神野美伽「笠置シヅ子さんから江利チエミさん、そして私へ。脈々と受け継がれる歌のDNA。大切に歌っていきたい」
2024年2月29日(木)18時0分 婦人公論.jp
舞台で笠置シヅ子役をパワフルに演じた神野さん(写真提供◎TOI LA VIE〈トワラヴィ〉)
1977年『東西対抗チビッコ歌まね大賞』の出演をきっかけにスカウトされ、1984 年のデビュー以来40年に渡って歌い続け、近年では海外でも活動する神野美伽さん。朝ドラで話題の笠置シヅ子さん役として音楽劇『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE〜ハイヒールとつけまつげ〜』の主演を務めた。笠置さんをはじめとする昭和の歌手に受けた影響と、自身の歌手人生を振り返る。
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前回「神野美伽「笠置シヅ子さんは引退を決意、出産4ヵ月前に舞台に立った。33歳の節目に〈辞める〉と決めて気づいた歌の大切さ」」はこちら
歌のDNA
最近とても強く意識するようになったことがあります。それは、「歌のDNAの存在」についてです。
少々ヘンな表現なのかもしれませんが、私が歌う歌の中にある「感覚」であるとか、「表現」と言ったようなものは私固有のもので、それは他のすべての歌手の方にも言えることだと思います。
声や音程、リズム感などのように生まれながらに持った素質ではなくとも、その歌手の歌を創る要素は沢山あるもので、聴いた音楽、歌、演劇、その他の芸術的要素のすべてがDNAとなり得るのです。
分かりやすく言えば、私の歌の中には江利チエミさんという天才的なアーティストからもらったDNAが生きている、とも言えるでしょう。
私と江利さんの出会い……といっても、私がデビューした1984年にはすでに江利さんは45歳という若さでこの世を去っておられ、1度もお会いした事はありません。
しかし、私がまだまだ幼い頃、テレビから流れてきた江利さんの歌う『テネシー・ワルツ』を聞いた印象はハッキリと憶えています。その歌をJAZZとも知らず、言葉の意味もわからない子どもだった私ですが、江利さんの歌声が心に貼り付いたとでもいうのでしょうか。私の中に江利チエミさんのDNAが宿った瞬間だったと思います。
遡れば、江利チエミさんの歌の中にも彼女が若い頃から憧れてやまなかったエラ・フィッツジェラルド のDNAは間違いなく存在していて、江利さんの歌からは共演まで果たしたエラ・フィッツジェラルドをたっぷりと感じることが出来るのです。
江利チエミさんのDNA
私がいう「歌のDNA」というのは単に歌だけではなく、江利チエミさんという方が生きた時代の「スピリット」や「環境」が大いに含まれていると思っています。
1953年、16歳の江利さんは、1ヵ月もの長い間アメリカに滞在し、エラやローズマリー・クルーニー、サミー・デイヴィスJr.、ルイ・アームストロングなど錚々たるアーティストたちと堂々と渡り合い、ジャズを本場で歌っています。
写真提供◎photoAC
まさに「開拓者スピリット」。これこそ江利チエミさんの大きなDNA要素と申し上げて過言ではないかと思います。
そのような江利さんの素晴らしいキャリアを知ったのは、ほんの数年前のことなのですが、思えば私自身も24年も前に韓国で歌うことを始め、10年前にはニューヨークのジャズクラブで歌を歌い始めていました。
この私が、まさかまさかのジャズクラブです。このことに関しては、色々な方に色々なことを聞かれましたが、「自分の可能性を探し求めて辿り着いたのがニューヨークだった」ということに尽きると思います。
その地で、マンハッタン・トランスファーやロン・カーター氏など、考えもつかない最高峰のジャズアーティスト、ミュージシャンと出会い、レコーディングが実現、そして現在も親交が続いているのです。
JAZZという音楽を特段学んだわけでもなく、目指したわけでもない私ですが、そのようなところに行き着いたのはやはり江利さんの歌のDNAが私の体の中にあった所以なのだと感じます。
笠置シヅ子さんのDNA
