冨永愛「NHK『大奥』で念願の時代劇デビュー。オファー前から馬術を習い。子育てのため3年間休業、PTA役員も務め意外な息子の一面も発見」

2024年3月7日(木)12時30分 婦人公論.jp


「自分が演じるのは誰なのだろうと思いながら読んでいたところ、ピンと来たのが吉宗でした。堂々として凜々しいキャラクターが、冨永のイメージと重なるんじゃないか、と(笑)」(写真提供:冨永愛さん)

夢を叶え、昨年は躍進の年となった冨永愛さん。15歳でモデルデビューしてから「ずっと強運だった」と語りますが、その裏には強い信念と準備を怠らない姿勢がありました(構成:丸山あかね 写真提供:冨永愛さん)

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思い切って公言してハマり役をもらえた


2023年は、NHKドラマ『大奥』で徳川吉宗を演じ、念願だった時代劇デビューを果たすことができました。昔から時代小説が好きだったんです。10代の時に家族で会津へ旅行した際、白虎隊の歴史を知り、興味を覚えたのがきっかけでした。

本格的にハマったのはモデルになってから。パリコレなど海外での仕事を通じて、さまざまな国の人たちと接するうちに、誰もが自国の文化をしっかりと理解して、盛んに発信していることに衝撃を受けたのです。

それで私も学ばねばと思い、時代小説や歴史小説を読むように。はじめは自分の生まれた国にどんな歴史があるのかを知るためでしたが、次第にのめり込み、自分も時代劇に出たいという夢を抱くようになりました。

そんな胸に秘めた思いを、22年の1月に放映された『日曜日の初耳学』(毎日放送/TBS系)という番組に出演した際、初めて公の場で言葉にしたのです。「時代劇に出たい」って。それをドラマ『大奥』の脚本家がたまたま観てくださっていて、出演依頼をいただきました。

その時点ではどの役を演じるか伝えられていませんでしたが、ドラマの原作であるよしながふみさんの漫画を読み始めると、これがとにかく面白くて。

漫画『大奥』は、江戸時代を舞台に三代将軍・徳川家光の時代から幕末・明治維新までを、男女の役割が逆転しているという設定で描いたファンタジー時代劇。自分が演じるのは誰なのだろうと思いながら読んでいたところ、ピンと来たのが吉宗でした。堂々として凜々しいキャラクターが、冨永のイメージと重なるんじゃないか、と(笑)。

けれど、吉宗は主役級の活躍ぶり。俳優経験の少ない自分に、こんな大役がくるはずはないという思いもありました。だから、本当に吉宗役が決まった時は、思わずガッツポーズです。同時に大きなプレッシャーも押し寄せてきて、これは大変なことになったぞ、と一気に緊張感が高まりました。

心に秘めていたら夢は夢のまま


ずっと出たかった時代劇ですが、まず驚いたのは決まりごとの多さです。話し方や歩き方から、家具などセットの位置まで、こと細かにルールがあって、現代を舞台にしたものとは何もかも違う。

また、原作の良さをしっかり引き出すことにも注力しました。威厳や迫力、芯の強さが魅力の吉宗という役どころを、自分なりに考え表現したつもりですが、放映されるまではドキドキ。けれどありがたいことに、嬉しい反響がたくさん寄せられたのです。

「原作通りの将軍らしい将軍」「ただかっこいいだけでなく色っぽさもあった」というような評価をいただくことができました。『大奥』が、自分の代表作になったと言えます。

心に秘めたままだったら、夢は夢のまま。実現できなかったかもしれません。つくづく自分のやりたいことを公言しておいてよかったなと思います。

私は言霊の力を信じていて、もともとやりたいと思ったら口に出すタイプ。口に出す以上、準備を怠ってはいけないとも思っています。だから実は、オファーがくる前から、時代劇への出演に向けて、個人的に馬術やを習い始めていました。

習得に時間がかかるものなので、話があってから準備するのでは間に合わないと思ったからです。我ながらすごい妄想力だと思います。(笑)

自分の夢を口にすると、「叶わなかったら恥ずかしい」とか、「失敗したら嫌だ」などと思う方がいるかもしれません。けれど、他人は他人、自分は自分だというのが私の信念。自分が人からどう見られているかを気にしても、しかたありませんものね。

世の中にはいろいろな価値観の人がいて、何を思うのも、何をするのも、その人の自由じゃないですか。他人の価値観を認めないでいると、いつかその否定した価値観が、自分の可能性を狭めると思っています。

