「メリットあるかなと思って、権力のある男性を紹介してあげた」と言われ…大木亜希子が“上納疑惑報道”に触れて考えたこと
2025年2月23日(日)7時0分 文春オンライン
〈「今度から、Tバック穿いてくれる?」
ココア味のプロテインパウダーと常温の水をシェイカーで混ぜながら、英治が言った。
「じゃないと、葉ちゃんのお尻の形がチェック出来ないから」
(以降、灰色の囲み部分は『マイ・ディア・キッチン』より抜粋)〉
夫の英治から体型やファッション、財布、交友関係など、あらゆるものを管理されている34歳の葉(よう)。小説『 マイ・ディア・キッチン 』は、そんな彼女がモラハラ夫から逃れ、料理の腕で自立の道を切り拓こうと奮闘する物語だ。
著者の大木亜希子さんは15歳で芸能界入りし、20歳の時に国民的アイドルグループに加入。その後、25歳で会社員、30歳で小説家となった波乱万丈の異色のキャリアの持ち主でもある。「地獄のデスロードを歩んできた」大木さんに、『マイ・ディア・キッチン』を紐解きながら、女性の自立を阻むものの正体について聞いた。
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◆◆◆
飲み会ではコンパニオン扱い
——今、フジテレビ問題が報道されています。同じ業界で働いた経験のある大木さんは、ニュースをどのように受け止めましたか。
大木亜希子さん(以降、大木) 今回の問題の真偽はわかりませんが、実際に“献上”のような辛い経験をした女性がたくさんいて、そういう方々の怒りがSNSなどで可視化されました。社会全体の問題として、根深さを感じます。
——女性を使って自分のキャリア等の便宜をはかる“上納”について、見聞きしたことはありますか。
大木 今、報じられている内容とは全く異なりますが、「不快だな」と思う状況に遭遇したことはあります。アイドルを卒業して会社員になったばかりの25歳の時、芸能界にいた頃に知り合ったメディア関係の女性Aさんから、「今日、六本木の◯◯で食事しませんか?」と誘われました。久しぶりにAさんにお会いしたかったので、「Aさんに会えたら嬉しいな」という純粋な気持ちで指定された◯◯というレストランに行ったんです。
けれど、Aさんは現地におらず、一度も会ったことのない、某マスコミ関係の仕事に就く見知らぬ男性社員が4人いました。そのままなぜか私がお酌をすることになり、コンパニオン的に扱われて。
——恐ろしいです。その後はどうなったのでしょうか。
大木 その場にいた男性にAさんのことを聞いても、「え?」みたいな反応で。「Aが『今夜は私が女の子を呼ぶ』と言ってたから、君はそのために来てくれたんじゃないの?」と、不思議そうに言われました。慌ててAさんに連絡すると、「大木さんは、今は芸能のお仕事を辞められて、記者のお仕事をされてるんですよね? 彼らを紹介したら、今の大木さんにとってメリットになるかなと思って。繋がっておくと良さそうな権力のある男性を、紹介してあげたんですよ」と、悪びれることもなく返ってきて。
そのことが本当にショックで、職業人としての自分のプライドや誇りみたいなものを邪険に扱われた気がしました。
当時のことを怒っているとか、告発をしたいわけでもないんです。ただ、呼吸するように経験してきたこれらの無念とか哀しさを、葉というキャラクターの経験に集約したい、と思いました。もちろん、そういった理不尽な環境から立ち上がって、彼女が人生を再生していくところまでがセットです。
無化粧だと冷たくされるアイドル
〈 私は数年に及ぶ結婚生活で「自分には何もない」と思い込んでいた。しかし、結婚前には案外、自分の足で立てていたのかもしれない。今さら、その事実に気づくなんて。〉
——大木さんが芸能活動をする上で出会ってきた女性タレントや女優時代の仲間からも、そうした経験は聞いたことがありますか?
