こんな人には孤独な人生が待ち受ける…タイパ、コスパに腐心する「効率人間」が行きつく落とし穴
2025年5月21日(水)9時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/desifoto
※本稿は、森下彰大『戦略的暇 人生を変える「新しい休み方」』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
■技術がものを資源化する
ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーは、技術の本質は「潜むものを明らかにする(開匿)」にあると考えました。
たとえば、身の回りにある自然も、技術なくしてはそこから何も生まれません。山にある木を切り倒し、運搬し、それをさらに加工する技術があって、初めて山は人にとって「資源」になりえます。このハイデッガーの指摘を踏まえると、技術があれば非常に多くのものが開発の対象であり、資源になる可能性があるとわかります。ハイデッガーは人間が自然だけではなく自分自身をも開匿し、場合によっては搾取さえしうると警告していたのです。
写真=iStock.com/desifoto
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■時計時間の誕生
そして、人が人そのものを資源化するに至るうえで重要な役割を果たしたテクノロジーの一つが、「時計時間」です。2021年、米誌「ノエマ・マガジン」に大変興味深い論考が掲載されました。
ジャーナリストのジョー・ザデーが著した「時計の暴政」では、かつては天体の移動によって移り変わる自然時間に親しんでいた人間たちが、機械式時計の誕生をきっかけに、大きく生活様式を変えたと考察しています。
機械式時計が誕生したのは、およそ13世紀頃。修道士が祈りの正確な時刻を測るために発明した、と言われています。その後、時計は世俗化し、時の権威者は自らの定めた時間を「標準時」と定め、それに沿った生活を浸透させました。それに付随して、各地に根づいていた太陽時(地方時)や、自然の移り変わりをもとに時間、そして季節を割り出す方式は影を潜めていきました。
英国の鉄道時代初期、各地の鉄道会社は現地時間に即した異なる時刻をそれぞれ採用していました。しかし、鉄道網が広がるにつれて鉄道時刻の統一が急務となり、1840年にグレート・ウェスタン鉄道が世界で初めて標準時(GMT)を採用。他の鉄道会社も、これに続きました。標準時とは、特定の国・地域で用いられる標準時間のことで、この標準時が統一基準として用いやすいため輸送や通信の分野で多く採用され始めたのです。
1855年までには、英国のほぼすべての公共の時計はロンドンの時間、つまり標準時に設定されました。そして1880年、「時間に関する定義の法」が施行され、英国全土の法的な時間は標準時であると定められました。
標準時の導入によって鉄道の運行効率は大いに向上しましたが、その一方で、太陽が南中した(天体がちょうど真南に来た)時間を正午としていた各地の住民たちは標準時に適応しなければいけなくなり、生活のリズムが自然の流れと異なるものとなってしまいました。
■標準時への反発
米国でも鉄道網が整備され、標準時の採用が進みましたが、各地で反発を招きました。特にボストンでは、「我らの正午時間を守ろう」と抗議活動が起こったほど。ボストンの住民たちは従来の太陽時をもとにした正午の時刻が、標準時によって失われると危惧したのです。
オーストラリアの先住民アボリジニは、天体の動きや花木の開花時期、干潮から現在時刻を算出する極めて高度な計測を行っていました。しかし、入植した英国人たちは、この方法は自然的で野蛮かつ気まぐれだと断じ、入植者たちは彼らの時間をも支配しようとしました。
写真=iStock.com/chameleonseye
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■あなたは、あなたの時間で進めば良い
ここで重要なのは、時間によって労働が管理しやすくなり、生産性や対価の算出が容易になった点です。一定の労働時間に対して人間がどれくらいの生産性を上げられるかを考えたとき、私たちは人間を一種の資源として捉えているとも考えられます。記事には、次のように書かれています。
