工藤勇一校長が<服装の制約>と<宿題>を廃止した深い理由とは…「宿題がないと勉強しない」と話す保護者に僕が伝えたいこと
2024年2月20日(火)6時30分 婦人公論.jp
これまでの学校は一定の制約の中で生活することを子どもたちに強いてきたがーー(写真提供:Photo AC)
生徒の立場からはその仕事内容が見えにくい校長先生という仕事。みなさんはどのような印象をお持ちでしょうか。「校長の意識さえ変われば、学校全体が必ず変わります」と話すのは、千代田区立麹町中学校で校長として400項目以上の教育改革を実行してきた、工藤勇一先生。現在は、私立の横浜創英中学・高等学校の校長として、画期的な教育改革を実行し続けています。工藤先生いわく、「自由な中で自律というものを学び取った子どもたちこそ、社会に出てから困らない」そうで——。
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自分にとっての優先順位
子どもたちは、学校を卒業すると社会の中でいろいろな組織や規則の壁にぶつかることになります。
それを前提に、これまでの学校は、一定の制約の中で生活することを子どもたちに強いてきました。「そんなことでは厳しい社会じゃ通用しないぞ」などという教員たちの言葉が象徴的です。しかし、これも真実なのでしょうか。
むしろ、大人に言われたことを鵜呑(うの)みにすることなく、自由な中で一度自律というものを学び取った子どもたちこそ、社会に出てから全然困らないのです。たとえどんなに組織が硬直していても、くだらない規則があったとしても、逃げることなく真正面から対処できるのです。
なぜなら、彼らこそ問題が起きている原因がわかるからです。その原因をきちんと言葉で捉えて説明できるからです。
「麹町中(著者が校長として教育改革を行った千代田区の中学校)にいた子が高校へ進学したらきっと苦労するよ。むしろかわいそうだ」。ネット上でそんな批判めいたことを書く人もいましたが、それは本質をわかっていないからです。
服装が自由で金髪だった子が、規則の厳しい学校へ進学したとしても、実は全然へっちゃらなのです。どんな服装をするかなんて生きていく上で最重要ではない、という根本を理解しているからです。
たとえ服装を厳しく制約する学校があったとしても、その規則を変えるために学校と全ネルギーをかけて戦うことはしないと多くの卒業生たちが語ってくれました。服装へのこだわりは自分の中の一部で、その主張にエネルギーを使うよりもっと大事なことがある、とわかっているからです。
自分にとっての優先順位は決まっているので、特別にそのことにこだわらないのです。
「思ったとおり厳しい学校でしたが、僕が進学した理由は別にあるのでしょうがないんです」と、僕に愚痴をこぼしつつも笑いながら受け流している卒業生もいました。その生徒にとって、その学校に進んだ理由や意義が明確なのです。
宿題を出さない理由
服装の規制だけではありません。
宿題や定期テストを廃止したのも、「自律」を促すための手段のひとつです。これは、麹町中の校長4年目の実践です。
「宿題を出さない」と聞くと、皆さんショックを受けるようです。いきなり頭を殴られたみたいな感じなのでしょう。
しかし、そもそも僕が子どもの頃を振り返ってみると、大量の宿題なんか出されませんでした。大量の宿題が出されるようになったのは、学校の評価が相対評価から絶対評価に変わってからです。
特に評価方法が観点別評価に変わり、関心や態度、意欲というそもそも数値化しづらいこと(非認知スキル)の評価が求められるようになったことで、宿題の量が増えてきたのだと思います。
宿題の提出状況で関心や意欲を評価すること自体、文科省が求めていることとはまったく違っていますが……。
宿題を出されても、ちっとも重荷ではない子どももいますし、とても大変になってしまう子もいます。
例えば、1回見ただけで簡単に内容を覚えてしまう子どもがいます。東大に入った方々の多くが、個人の特性として情報処理や記憶能力が高いのは容易に想像がつくはずです。
その一方で、現実には何度見て学んでもすぐ忘れてしまうという子どもが大勢います。
その両方に同じ分量の宿題が出されます。処理能力が速い子どもにとっては、どうってことありません。どれだけ課題を与えられても短い時間で処理できるので、1日24時間のうち、自由時間もたくさんとれます。
しかし、同じタスクを与えられ、処理スピードが遅い子どもにとっては、とても大変です。いくら頑張っても終わらないので、自分の自由時間を削らなければならなくなります。
最も非効率な学習習慣
子どもたちは宿題を提出しないと自分の成績が悪くなるわけですから、大量に宿題が課された子どもたちの行動パターンは明らかです。できるだけ宿題を短い時間で終えるため、宿題の「わからないところ」を飛ばして「わかるところ」だけを勉強するようになります。
おわかりだと思いますが、「わかるところ」だけを勉強する子どもたちの学力は、基本的に伸びません。
つまり、結果として時間だけ奪われて学力がつかないという、最も非効率な学習習慣が身につくことになるわけです。
そもそも学校が宿題を課すのは、何のためなのでしょうか。
結果として時間だけ奪われて学力がつかないという、最も非効率な学習習慣が身につくことになるわけです(写真提供:Photo AC)
「通知表の成績をつけるため?」
それとも「生徒に学習習慣をつけさせるため?」
多くの教師がこんな本質的な問いでさえ、考えなくなっているように僕は思います。
「学習習慣をつけさせるため」という、さももっともらしいことを主張する教師の中には、宿題を子どもたちに課すたびに「わかるところだけやってきて。わからないところは飛ばしてきていいから」なんて指示する方までいます。
僕は情けなく思ってしまいます。乱暴な言い方に聞こえるかもしれませんが、「学習習慣が大切だ」というフレーズさえ、僕には正しいことなのか疑問に思えます。
労働生産性
今、日本は急激な人口減少という大きな社会問題を抱え、労働力不足が切実な問題としてクローズアップされています。
この問題を解決するために最も重要な視点が「労働生産性」を上げ、効率的な働き方を実現していくことですが、残念ながら日本の一人当たり労働生産性は、OECD加盟38ヵ国中31位(日本生産性本部「労働生産性の国際比較2023」より)と、先進国の中で最低レベルの労働生産性というのが実態です。
今、国をあげて労働生産性を向上させる取り組みを行っていますが、なかなか改善が進まない最大の理由が、大袈裟(おおげさ)に言えば日本の学校の宿題の多さにあると僕は思います。
つまり、一向に労働生産性を上げることができない大人の姿は、すでに小学校時代にできあがってしまっているのです。
話を戻すと、麹町中で宿題をなくして特に喜んだのは中学3年生の生徒たちとその保護者たちでした。宿題が受験勉強を邪魔していたからです。
もし、逆に「うちの子は宿題が出ないから勉強しなくなりました」と主張する保護者の方がいらっしゃったら、こう言ってあげたいものです。
「自分がうまくいかないことがあると、すぐに人のせいにして生きていく大人になりますよ」と。
※本稿は、『校長の力-学校が変わらない理由、変わる秘訣』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
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