劇場アニメ『ベルサイユのばら』に似ているのは「インド映画」? 原作を知らなくても楽しめる理由

2025年1月31日(金)21時5分 All About

1月31日より公開中の『ベルサイユのばら』が、予備知識ゼロでも楽しめる理由や、インド映画を連想させる特徴などを解説しましょう。(画像出典:(C)池田理代子プロダクション/ベルサイユのばら製作委員会)

1月31日より『ベルサイユのばら』が劇場公開されています。原作漫画は、累計発行部数2000万部を突破し、テレビアニメや舞台版も大ヒットした有名作。今回のアニメ映画は、1972年の原作連載開始から50年以上の時を経ての新作となります。
本作は『ベルサイユのばら』をまったく知らなくても、老若男女が楽しめる作品であることを断言します。そして、まさかの「インド映画」を連想させる特徴もあったのです。その理由を解説しましょう。

「時代が追いついた」ともいえる、「男装の麗人」のオスカルの物語

『ベルサイユのばら』の舞台は18世紀後半のフランス。主要キャラクターを4人に絞るのであれば、伯爵家の令嬢ながら“息子”として育てられた「オスカル(沢城みゆき)」、愛らしい王妃「マリー・アントワネット(平野綾)」、オスカルの幼なじみで平民の「アンドレ(豊永利行)」、知的な伯爵「フェルゼン(加藤和樹)」です。それぞれの関係性が尊く思える一方で、戦争や貧困などの問題が巻き起こる時代に翻弄(ほんろう)される物語が大きな見どころとなっています。
特筆すべきは、やはり「男装の麗人」の先駆ともいえる、オスカルのキャラクター性です。聡明で判断力に優れた近衛連隊長かつ剣の達人で、自分の信じた道を疑わずに生きてきたからこそのクールさと、正義感が強いがあまり激情家な面も持ち合わせており、少しずつ内面にある弱さも分かっていく……という、とても愛おしい人物として映ります。
りりしさの中に複雑な感情を感じさせる沢城みゆきの声と演技も素晴らしく、「男らしさ」「女らしさ」の押し付けを良しとはしない、人それぞれの生き方こそが尊ばれる現代でこそ、オスカルの物語は複雑な思考を促してくれます。
オスカルは(他キャラクターも)あまりに不自由な時代に生まれ、姉が5人とも女性だったこともあり、男性のように生きることを選んだ。それは自身が真に望んだ人生ではなかったかもしれないが、身分や性別に縛られ過ぎることなく、自分らしく、使命を信じて、常に正しい道を選び取ろうとしていた……そのオスカルの気高さと人生は、誰にも否定されるものではないでしょう。そして、原作漫画は単行本にして(外伝・新エピソードも含めて)全14巻にもおよぶ長編ですが、今回のアニメ映画は113分という上映時間に収めています。そのため原作の「ロザリー」や「ジャンヌ」といったキャラクターのエピソードがカットされている(ただしロザリーの登場シーンは今回の映画にもあり、その声は早見沙織が担当)ことを、不満に思う原作ファンもいるかもしれません
しかし、エピソードを絞り恋愛劇を中心に描いたことで、キャラクターそれぞれの、特にオスカルの人生の壮絶さと愛おしさがより際立つ効果を生んでおり、かつ原作を未読でも混乱せずすんなりと入り込める内容となっていたので、1本のアニメ映画に凝縮するための取捨選択は、これ以上ないものだと思えたのです。
それでも、個人的にしっかり描いてくれて良かったと思えたのが、オスカルと「アラン(武内駿輔)」ら軍人たちとの関係性です。オスカルが「わたしを初っ端から女性あつかいしてくれたのはこのフランス衛兵隊だけだ(原作のセリフ)」と皮肉っぽく笑顔で言う様や、その後にオスカルがいかに隊長として慕われていくか……その過程と、アクションの見せ場も楽しみにしてほしいです。なお、『ベルサイユのばら』は史実を織り交ぜたフィクションであり、オスカルやアンドレやアランは架空の人物ですが、マリー・アントワネットやフェルゼンは実在しています。本作を機に、フランスの歴史について調べてみるのもいいでしょう。

インド映画のような歌の演出の意味は?

