ジョージ・ハリスンのNOから一転、ビートルズ「最後の新曲」に…息子が語るAIによる継承
2025年1月25日(土)7時3分 読売新聞
日本ツアーを前に取材に応じるジョージ・ハリスン(右)とエリック・クラプトン(1991年、ロンドン郊外で)
音響・映像技術の目覚ましい発展を受け、英ロックバンド、ビートルズやメンバーの過去の作品が毎年のようにリミックス(再構築)されている。残された名作の数々を、いかにして後世に伝えていくべきか。ジョージ・ハリスン(2001年死去)の音楽遺産を引き継いだ息子のダーニ・ハリスンが取材に応じた。ビートルズが1990年代に発表した“新曲”や、ボブ・ディランやエリック・クラプトンも参加したライブ映像作品「コンサート・フォー・バングラデシュ」を、人工知能(AI)を使ってより鮮明にする構想も明らかにした。(文化部 鶴田裕介、通訳 丸山京子)
——ビートルズの「最後の新曲」として2023年に発表された「ナウ・アンド・ゼン」が、グラミー賞にノミネートされました。
ダーニ とても面白いことだと思います。私は「フリー・アズ・ア・バード」や「リアル・ラヴ」が本当に大好きで、大ファンでした。でも、「ナウ・アンド・ゼン」に関しては、実は父・ジョージはあまりファンではなかった。というのも、テープからボーカルとピアノだけを取り出すことができなかったから。
〈注 ジョン・レノンは1980年に銃撃されて死亡。90年代、ジョンが生前に残した弾き語り音源に、ビートルズの3人が歌や演奏を重ねて「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラヴ」として完成させた。この時、「ナウ・アンド・ゼン」も制作に着手したが、歌声とピアノの音を分離できず断念。ジョージも2001年に死去した。その後、AI技術の進化により、ジョンの歌声だけを取り出すことに成功。ポール・マッカートニーがベースやピアノ、リンゴ・スターがドラムスを重ねて録音、ジョージが1995年に録音したギターの音などを使い、完成させた〉
——ジョージは95年の録音時、「ナウ・アンド・ゼン」についてどう話していましたか。
ダーニ 3曲の中で一番窮屈というか、それ以上変えることができないような状態だったので、やりたいことができず、もういい、やめたと2曲だけになったんだと思います。それで「NO」というふうに父は言っていました。曲のクオリティーや明晰さで満足がいかなかったのでしょう。もし今の技術があれば、3曲ともやっていたと思います。
今回の「ナウ・アンド・ゼン」は、(映画監督の)ピーター・ジャクソンが開発したAIにより、デミックス(音を分離)という新たな手法で作られたものです。実は、「フリー・アズ・ア・バード」と「リアル・ラヴ」も、「ナウ・アンド・ゼン」と同じ技法を使って、これらを作った時代にはできなかった形でリミックスしたいと考えています。(現状の)「フリー・アズ・ア・バード」は、ボーカルに少しフェイザー(音にうねりを加える機器)がかかったようにきこえると思いますが、全く違う世界になるでしょう。
ついこの間、新たに、ボーカルとピアノが全部別々になった「フリー・アズ・ア・バード」を聴いたところなんです。(ジョンの息子の)ショーンとも話したんですが、全く違うものでした。ジョンも聴いていないわけですし、ジョージも聴いていない。その技術がなかったわけですから。もう、本当に驚きました。
——ジョージが73年に発表したソロ作「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」の50周年記念エディション(BMG、輸入盤のみ)が発売されました。制作時、ダーニさんは生まれていませんが、お父さんは家でこのレコードを流したり、作品について何か話したりしていましたか。
ダーニ 12弦ギターで(収録曲の)「ビー・ヒア・ナウ」のイントロをよくエクササイズ代わりに弾いていました。オープンチューニングの時は常にあのリフを弾いていたので、私もすごく好きでした。
——リミックス盤の狙いを教えてください。
ダーニ 親友であり、今までも何度も共同で作業している(エンジニアの)ポール・ヒックスがリミックスをしてくれました。24トラックのマスターテープに立ち戻り、少しEQ(音質調整)で変化を加える作業をしました。音を少しだけ広げるというか、オープンにさせようと。今はデジタルストリーミングの時代ですから、プレイリストに入れられ、再生された時、競争に耐えられるものが必要だと考えました。今回のミックスは、オリジナル以上のものになっていると思います。50年かけて聴いてきた分、細かいところまで調整できるわけです。父にはできなかったことがね。
