。受験を目的ではなく、あくまでも手段として捉えることができなければ、日本の若者の知性はどんどん痩せていくと私は思う。


少子化とグローバル化で、受験の仕組みは激変が必至である。が、当の両親たちがその変化についていっていない。意識のアップデートができていないのだ。もう少し時間がたてば、「受験勉強」の相対的な重要性が目減りして、「手段としての受験」が定着するかもしれない(しないかもしれない)。受験の相対的軽視から、理系だの文系だのという、不要な歪みが解消される可能性がある。いや、それ以外に解消の可能性はない。


■専門細分化に対抗する「ジェネシャリスト」


さて、「文系」「理系」どちらかだけを学ぶだけでもしんどいのに、両方学ばなきゃいけないなんて、しんどすぎる。そういう意見もあるだろう。というか、そもそも専門化が進んだ現代社会で、そんなに広い範囲を勉強すること自体、意味がないのではないか。そういう意見もあるだろう。


そもそも、「分業」は生産性を上げるための合理的な手法である。アダム・スミスの時代から、我々は分業のメリットを十分理解している。専門細分化は必然で、「全部自分でやる」は悪手ではないか。


そのような疑念に対して私が出した回答が、「ジェネシャリスト」というコンセプトだ。


私は、2013年に「Generalist manifesto」という論文で、ジェネラリストとスペシャリストのハイブリッド、「ジェネシャリスト」という造語を作り、その概念を提唱した。これは、従来の「ジェネラリスト」と「スペシャリスト」という二分法を廃し、全ての医療者が(あるいは全ての「人」が)、ジェネシャリストになればいいじゃないか、という提案である。


■専門家でもあるジェネラリスト


同じ内容で2018年には単行本を出版した。『The GENECIALIST Manifesto ジェネシャリスト宣言』(中外医学社)、概要は以下の通りだ。


ジェネシャリストは、なにか特定の専門分野を持つ。その分野に関しては非常に詳しい。しかし、それ以外については無知というわけではない。必ずしも専門性は高くはないが、「ある程度の」知識は広範囲に持っている。


世の中の森羅万象を全て理解する博覧強記の人物はそうそういない。現代のように、インターネットで情報量そのものが爆発的に増大している世界では、そのような博覧強記さのメリットすら小さい。そのような人物像は、人の現実的な目標ではない。


しかし、ある一点において専門家として優れ、それ以外は「ジェネラリスト」としての知識や経験を持っている場合はどうだろう。これならば、そこそこの妥当性をもって達成できる目標なのではあるまいか。そこには「文系」「理系」の区別など、まったくもって不要となる。


写真=iStock.com/MicroStockHub
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■ジェネラリストvsスペシャリストの不毛性


ジェネシャリストのメリットは「達成可能性」だけではない。


まず、ジェネラリストvsスペシャリストという不毛な対立を回避することができる。「立場」に由来する、対立だ。


写真=iStock.com/Andrii Yalanskyi
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これは世界的に言えることだと思うが、医者の間では「ジェネラリスト」は「スペシャリスト」に低く見られる傾向にある。


分かりやすいのはアメリカだ。アメリカは良くも悪くも、「価値が高いものは、値段も高い」。日本の場合は、価値が高いと思われる職種でも薄給なことはよくあるわけだが、アメリカはそこのところは徹底して資本主義的だ。だから、各専門分野のサラリーを見れば、アメリカ社会がその専門分野に抱いている「価値」が分かる。


2023年のデータだと、医者の中での「ジェネラリスト」とみなされる内科医、家庭医、小児科医の平均収入は総じて低い。29あるカテゴリーのうち、内科医は24位、家庭医は27位、小児科医は28位で、最下位の29位は公衆衛生、予防医学の専門家だった。


■格差を覆すジェネシャリストの概念


逆に1位は形成外科で、年収は61万9千ドル、2位は整形外科で57万3千ドル、3位は循環器内科で50万7千ドルだった。


もっとも、28位の小児科医だって年収25万1千ドルであり、1ドル150円換算だと3千7百万円以上。日本であれば、十分な高給取りだ(アメリカのインフレ、日本のデフレ、そして円安の影響もあるけれども)。


しかし、論点はそこではない。アメリカでは小児科医の「価値」は形成外科医や整形外科医よりもずっと低く見られているのである。余談だが、私の属する「感染症」は26位で、一般内科医よりもさらに低い。アメリカでは(そして日本でも)感染症専門家の地位は低いのだ。


医者の世界を例に挙げたが、こうした職種格差はいずれの仕事にも見られるものだ。ジェネシャリストの概念は、そこに新たな景色を持ち込むだろう。「理系」「文系」を生んだ受験制度から派生した、社会の職業差別さえも覆すことができるだろう。


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岩田 健太郎(いわた・けんたろう)
神戸大学大学院医学研究科教授
1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。08年より神戸大学。著書に『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)、『コロナと生きる』『リスクを生きる』(共著/共に朝日新書)、『ワクチンを学び直す』(光文社新書)など多数。
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(神戸大学大学院医学研究科教授 岩田 健太郎)

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