寅次郎は今どこに? 妹・さくらは「ローマの町をほっつき歩いているかも」

2025年1月30日(木)20時0分 文春オンライン

〈 「この俺じゃ駄目かな」と振り向いた寅さんが…風吹ジュンが明かす『男はつらいよ』撮影秘話 〉から続く


 渥美清演じる車寅次郎は、柴又帝釈天門前の団子屋の倅だが、旅に明け暮れる風来坊。直情径行で迷惑事ばかり起こすが、困った人を捨ておけない。この男の破天荒な生き方になぜ惹かれるのだろうか。「男はつらいよ」シリーズ第1作公開から55年。


「お兄ちゃん、つらいことがあったらいつでも帰っておいでね」。寅さんを気遣い、その帰りを待つ妹さくら。倍賞千恵子さんがいま、寅さんに思うこと——。


◆ ◆ ◆


さくらの感覚が入り混じった不思議なデジャヴ


『男はつらいよ』公開から55年も経ったのですね。当時私は28歳。渥美さんが41歳で若くて血気盛んなときでした。さくらを演じてきましたが、自分の出ている作品を観るのは苦手だったんです。渥美さんや三崎千恵子さんたちが逝去された後は、最後まで観ると何か区切りがついてしまうのが嫌で、観なかった時期もありました。でも、長い年月が過ぎたのですね、最近では不意にテレビで『男はつらいよ』に出くわしても、一視聴者として観ることができるようになりました。



倍賞千恵子(ばいしょうちえこ)1941年、東京生まれ。松竹歌劇団(SKD)を経て、61年映画『斑女』でデビュー。映画、ドラマ出演作多数。81年『遙かなる山の呼び声』『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』で、2023年『PLAN 75』で、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。


 先だって、宮崎県の油津へ旅行に行ったときのことです。油津に向かうバスの車内のテレビで流れていたのが第45作『寅次郎の青春』でした。寅さん一行の車が故障して、パーキングエリアに停まる場面に差し掛かったところで、バスが停まった。ふと見ると、劇中と同じ場所だったんです。寅さんが渡った橋を渡り、あの喫茶店にも立ち寄りました。ここがお兄ちゃんがいたところか——。さくらの感覚が入り混じった不思議なデジャヴを感じました。


 私と渥美さんの共演を振り返ると、最初は井上和男監督の『水溜り』(1961年)でした。都心から離れた工場町に暮らす若い男女を描いた作中、私は川津祐介さんに恋される女工さんを演じましたが、まだ映画のお仕事を始めて間もない時期でしょう? 慣れないキャメラの前で無我夢中でしたから、実は渥美さんと共演していたことを忘れちゃってたんです。その後、彼と私がスリを演じた野村芳太郎監督『白昼堂々』(68年)で「ねえ、『水溜り』を覚えてる?」と訊かれて、ハッとしました。渥美さん扮する労務者に「ネエさん、三百円あげるからスカートまくりな」とひどいことを言われるシーンを思い出して(笑)。恥ずかしがる私を、監督やスタッフの皆さんがレフ板で隠して撮影してくださって。だから渥美さんとは、足掛け35年の共演歴になるんです。


第1作には長年愛された要素が詰まっていた


 第1作『男はつらいよ』。私のさくらも、渥美さんの寅次郎もこの一作限りだと思っていました。まだ若い寅次郎が、すごい勢いで駆け抜けた映画でしたからね。妹が勤める丸の内の職場へ押しかけたり、前田吟さん演じる博を叱ったり励ましたり、森川信さんのおいちゃんを交えての大喧嘩までやらかしたり、もう大忙し(笑)。現場で皆さんの演技が楽しくて、あれよあれよという間に撮影は終わっちゃったと感じていました。


 それが公開されるやスマッシュ・ヒットでまさかのシリーズ化が決定。渥美さんをはじめ私たち全員が予想外のことで驚きました。


 それからは盆暮れ正月、年2回の製作。しかも山田監督の『家族』(70年)、『故郷』(72年)や『幸福の黄色いハンカチ』(77年)などの作品にも参加してましたから、今月は長崎、そこから柴又へ帰って再来月は北海道、なんて生活が続きました。まるで旅に明け暮れる寅さんみたいでした。


 あの当時は多忙すぎて気が付きませんでしたけど、すでに第1作には長年愛された要素が詰まっていたんですネ。敗戦直後の貧苦のなかを労りあった腹違いの兄と妹。遠慮なく感情をぶつけ合う叔父と叔母。テキ屋稼業の風来坊の気ままさと渡世の辛さ。そして人を愛し、人の幸せを願うこころ……。世の中は高度経済成長、豊かさへ邁進する傍らで、私たちが忘れていくものを、喜劇で包んで優しく描いたことが、スクリーンの向こうへ届いたんだと思います。この忘れられゆく人情や風景を描く姿勢は最終作まで続きました。


 そして寅さんのキャラクターも鮮烈でした。渥美さんは旅の埃っぽさ、地面の匂いをまとい、啖呵売のキレや身のこなしが寅次郎そのもの。オッチョコチョイで恋した女性にはフラれるけれど、やっぱりカッコよくて観る人を惹きつける魅力がありますから。トレードマークのブルーのダボシャツ、キャメルの格子縞のジャケットに雪駄という出で立ちは、一見ダサいかもしれませんけど、渥美さんみたいに着こなすのは難しい。そうそう、この格好でイタリアのローマを闊歩した“寅さん”がいるんですよ。サッカー選手の三浦知良さん。大の寅さんファンだそうで、インスタグラムに写真が上がっています。トランクに腰掛ける佇まいは寅さんそっくり。着る人が着れば、寅次郎ルックはハイファッションなんです(笑)。


みんなに区切りをつけさせないのが、寅さんらしさ


 寅次郎という男性の魅力は、妹さくらの立場から言うと“立ち直りの早さ”と“人を愛することを忘れない”でしょう。惚れっぽくて、フラれても敢然とまた新たな恋に突き進む。寅さんはやがて老いを迎えても、愛を絶対に忘れなかった。


 そもそも旅暮らしを続けるのも体力がいるじゃないですか。さくらも若い頃はお兄ちゃんを心配して青森まで追いかけたりしていますが、親になり年を取り、だんだん柴又を動かないようになりましたもの。でも、お兄ちゃんはトランク一つぶら提げて年中日本を歩き回った。そして、あのトランクに詰まっていたのは、そう、“夢”だったんじゃないですかね。さくらの夢、博や満男、おいちゃんやおばちゃんの夢だったかもしれない。みんながどこかに置き忘れてしまう夢を、お兄ちゃんはずっと持っていてくれる。それが、この作品を観る人みんなの幸せだった気がします。


 お兄ちゃん、寅次郎の物語は渥美さんの急逝で途切れてしまいました。渥美さんに対する喪失感は大きかったですが、私はこれでよかったのかなと思えるようになりました。寅次郎の恋が実ったり、亡くなったりする結末は考えられない。みんなに区切りをつけさせないのが、寅さんらしさじゃないですか。——そうね、今回の旅は長いわね。カズさんと一緒にローマの町をほっつき歩いているかもね。どこかの旅の空の下、誰かと出逢ってるのが“お兄ちゃん”なんだと思います。


(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年1月2日・9日号)

文春オンライン

「撮影」をもっと詳しく

タグ

「撮影」のニュース

「撮影」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