——録音には、ビートルズのリンゴ、ジョンのソロ作「イマジン」などにも参加したベーシストのクラウス・フォアマンらが参加しました。テープに残されていた演奏や会話からわかったことは。
ダーニ 彼らは(ジョージのソロ作ではなく)バンドのアルバムと捉えて作っていました。最初は(ビートルズの『レット・イット・ビー』などを手がけた)フィル・スペクターがプロデューサーとして呼ばれていましたが、彼の精神状態があまり良くなかったので、すぐにクビになりました。他にも(キーボードの)ニッキー・ホプキンスや色々な人が参加して、バンドとしてテイクを重ね、自分たちの求めるものを作っていきました。なので、あまりおしゃべりなどはなく、何度も練習をし、レコーディングをしていました。
——世界中で戦争が勃発し、SNSで虚実入り乱れる混沌(こんとん)とした現代にこそ聴かれる音楽だと感じます。ジョージが作品を通して呼びかけるメッセージは何だと思いますか。
ダーニ 父は時代を先取りしていたと思います。この資本主義、物質社会の慌ただしさの中で、いかにきちんと自分を持ち続けるかということを、その頃から考えていたわけです。今でいうマインドフルネスでしょうか。人間には内面の部分と、外の世界があります。今の世の中はどうしても外の世界に人の目を向けさせようとするけれど、そうすることによって自分の内面が壊されてしまうことがある。そうされないために、両方が持つ、ある種、二律背反的な世界の中でどうしていくかということを、当時から言っていたんだと思います。
——余談ですが、このアルバムに収録された「ビー・ヒア・ナウ」は、最近再結成を表明したオアシスのアルバム名と同じです。リアム、ノエルのギャラガー兄弟から何か聞いていますか?
ダーニ 「ビー・ヒア・ナウ」に限ったことではないですよ。「ワンダーウォール」や、他にも……。彼らが父から影響を受けたものは色々ありますよね。実は私は若い頃、ギャラガー兄弟とはあまり折り合いがよくなかったんです。ただ、年月とともにだんだんよくなって、今はリアムとはサッカーをしたり、ノエルともいろんなイベントでしょっちゅう会い、すごく優しく接してくれたりします。彼らは父が大好きだったこと、1番大きな影響を受けているってことはもう間違いのない事実で、隠しようがないですよね。
——現在、ジョージのソロ作を発売するレコード会社がユニバーサルミュージックからBMGに移り、国内盤は販売されていない状態です。今後、ジョージの作品を後世に伝えていくための方針は。
ダーニ BMGとダークホース・レコード(ジョージが設立したレーベル)は新たなパートナーシップを結びました。私がレーベルヘッドで、今回の「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」が第1作となります。今までずっと、出版のカタログとマスター(音源)のカタログを一つにしたいとの思いがあり、それがかないました。父のレガシー(遺産)が全て一つの場所に存在するので、今後、アップデートしたものを継続的にリリースしていけると思います。
今、映画「コンサート・フォー・バングラデシュ」をリマスターする作業が行われています。ピーター・ジャクソンによるAIのアルゴリズムを使ってリストアの作業をしていくので、時間もお金もかかります。待っていてください。
<注 ジョージの呼びかけで71年に開かれたバングラデシュ難民救済コンサート。ビートルズは66年にライブ活動をやめたが、同コンサートでは「サムシング」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」などバンド時代の名曲を次々と披露した。映像作品は現在入手困難となっている>
できるだけ早く、日本で出したいと考えています。というのも、父にとって、日本はとても大切な国でした。だって、1974年の北米ツアーの後、ツアーをしたのは日本だけなんですから。それだけ思い入れがあった国ですので、必ずやり遂げます。
<注 91年、ジョージはクラプトンとともに日本だけで生前最後のツアーを行った>