そして、今回のアニメ映画版『ベルサイユのばら』の最大の特徴が、「歌による演出」です。
物語で一定の区切りがある箇所で、それぞれの心理がイメージのようにきらびやかな映像として表れ、物語の壮大さやキャラクターの力強さを示す歌詞とともにメロディアスな楽曲が流れるのです。
この歌による演出は、「時間の変遷」も示しているともいえます。劇中では実に20年以上の時の流れがあり、冒頭では少年少女だったキャラクターが成長し大人になっていきます。歌という表現をもって、キャラクターの心情も大きく変わったようにも、歌の壮大さが時間の「重さ」とリンクしているようにも感じられました。
その表現が何に近いかといえば、「インド映画」。インド映画の定番ともいえる歌とダンスは、恋心などの感情を伝えたり、夢や妄想を示していたり、はたまた場面転換や時間を早送りするために用いられたりするのですから。何より、歌そのものが感情の“触媒”的な役回りであることが、多くのインド映画と今回のアニメ映画版『ベルサイユのばら』は一致していると思うのです。
もしも、この歌の演出がなければ、「あれ? 急に時間が飛んだな?」と違和感を抱いたり、物語やキャラクターそれぞれの感情がダイジェストのようにあっさりと流される印象を持ってしまったことでしょう。初めての歌の場面にはびっくりするかもしれませんが、見ていくうちに必然性がある表現だと理解できる、こちらも1本のアニメ映画に「原作の魅力」を凝縮するための1つの方法だと納得できます。
また、そもそも『ベルサイユのばら』には宝塚歌劇団による舞台版があり、「歌もの」との相性の良さが証明されています。この歌の演出が「アリ」だと思える土台に基づいた大胆な挑戦であると思えますし、それは間違いなく成功していました。
さらには、身分の異なる者たちの友情や、国家の存亡にも関わる物語から、直近のインド映画『RRR』や『JAWAN/ジャワーン』を連想させるところもあります。今回初めて『ベルサイユのばら』の物語に触れる人は、歌の演出を抜きにしても「インド映画っぽさ」を感じられるのかもしれません。
もちろん、豪華キャスト陣の歌唱と楽曲およびそのものも大きな魅力です。メインテーマ『The Rose of Versailles』で歌声が「呼応」しているようにも思えるのも聞きどころ。『進撃の巨人』の澤野弘之とKOHTA YAMAMOTOが手掛けた音楽映画としての魅力は映画館でこそ堪能できると思いますし、『呪術廻戦』を手掛けた制作会社MAPPAによるアニメそのもののクオリティーも期待してほしいです。

ミュージカルが苦手な人にもおすすめできる理由も

今回のアニメ映画の歌の表現をミュージカルと呼ぶこともできるとは思いますが、「日常の中で急に歌って踊る」わけではない、あくまで現実から離れた(キャラクターそれぞれの)イメージとしての映像および楽曲に思えたので、筆者個人としてはミュージカルとはいえない(やはり最も近いのはインド映画)と考えています。また、雑誌『サンデー毎日』2025年2月9日号(毎日新聞社)掲載のインタビューにて、吉村愛監督は自身がミュージカル好きであり、『ベルサイユのばら』とミュージカルとの親和性が高いことを前提にしつつ、ミュージカルが苦手な人もいること、友達にも「なんで急に歌い出すのか分からない」という人がいたりもするからこそ、そうした人にも見やすいものにすることを意識していたのだとか。
さらには、映画『グレイテスト・ショーマン』のような感じでミュージカルに慣れていない人にも聞きやすさのあるような楽曲にしたいと、打ち合わせの時に告げていたことなどが記されています。この言葉通り、本編はミュージカルに抵抗がある人でも楽しめるように工夫された作品なのです。さらに、同インタビューで吉村監督が「当時では描き切れなかった部分を、今の時代の技術で可能な限りお見せしていこうという気持ちで衣装や戦闘シーンも描いています」「原作を未読だったり、いわゆる少女漫画然としたキラキラ感があまり得意でない人でも、一度この世界に入っていただければ、濃厚で情熱的なストーリーをきっと楽しんでいただけると思っています」とも語っている通り、「最新のアニメの技術をもって、エピソードを取捨選択しても原作の重圧さを失うことなく、作品内世界に没入しやすい内容に仕上げた」作品になっていると思うのです。
さらには「ファンの方々には、原作がそのままアニメになっているイメージで楽しんでいただけると思います」と自信とリスペクトものぞかせている通り、原作の大ファンの監督が手掛けた作品ながら、マニアックになり過ぎず、一見さんにも優しく、間口がとても広い作品になっていることは本作の大きな美点です。ぜひ、『ベルサイユのばら』のファンはもちろん、予備知識ゼロだという人も、インド映画のようなゴージャスさも期待しつつ、劇場でご覧になってほしいです。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
(文:ヒナタカ)

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