「時計時間」は資本主義の産物ではない。そして、その逆でもない。だが、科学や宗教が時間を同一に分割したことは、資本主義にとって好都合だった。資本家たちは時計時間を便利なインフラとして用い、人間の体と労働、商品を搾取し、金銭的価値に変えたのだ。
時計時間は私たちが生まれつき共有している時間でもなんでもなく、近代の発明品の一つにすぎません。そして、この発明品は時代折々の権力者にとって有利に使われてきた側面があります。
ですから、あまり時計時間にとらわれすぎるのではなく、自分の時間を測る物差しを必要に応じて持ち替えることも大事です。現代では「すぐに何かができるようになる」ことがもてはやされますが、それは時計時間の世界上での評価にすぎず、誰かよりも早く何かができなかったことで自分を責めたり、貶めたりしてしまうことに違和感を覚えます。
あなたは、あなたの時間で進めば良い。
あなたは、あなたをゆっくり待てば良い。
時計時間を便利に活用しつつも、時としてあなたを効率という尺度で測ろうとする時計の呪縛から逃れることで、生きることはもっと豊かになるでしょう。
■コスパとタイパの罠
最近、「コスパ(コスト・パフォーマンス)」「タイパ(タイム・パフォーマンス)」という言葉を耳にする機会が増えました。この二つの言葉は乱用されている印象があるので、本書における定義をはっきりさせておきましょう。
まず、コスパは支払った金額に対して得られる効果や満足度のことで、「費用対効果」とも呼ばれます。一方、タイパの基準は時間です。自分が投じた時間に対して、どれぐらい効果や満足度が得られるのかを指します。
いずれも、効果や満足度のためにかけるお金や時間は「少ないほうが好ましい」というのが両者に共通する傾向でしょう。少額の割にはお腹がいっぱいになる、少額の割には長持ちする、汎用性が高いというのが「コスパの良いもの」になるのです。
タイパは「時短」「隙間時間の活用」によって、可処分時間(自分が自由に使える時間)を増やすことが本来の意義です。例を挙げると、本の要約サービスやネタバレ系コンテンツ、動画の倍速視聴、手軽ですぐに調理できる冷凍食品などがあります。対面ではなくビデオ会議やテキストメッセージで済ませるコミュニケーションも、タイパの追求行為に当てはまります。
写真=iStock.com/Edwin Tan
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■タイパもコスパも固執しすぎると本末転倒に…
コスパ、タイパについては個人の信条もありますし、それらの追求そのものに喜びを感じる方もいらっしゃるので否定するつもりはありません。しかし、コスパやタイパに執着しすぎると短期的な目線になりがちだという点は指摘しておきます。
それぞれ、例を挙げながら考えてみましょう。
たとえば、「安くてお腹いっぱいになるもの」はコスパが良いわけですが、一時的な満腹感があっても、長い目で見れば健康に悪影響を及ぼしかねません。安いものを求めたあげく、自らの安全を脅かしてしまうのでは、本末転倒です。そもそも、食の楽しみが損なわれます。
続いて、タイパ。あまり意識していないかもしれませんが、SNSを使って誰かと連絡を取り合うのも、タイパを重視する行為です。待ち合わせの時間と場所を決めて、そこまで移動して直接会って話をするのは手間がかかるので、私たちはオンライン上の通話やチャットで意思疎通の行為を済ませているわけです。最近では、電話を使って話す機会も減ってきていますね。
しかし、オンライン上で自分が意図していることがうまく伝わらずトラブルになったり、相手の返事がないとやきもきしたり、相手と膝をつき合わせて会話できないがゆえに、信頼関係を築くのが難しいこともあります。時間をかけずに誰かと繫がれるSNSを使っているにも関わらず、結局、孤独感を覚えるのはまさにタイパに固執しすぎることで生まれる弊害だと言えるでしょう。
■手段が目的化してしまう
最近では勤め先で、一緒に働く人との飲み会や残業などを頑なに断り、自分の時間を優先したいと考える人たちが増えており、就職活動においてもプライベートの時間がしっかり確保できるかどうかは会社を選ぶうえで重要な判断基準となっているようです。
