ムロツヨシさんが『徹子の部屋』に登場、叔母一家との思い出を語る「『寂しい』と、家族に対して素直に言えるようになった」

2025年2月26日(水)12時30分 婦人公論.jp


「45歳の今は、もっと自分を奮い立たせる目標を持たないとまずいなと、危機感を覚えているんです」(撮影:小林ばく)

2025年2月26日の『徹子の部屋』にムロツヨシさんが登場。4歳から会っていなかった母親との再会や、ムロさんにとっての「家族」である叔母一家との思い出を語ります。そこで、ムロさんがご家族について触れた『婦人公論』2021年9月28日号のインタビュー記事を再配信します。
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初主演映画『マイ・ダディ』が公開中のムロツヨシさん。先日はバラエティ番組がきっかけで生き別れた母親と40年ぶりに再会し、「産んでくれてありがとう」と伝えたと番組内で告白した。早くに両親と別れ、現在も独身のムロさんは「シングルファーザー役」にどのように挑んだのか。俳優としての紆余曲折や、最近の心境の変化なども聞きました。(撮影=小林ばく 構成=上田恵子)

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余裕ができて、遊びが減った


今年(2021年)5月、東京スカパラダイスオーケストラにゲストボーカルとして参加し、「めでたしソング feat.ムロツヨシ」という曲をリリースしました。音楽番組にも出演させていただき、生で歌を披露するという貴重な体験も。10年前の自分に「歌番組でスカパラと歌うよ」と言ったら、きっと「冗談にしても、もう少し現実味のあることを言え!」って返されるでしょう。思ってもみない景色を見せてくださる人たちとの出会いに、感謝するばかりです。

この10年、振り返ればいろいろなことがありました。19歳で俳優を志し、20代はとにもかくにも必死だったけれど、まったく売れなくて。2011年のドラマ『勇者ヨシヒコと魔王の城』への出演を機に少しずつ仕事が増えていきました。ありがたいことに、数年後には多忙な日々がやってきた。ところが、いざそうなったらその状況についていけず、キャパオーバーに。忙しくなることに憧れ、目標にしてやってきたのに、仕事をこなすだけで精一杯になっている自分がいたのです。

当時の僕に必要だったのは、自らのキャパシティを広げる作業。ときには休んだり、趣味を作って没頭してみたり、人の話を聞きに出かけてみたり。そんな試行錯誤の末、少しずつ余裕を持って臨めるようになってきたのですが、今度は演じるうえでの遊びが減ったことが気になり始めました。

20代から30代にかけての僕のモチベーションは「ご飯が食える役者になりたい」という一点にありました。それは自分にとってとてつもなく大きな野心であり、エネルギー源でもあった。そして、誰にも何も期待されていないからこそ、自分を臆面もなく出していけたんです。けれど、なりふり構わないそんな僕を「面白い」と評価していただき、現場で「面白さ」を求められることが多くなると、相手の要望に応えることに力を注ぐようになってしまった。

36、37歳あたりで次のモチベーションが必要だと感じるようになりました。当時のインタビューでは「代表作を作りたいですね」などとありがちな言葉を選んでいましたが、45歳の今は、もっと自分を奮い立たせる目標を持たないとまずいなと、危機感を覚えているんです。そうしないと、自分に期待が持てなくなるかもしれない、という焦りのような感覚です。

求められたものとは違う何かも同時に提示できるよう、今は自分なりに実験を積み重ねているところ。正直に言えば、充実している現状を失いたくない自分もいます。でも、現状と引き換えにしてでも新しい何かを見つけたい僕もいて、今は頭の中でいろいろな自分が、毎晩のように会議をしている感じです。

この役は絶対にほかの人に渡したくない


映画『マイ・ダディ』でシングルファーザーの牧師・御堂一男を演じることを決めたのは、まさに新しい何かを求めてのことでした。初主演映画となるこの作品には、長年の役者生活で体に染みついたものや、これまで得た成功・失敗体験などを全部捨てて、役者・ムロツヨシとしてゼロから挑んだつもりです。

一男は妻を事故で亡くした後、娘のひかりを男手ひとつで育てています。父娘2人で穏やかに暮らしていたある日、娘が重い病気になり、追い打ちをかけるように一男が知らなかった事実が発覚。葛藤しながらも娘のために奔走して──というストーリーです。

台本を読んだ2時間後、プロデューサーに「僕にやらせてください」と返事をしました。一瞬だけ「父親になったことのない自分がやるべきじゃないのかも」とも考えましたが、この役は絶対にほかの人に渡したくないと思ったんです。父親でもなく、結婚したことも妻を失ったこともない僕が、この世界に生きたいと強く思った。もしかしたら自分との共通点がまったくないからこそ、魅力を感じたのかもしれません。

監督からは「ムロさんはコミカルなイメージが強いけれど、絶対にまだ見せていない顔があるはず。その表情を撮りたい」という嬉しい言葉をいただきました。

撮影は2020年の4月に始まる予定だったのですが、コロナ禍により延期に。じっくり芝居に向き合う時間が生まれたのは、唯一よかったことですね。過去の経験を手放す怖さはもちろんありますし、長年培ってきたものをすべて捨てる勇気もまだ持ちえていません。でも、試しに1回捨ててみることはできる。「また戻ってくればいいから、とりあえず1〜2回やってごらんなさいよ」と、自分に言い聞かせました。

