平均年収400万円ダウンから奮起したキーエンス社員、3年でV字回復できた勝因

2024年5月22日(水)5時45分 JBpress

 高収益と高賃金という一見相反するものを両立させるには、より多くの付加価値を生み出せる仕組みが欠かせない——。そう語るのは、キーエンス出身で、現在はカクシン代表取締役社長CEOを務める田尻望氏だ。前編に続き、書籍『高賃金化 会社の収益を最大化し、社員の給与をどう上げるか?』(クロスメディア・パブリッシング)を出版した同氏に、社員がより多くの価値を生むための報酬戦略や、業績改善を行う上での評価制度の活用法について、話を聞いた。(後編/全2回)

■【前編】高賃金企業はここが違う 「人手が足りない」と嘆く経営者に必要な発想の転換
■【後編】平均年収400万円ダウンから奮起したキーエンス社員、3年でV字回復できた勝因(今回)
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「時間チャージ」の概念が組織の生産性を高める

——前編では、著書『高賃金化』で解説している「全社業績連動型報酬」について聞きました。キーエンスでは、役職に応じて報酬が決まる制度は設けているのでしょうか。


田尻望氏(以下敬称略) 役職に近い概念として「クラス」と呼ばれる責任の区分けがあり、基本的な給与額はクラスごとに決められています。これは「クラス別評価制度」と呼ばれています。

 実績によってクラスが上がる仕組みになっており、クラスごとに「求められている責任と役割」が明確化されている点が特徴です。

 さらなるポイントは、ここに「時間チャージ」の概念が含まれており、クラス別に「1時間で生み出す付加価値の額(成果、付加価値)」が定められていることです。

 時間チャージの考え方を取り入れると、一人一人の行動や意思決定に変化が起こります。例えば、部長クラスの人が安易に若手の営業に同行することがなくなります。単に同行するだけでは、部長クラスの時間チャージを満たすような価値を生めないからです。

——クラスが高くなるほど、1時間でより大きな付加価値を生むことが求められるわけですね。

田尻 そうです。これは某飲食チェーンの店舗で目にした光景ですが、取締役がレジでの会計業務など、店舗のオペレーションを手伝っていました。新店舗の立ち上げや店舗立て直しを目的とした短期限定の取り組みであれば仕方ないかもしれません。

 しかし、人手不足を理由にアルバイトと同じ業務をしているのだとすれば、取締役の時間チャージを満たすことはできません。取締役クラスなのであれば、重要な意思決定のための時間を持つべきで、その時間が取れない状況が続けば、経営に対するネガティブな影響が生じます。

 クラス別評価制度に時間チャージの概念を加えることで、組織全体の付加価値生産性を高めることができます。そして、「全社業績連動型報酬」「クラス別評価」に続く3つ目の報酬制度が、健全な競争意識を生むために欠かせない「相対評価」です。


相対評価を導入しても「足の引っ張り合い」が起きない理由

——相対評価を導入することで過度に競争意識が高まり、チームワークや協調性が低下するケースもありますが、そうしたリスクは生じないのでしょうか。

田尻 相対評価の現場では各自が自分の評価を高めようと、どうしても足の引っ張り合いが起きるものです。しかし、相対評価に加えて、前述の「全社業績連動型報酬」を運用することで、そのデメリットを打ち消すことができます。

 結果として、キーエンスは社員一人一人が「周りを蹴落とすよりも、互いに助け合うほうがメリットは大きい」と判断する状況をつくることに成功していると思います。このように複数の報酬戦略を組み合わせることで、健全な競争心理を発生させつつ、各自が協力しながら同時に競い合う風土を生み出すことができるのです。

 もちろん、評価はクラス別に行われるため、新人と部長クラスの社員を同列に評価するようなことはしません。新人クラスは新人クラス同士、部長クラスは部長クラス同士で競い合い、クラスに応じた成果を追い求めるわけです。そして、業績を高めようと他部署の管理職同士でも情報共有が活発化するため、相対評価でも殺伐とした雰囲気にはなりません。