もちろん、プライベートの時間を守るのは大切ですし、それはこれまでの日本の企業があまりに軽視してきたことでもあるでしょう。ですが、たとえば会社の飲み会や会食などで出会いや発見があったり、そのときに築いた人脈が後のキャリアで活きる可能性もあります。何が役に立つのかは、そのときになってみないとわからない。コスパやタイパに腐心するのは、あとになって芽が出るかもしれない種まきを最初から放棄しているようにも映ります。
さらに、コスパやタイパの追求行為が本来の目的(その行為によって効果や満足度を得ること)を覆い隠してしまうこと。つまり、手段が目的化してしまうことも考えられます。
たとえば、仕事や早く終わらせてしまいたい日常生活の雑用については、コスパやタイパの定規を用いて、早く安く、効率的な目線で考えるのは大切なことです。しかし、仕事や雑用を「さっさと終わらせようとする」のは、その後の自由な時間を少しでも増やして、余暇を謳歌するためですよね。
しかし、最近では「倍速」という言葉があるように、余暇の時間に見る動画を「早送り」する人が増えているようです。僕としては俳優がセリフを発するまでの間や、表情やちょっとした動作による感情表現、作中の音楽などを存分に味わいたいので、それらをスキップしてしまう感覚にはどうにも馴染めないのですが、これらの行為の背景を考えるとタイパそのものが目的化しているのではないか、と考えてしまいます。
写真=iStock.com/porcorex
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■ムダなことだって楽しい
時計時間をベースとする資本主義社会では、効率(早く安く、多くを成し遂げられること)は絶対神のように扱われます。しかし、この資本主義における定規は私たちの余暇にまで適用されるべきものなのでしょうか。自由な時間、余暇においてまで効率は「善」なのでしょうか。
自由な時間、余暇とは仕事中では許されないような失敗や遅れが許される、というより、そもそも失敗という概念が余暇の世界にはないのです。「効率の良い趣味」なんてあるでしょうか? サーフィンだって、登山だって、楽器の演奏だって、推し活だって、別にやらなければムダにコストや時間、エネルギーを消費することはないのです。それでも、私たちはやらずにはいられない。
森下彰大『戦略的暇 人生を変える「新しい休み方」』(飛鳥新社)
なぜなら、ただやっているだけで楽しいから。これに尽きます。趣味やライフワークがなければ、人生は無色に等しいものになってしまうでしょう。
この社会に生きている以上、効率化マシンとして作動しなければならない部分も確かにあります。しかし余暇を過ごすときは効率化マシンとしてではなく、非効率を謳歌する生身の人でいられる。そんな時間が美しく、愛おしいのです。
逆説的ですが、私たちがコスパやタイパという尺度を使って効率化を図る最大の目的は、自由を味わうこと——非効率な時間を謳歌するためなのです。
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森下 彰大(もりした・しょうだい)
一般社団法人日本デジタルデトックス協会理事/講談社「クーリエ・ジャポン」編集者/Voicyパーソナリティ
1992年、岐阜県養老町生まれ。中京大学国際英語学科を卒業。在学中にアメリカの大学に1年間留学し、マーケティングと心理学を専攻。2019年にライティング・エージェント「ANCHOR」を立ち上げ、記事制作業を本格化。現在は「クーリエ・ジャポン」の編集者として、ウェルビーイングや企業文化の醸成を中心にリサーチ・取材・執筆活動を行う。日本デジタルデトックス協会では企業・教育機関向けの講義やデジタルデトックス(DD)体験イベントを提供する。米留学中にDDが今後の「新しい休み方」になると直感し、実践と研究を開始。その過程で、「今の私たちに足りていないのは、余白(一時休止)ではないか」と考えるようになり、戦略的に余白—暇を作り出すための方法を模索。多忙な現代社会の中で人生を変えるための「戦略的“暇”」を提唱している。2020年より日本初となるDDを専門的に学び実践する「デジタルデトックス・アドバイザー®︎養成講座」を開講。のべ100名以上の修了生を輩出している(2025年時点)。
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(一般社団法人日本デジタルデトックス協会理事/講談社「クーリエ・ジャポン」編集者/Voicyパーソナリティ 森下 彰大)