また、中学生の娘・ひかり役のオーディションの選考に参加させていただいて。僕が推した、ひかり役を射止めた中田乃愛さんは、演技はほぼ未経験でした。オーディションには、技術的に優れていて、なおかつ丁寧に準備して臨んでいる女優さんもたくさんいたのですが、それに対して彼女はやり方すら知らない。その、もがいている姿がとても魅力的だったんです。

彼女が羽根を広げる瞬間を見届けたくて、8ヵ月の撮影延期期間に連絡を取り合いましたし、撮影が始まってからも、親子の会話をどうしたら自然にできるか試行錯誤しました。たくさんの方に、父と娘の物語を観ていただきたいです。

一人暮らしは何しろ「寂しい」


20年春の緊急事態宣言以降、たくさんの仕事が延期や中止になりましたが、友人に会う機会が激減したこともつらいですね。一人暮らしですから、なにしろもう「寂しい」しかなかったです。寂しいという言葉を使うことが、こんなにも恥ずかしくなくなる日が来るとは思わなかった。

これまで絶対に口にするもんかと思っていたけど、もはや強がっている余裕すらない。自分のために料理を作るのも寂しい。なんで醤油の味しかしないんだろうと。またこの味かと。俳優仲間と酒を飲みにも行けないし、居酒屋での人間観察もできなくなってしまったし……。

以前は、弱音は吐いちゃいけない、弱いところを見せちゃいけないと思っていましたが、年齢的なものもあるのでしょうか、40歳を過ぎてからは、自分をさらけ出して素直に「つらい」と言えるようになりました。歳を重ね、人に頼られることが多くなってきたからこそ、僕も頼ろうと思って。壁にぶつかった時は、仲のいい人に相談します。友人とか、先輩とか、仕事仲間とか。自分が誰かに頼った経験って、誰かに頼られた時に活かせますよね。

よく頼る相手ですか? 恥ずかしいので本人の耳には入れないでほしいのですが、小栗旬です。7歳下ですけど(笑)。本気で甘えられるようになったのは3年くらい前からかな。彼は僕に「甘えてもらいたい」とも「甘えさせてくれ」とも言ってくれる人で、とにかくオープンなんです。あそこまで物事をはっきり口にして、行動や態度に表す人間はいないと思います。でも今は、気軽に会いに行けないし、困っちゃいますね。

誰にも会えない期間、僕にとって救いとなったのは、「8時16分ダヨ! 湯呑みでコーヒー」と名づけて始めた毎朝のインスタライブ配信でした。仕事がストップしていた時に自分のために始めたのですが、「朝起きてこれをやる」という目的ができたのは良かった。特に意味のあることを発信していたわけではないのですが、視聴してくれる人がいることが支えになりました。

家族との向き合い方がこの1年で変わった


この1年で家族との向き合い方もだいぶ変わりました。それこそ、弱音を吐けるようになったんです。「寂しい」と、家族に対して素直に言えるようになって、家族もそれを笑ってくれるようになりました。たぶん強がっている僕を見飽きていたんだと思います。

ちなみに、僕の言う「家族」はおばと従妹です。僕が4歳の時に両親が離婚したのですが、親権を取った父が別の女性と結婚して出て行ったので、その後はおばのところで育ちました。だから、僕にとって、従妹は「妹」です。

これまで毎年元日は、まず幼なじみの家に挨拶して、おばの家に行って、1月2日は小泉(孝太郎さん)家に遊びに行くのが慣例だったのですが、2021年は諦めました。孝太郎から「今年、どうする?」と聞かれたものの、さすがに今は会えないねって。

友人たちもほとんど結婚していますし、僕自身の「家族を持ちたい」「父親になりたい」という願望は、昔より大きくなってきています。どんな父親になりたいか──。そこまではまだ具体的に想像できないですね。

なにしろ今は、コロナで仕事の状況が一変しましたし、まずはその変化を受け入れなくては。今まで通りのことができなくなったことを悔しがってばかりいてもしょうがない。過去においても、常に時代の変わり目に求められるのは柔軟性、行動力です。僕は作り手なのだから、面白い作品を作ることに集中するべきだと思います。

今、役者としてもっと売れたいかと訊かれたら、「売れたい」というより「知っていただきたい」ですね。そして、「ムロツヨシなら見たい」と言っていただけるようにならなくては。

僕は無名の頃からずっと、仕事の現場では、「こんにちは、ムロツヨシです!」とフルネームを名乗って存在をアピールしていました。さすがに最近ではしていませんが……え? 今日も言ってました? うわー、それは無意識ですね(笑)。ただ、みんなが自分を知っているわけじゃないぞ、思い上がっちゃいけないぞという気持ちは常に持っていたいと思っています。

今は目標を探している最中で、苦しいけれど、悲観的になっているわけではありません。苦しんでもいいんです。苦しんだことで、5年後の自分が新しい仕事の楽しみ方、向き合い方を見つけていれば。もっとも、その頃にはまた別の問題が生まれて悩んでいるかもしれませんけどね(笑)。その繰り返しこそが、ムロツヨシの人生なのかもしれません。

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