大木 有名プロデューサーと結婚した元タレントの子は、人前では華美な装いを求められるのに、家ではドケチで外にも出してもらえなくて。どうしても夜出かけたい時は、「番組の打ち上げがある」と嘘をついて、アリバイのために“打ち上げのビンゴで当てた商品”として、ドン・キホーテで香水を買って帰っていました。
私が見てきた芸能界にはきれいで才能ある子がたくさんいるのに、なぜか自己肯定感が低い子も少なくありませんでした。するとそのうち、英治のような男に捕まって、体重測定をされたり、無化粧だと冷たくされたりするような、つらい目に遭ってしまう。
そういったエピソードを見聞きした経験も本作には反映されていますが、一番は「お料理エンタメ小説を書く」ことがテーマだったので。最終的には、あまり深刻な気分にならず、占いやダンスなど華やかな世界も交えながら、フラットな視点で書くことを心がけました。
——前回、キャリアのために大木さん自身も“かわいい女の子”として振る舞うことを自分に課していた、というお話もありました。
大木 女優時代、運よくドラマや映画で大役を演じたこともあったものの人間関係で悩み、にっちもさっちもいかなくなった時、芸能界のドン的な大物の方に会う機会があったんです。そうしたら、会って5分で「君は“いい子ちゃん”でいようという魂胆が丸見えで何を考えてるか全然分かんないし、人間としての魅力が分からない。自分の意思を持たないアンドロイドみたいな人間だね。まず、その人格を矯正したほうが良い」と言われてしまって。
——キャリアのために感じよく振る舞っていたにもかかわらず、アドバイスとしては真逆の言葉が返ってきたというか。
大木 自分でした選択なので、私に責任があるのはもちろんですが、組織や業界の中で“使いやすい女性”が重用されてきた中、その鋳型にハマらないと生き残れない社会構造もありましたよね? と思うんです。一体、こんなアンドロイドみたいな人間を作ったのはどこのどいつなんだい、と。
私をメディア業界の男性達の食事の席に呼んだ女性社員だって、そうでもしなければ上にいけない慣例があったのではないでしょうか。
当時は、芸能界の大物の前でニコニコしているのが精一杯でしたが、35歳になった今は、個人の責任だけで終わるものではないと感じています。
男性作家からの“衝撃的なアドバイス”
〈「本当は人並みにずるいくせに、『私は虫も殺しません』って顔はしないほうがいいぞ。人によっては見抜くし、鼻につくから」〉
——主人公の葉も、“いい子”の仮面をかぶっていることを同居人の那津から指摘されていました。
大木 芸能界の大物の方には「アンドロイド」と言われましたが、私としては、「仮面」という言葉がしっくりくるワードで。“いい顔”することに慣れすぎてしまって、外に出る時には“それ”をスチャッと装着して出掛けるのが当たり前になっていました。
そうすると何が起こるかというと、本来の自分とはかけ離れた、偽りの“いい子”を好いてくれる人が来るので、波長の合わない人を引き寄せてしまうんですよね。当時はこの悪循環を繰り返していました。
——小説家となった今、状況に変化は?
大木 作家になって自分がやりたかった職業で生活費を稼げるようになり、これで男性におもねることなく発信できる! と思ったら、ある時、先輩作家の男性と食事をしていたら、「男として文芸の世界を見てきたから言うけど、この世界で女が生きていくのは難しい。だからお前は金持ちとでも結婚して面倒を見てもらったほうがいい。トロフィーワイフとしての生活も悪くないぞ。勿論、それに見合う努力が必要だけどな!」と突然言われて……お前もか! ここにもいたぞ! となりました(笑)。
ただその一方で、男性側の生きづらさについて考えさせられることもありまして。
——「男性の生きづらさ」とは?
大木 知り合いの男性がいつ会っても忙しそうなので聞いてみたら、「でも、これが仕事だから。65歳まで働き続けなきゃ」と話していて。傍から見ても到底、65まで続けられるわけがないほど仕事で忙殺されているんですけど、彼は「男だから当然」という認識なんですよね。
「男が稼ぐのは当たり前」といった“男らしさ”の呪縛から解放されない限り、女性の苦しみも続くのだろうと思うと、今は男性学も勉強しないといけない、と思っています。
一文字も書けなくなった
——現在の生活についてお聞きします。3年間同居していた赤の他人のササポン(当時56歳)の元を出て、現在は一人暮らしをされているそうですね。
大木 かつて一人暮らしをしていた時は風呂なしの六畳一間でしたが、幸いなことに今はお風呂も床暖房もあるお家に住めています。でも、東京で女性がひとりで暮らすって、本当に大変なことですよね。
特に最終回を書く直前にいろんな不安が押し寄せてしまって、一文字も書けなくなってしまったんです。
——経済的な不安が大きかった?