 このようにキーエンスでは3つの報酬制度が相互に機能させることで、高収益と高賃金の実現につながっていると思います。


リーマンショックから約3年で再起できた理由

——著書『高賃金化』では、キーエンスがリーマンショック後に給与の大幅ダウンを行った後、わずか数年で業績・社員の給与ともに回復した例を挙げています。短期間で業績を回復させた背景として、報酬制度はどのように機能していたのでしょうか。

田尻 私がキーエンスに入社した2008年、リーマンショックの影響で賞与額が下がり、平均年収は前年から約400万円減少しました。年収400万円の減少は月給20万円程度の減少を意味します。キーエンスでは業績の変動から数カ月で給与額への反映が行われるため、当時、社内は戦々恐々としていました。

 ここで「どうにかしなければ」と奮い立った社員は、日々努力と変化を心掛けるようになります。経営側が「営業利益の一定割合を全社員に分配する」という約束を守り続けてきたからこそ、社員は「給与が下がったのは自分たちの責任でもある」と捉え、打開策を考え、行動したのです。

 リーマンショックの後、キーエンスは海外に向けて新たな市場開拓を進めました。結果として海外シェアを大きく伸ばし、業績をV字回復させることに成功しています。経営者と社員が共に手を取り合い、高収益と高賃金に向かって行動したからこそ、こうした成果を得られたのだと思います。

 こうした業績改善は、新型コロナウイルス危機の際にも見られました。2019年から2021年にかけて売上高が5870億円から5381億円まで減少した後、2022年には7551億円、2023年は9224億円にまで急増しています。市場の変化に合わせて舵を切り、全社で素早く対応できたことも、評価制度や報酬制度がベースにあったからこそだと考えています。


経営者の多くが「意外と答えられない問い」

——キーエンスから得られる学びを生かし、より多くの付加価値を生み出し、高収益・高賃金を実現するためには、何から着手すべきでしょうか。

田尻 売り上げや組織の規模によって、取り組むべきことは変わってきます。例えば、売上高が数千億円規模を超える企業では、組織再編による抜本的な改革は避けられないでしょう。一方、売上高が1000億円に満たず、従業員数も数百人規模なのであれば、経営トップの初動が鍵となります。まずは、経営トップや役員の方々が「顧客は自社の何に価値を感じているのか」を適切に把握しているかどうか確認すべきです。

 例えば、「なぜ、顧客は自社を選んでいるのか」を経営層に問うと、自社の組織能力や信頼性、独自の取り組みについて力説されることがあります。ところが、「顧客が自社を選んだ理由を、実際に顧客に聞いたことがありますか」と尋ねると、ほとんどの場合「聞いていない」やアンケートを取っていると返されます。

 多くの経営者は、自社の強みを語ることはできても、顧客が商品を購入した本当の理由を理解していないものです。商品サービスの品質や機能よりも、実は「一番声を掛けやすかったから」「見積もりの提示が一番早かったから」「近かったから」といった理由で選ばれていることも少なくないのではないでしょうか。

「顧客の声を聞く」ためにすべきことはシンプルです。顧客に対して「何かお困りのことはありませんか」「今回なぜ買っていただけたのですか?」と聞くだけでいいのです。しかし、ほとんどの人は、この一言が言えません。「御用聞き営業」もできないのです。

「御用聞き営業」と表現すると否定的な意見を投げかけられそうですが、多くの日本企業のビジネスパーソンは御用聞きすらせず、お客さまからの問い合わせを待っているだけ、アンケートという表層的な情報で仮説を立てている状態ではないでしょうか。これでは付加価値を生むためのヒントを掴むこともできません。

 まずは、受け身の姿勢でただ待っているのではなく顧客の声をきちんと聞いてみることが大切です。そうすることで「購入する理由」「購入しない理由」を理解でき、商品企画や営業プロセスを適切に見直すことが可能になります。

 顧客の声を聞き、価値と価格を高め、利益を増やすことで賃金を上げる。この順番をきちんと守り、一気通貫で正しいサイクルをつくれば、日本企業の高収益と高賃金が実現できると信じています。

筆者:三上 佳大

JBpress

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