そして、もう1つ。その江利さんの歌には、今朝ドラの『ブギウギ』で話題の、笠置シヅ子さんのDNAが大きく存在しているということを忘れてはなりません。
江利さんのお父様は、吉本興業の専属楽団のバンドマスター。お母様は、東京少女歌劇団出身の舞台女優で、お2人とも吉本興業が仕切る笠置シヅ子さんの舞台で一緒に活躍された方です。
江利さんの幼い頃の初舞台は浅草で、ご両親が一緒に出演する舞台でした。そこで江利さんは『東京ブギウギ』を歌っています。
その公演には、笠置シヅ子さんも出演していらっしゃったというのですから、笠置さんの影響を江利さんがダイレクトに受けないはずがありません。
ポケットミュージカルス
余談になりますが、笠置さん、江利さん、そしてそのご両親も大変ご縁の深かった吉本興業さんですが、私自身10歳のころ、初めて10日間の長期舞台に立たせてもらったのが吉本興業さんの仕切る「なんば花月」でした。
花月では、漫才、落語、新喜劇などを上演する合間に生バンドが入る「ポケットミュージカルス」という定番の出し物がありました。
どのような経緯で、子どもの私がその興行に出演し、当時大人気の桂文珍さんや大勢の役者さん達に混じって「ポケットミュージカルス」で歌を歌う運びになったのか、今以ても分からないのですが、1日2回から3回の舞台を10日間、子どもなりに努めておりました。
その私と同じ歳の頃、江利さんが浅草の舞台で笠置さんの『東京ブギウギ』を歌っていたという出来事は、DNA以前の「巡り合わせ」といったようなものなのかもしれませんが…。
このような理由(わけ)で、江利チエミさんの体を通して、笠置シヅ子さんやエラ・フィッツジェラルドのDNAが脈々と私の歌の中にも繋がって生きていると思う次第です。
亡くなられて既に39年経つ今も、自分の歌の中に生き続ける笠置シヅ子さんのDNA。
その奇跡を絶やすことなく歌っていたいと、より強く思うようになりました。
神の為せる業
そういえば最近ある知人と話していると、その人が突然目をクルクルさせながら「そうそう、私の祖先はイギリス人だったのよ!」と言い始めました。
「はあ?」
目の前にいる知人はどこから見ても日本人。何を根拠にそういうのかと聞けば、「自分の体の中のDNAが証明したこと」なのだとか。
DNA...。時々、事件のニュースなどで「DNA検査の結果、同一人物であることがわかりました」などと耳にすることがありますが、その「DNA検査」なるものが、今や個人レベルでいとも簡単に行えるのだそうです。
しかし、そのことを知らなかった私は、彼女の「私の中の16%がイギリス人なの」という言葉の意味がまったく理解できなかったのですが、根気よく聞けば、私たち人間には、1人1人に特有のDNA (=遺伝子)の情報が存在していて、同じDNA型を持つ別人の存在は極めて低く、その情報を遡っていくと自分の祖先がわかるのだとか。
写真提供◎photoAC
人類は20万年から10万年前の太古の昔、東アフリカに住む父と母から始まったと聞いたことがあります。今、ここにこうして私という人間が1人存在すること自体、とても神秘的で、「神の為せる業」としか言いようがありません。
命のバトン
少し前に放送されていた『家、ついて行ってイイですか?』というテレビ番組の中で、元中学校の教師だったと仰る方が話していらしたことでとても心に残った言葉がありました。
「私たちには父と母がいる。その父と母にもまた同じく父と母がいる。その当たり前のことを10代遡るといったい何人の人間が存在するかわかりますか?
1,024人です。
では、20代遡れば何人になると思いますか? 1,048,576人にもなるのですよ。
その1,048,576人のうちの1人が欠けていても今の私は存在していなかった。だから、命を大事にしてほしいのです」
その方が教えくれた命のバトンの数字の大きさには、正直、驚くしかありませんでした。
写真提供◎photoAC
今の私は、その教師の方と同じ思いだと思います。
私の歌のDNAも、古今東西、たくさんの方から、何代にも渡って受け継がれてきたもの。
だからこそ、歌の命を大事にしたいのです。