大木 作家として続けていけるんだろうか? と不安が襲ってきたというか。私は有名な新人賞を取り文学の世界に入ったのではなく、色々なご縁をいただき書く仕事を始めたので。ある時、自信を失ってしまって、税理士の先生に電話して、「すみません。なんだか書くのが怖くなってしまって。私、書く仕事辞めます。一時的にアルバイトの仕事に就くかもしれないので、収入が落ちるかもしれませんが、その時は宜しくお願いします」と宣言してしまったほどでした。
そうしたら税理士の先生に「今の辛い感情も、いつか絶対に小説に活かせ。辞めたら絶対にダメ」と真顔で大反対されました。
〈「カッコつけすぎですよ。他人に甘えたくないって言うけど、私を見て下さい。天堂さんと那津さんに甘えまくりですよ? そもそも、依存できる先が沢山あることこそ本当の自立って言うんじゃないですかね?」〉
——そこからまた机に向かえるようになったきっかけは?
大木 一度パソコンの前から離れて、執筆も少しお休みをいただき、近所のスナックのママのお手伝いをしたり、縁故を頼って地元の小学生に図工を教える「子供工作教室」の先生の仕事を短期間だけやらせてもらったりして。そうやって一時的に違う世界に身を置いたことで、どこでも生きていけるし、自分を支えてくれる人が周りにいるということが改めてわかりました。
工作教室の先生をやっている時は、子供達がキラキラした瞳で「大木先生! 見て! こんなに可愛いキーホルダー作れたよ」って嬉しそうに自分の作った作品を見せてくれて。
その時、「純粋に自分の好きなものに集中することの大切さ」を再認識しました。
スナックのママも、後から聞いたところ作家としての私を知ってくれていたようですが、事情を何も聞かずに伸び伸びと働かせてくれました。
これまでは、弱音なんか吐いたら仕事がなくなってしまう、と思っていました。だからいつもニコニコして、嫌なことは自分で始末をつけて、はけ口も自分。こんなにいいお仕事をもらっている立場で弱音を吐くなんて罰が当たるような気もしたし、自分の弱い部分を見せたら人から嫌われる、と思い込んでいたのだと思います。
一度詰んで、また再生できたのは、働かせて下さったスナックのママと、工作教室で出会ったかわいい小学生達と、担当してくれた税理士さんのおかげです。
——改めて、作品を書き終えた今の気持ちをお聞かせください。
大木 最終回の締切直前に、再婚したばかりの高校時代の友だちと飲みに行ったんです。そうしたら彼女が、「私さー、1回目の結婚で失敗しているのに、2度目の結婚でもやっぱりダメなところがあって。『やっぱダメじゃん、自分(笑)』って思うんだよね。でも、そうやって、自分で自分を自己分析してる今の感じが面白いんだよね。そうこうするうちに少しずつ成長出来てるような気もしてさ」と話していて、ストンと腑に落ちるものがありました。
物語の終わらせ方について、“熱血サクセス成長ストーリー”で終わらせてはならぬ、それでは嘘になる、と思ってずっと悩んでいました。“一人の女性の成長物語”というのは簡単だけど、現実には成長できなくて苦しむことばかりじゃないですか。経験を積んでも、歳を重ねても、ダメな部分はある。大事なのは、弱い自分を受け入れて認めることなんだと、その友人に教えてもらった気がしたんですね。
なのでラストは、急に葉ちゃんが大成して、独立して、家を持って……という終わらせ方にはしませんでした。きっとこれからも、英治との離婚やお金の問題も続くでしょう。でも、生きていけば、自分が幸せに思えるくらいは稼げるよね、と。この作品で、魔法は起こさないようにしたかったんです。
(小泉 なつみ/文藝出版局)