ただ、モデルとして海外をまわっていた頃は、他国のライバルたちと自分を比較してしまうことはありました。彼女たちは自分にはない魅力をたくさん持っています。うらやましいとは思いましたが、同じようになりたいと願うのはないものねだり。自分には自分の魅力があるから、そこを伸ばそう、と考えるようにしたのです。

比べて落ち込むだけで終わったり、どうにもならないことをグチグチ言うのは好きではありません。私、筋金入りの負けず嫌いなんです。自分なりの形で越えようと最大限努力して、最後は運に任せる。そうやって生きてきました。

時代にフィットした強運な人生


15歳でモデルを始めて、17歳で世界の舞台に挑戦してから25年。どんな仕事でもそうですが、特にファッションショーの仕事は一回一回が勝負。やり直しがききません。だから、これまで一度も手を抜いたことがない。その都度、自分ができる100%以上の力を注ぐようにしてきました。

俳優をはじめ、仕事の幅が広がっていったのも、その姿勢を貫いたからなのかもしれません。一つの仕事がまた新しい仕事を呼ぶという、いい循環が生まれたように思います。

実際にそう感じたのが、23年10月に行われた「第50回信玄公祭り」の信玄公役に抜擢された時のことでした。武田信玄の故郷、山梨県甲府市で毎年開催される大きなお祭りで、信玄公役は歴代、渡哲也さん、藤岡弘、さん、沢村一樹さんなどそうそうたる顔ぶれの俳優が務めてこられました。

そんななか私が、史上初の女性信玄公として出陣できたのは、『大奥』の吉宗役があったからこそ。一生に一度の大役、という気概で楽しく号令をかけさせていただきました。

誠実に仕事に向き合ってきたから今がある、という自負はありますが、努力だけでは思い通りにならないのが人生。振り返ると私はかなりの強運だったと感じることが多々あります。

世界に飛び出した1999年は、ちょうど「アジアンビューティー」が世界的に注目されていた頃。モデルはその時代の流行に大きく左右される職業ですから、もしデビューが3年早かったり遅かったりしたら、時代にフィットせず、活躍できていなかったでしょう。こうしたことは努力以前の問題なので、不思議なパワーを感じますね。

また、私は息子が小学生のタイミングで3年ほど休業したのですが、無事に復帰して、今お仕事をいただけているのは、運がなければありえないことです。

落ち込んだ時はゆっくり行動してみる


そもそも休業したのは、息子としっかりと向き合うため。仕事と育児のバランスがうまく取れず、かなり苦悩したすえの決断でした。休業中は、PTAの役員を担当し、謝恩会の司会をするなど、それはそれで忙しく過ごしてはいました(笑)。

でもそのおかげで、学校に頻繁に行って、家では見られない息子の一面を知ることができ、いい期間になったと思います。

そんな息子も今や立派な青年となり、私と同じ道を歩み始めました。「モデルとして活動したい」と言われた時は、正直複雑な心境になってしまって。浮き沈みの激しい業界ですし、自分自身が「商品」として見られる世界です。できればほかの仕事に就いてほしいというのが、母親としての本音でした。

けれど彼の、「ファッションやモデルという仕事への憧れだけで志したわけではなく、自己を確立するのが目的だ」という話を聞いて、考えを改めたんです。私がモデルになったのも、同じ志だったことを思い出して、息子に対しても、業界の荒波にもまれて、人として成長してほしいと願っています。

私もこの世界でさまざまな苦難を経験したからこそ、成長することができました。直接誰かに言われたわけではないのですが、ファッション業界に「冨永愛」が飽きられてしまったのではと感じたこともあります。プライベートでいろいろあって、精神的にキツい時もあった。

そういう時私は、大きな目標や目的意識を見失わないことを心がけています。立ち止まらずにほんの少しずつでもいいから進んでみる。ゆっくりしたペースでも行動し続けると、「きっと自分は大丈夫だ」と思えるのです。そうやって自分を守ることが、低迷期を耐え忍ぶ私の処世術です。

オンとオフは分けて柔軟な自分に


仕事ばかりでなく、プライベートも大切にしています。公私の時間配分は半々、というのが私のベスト。何のために働いてお金を稼いでいるのかを忘れないようにするためです。

それにモデルは、瞬間的に大きなエネルギーを放出する仕事。本番でパワーを発揮するためにも、オフの時は基本的にぼんやりと過ごしたり、寝たいだけ寝たり、学生時代の友達やボーイフレンドと他愛のないことを語り合いながら過ごしたりしています。

どちらかというと、都会で過ごすより大自然の中に身を置くのが好き。しっかりと心を休める時間にしています。だからでしょうか、仕事で付き合いのある方と、プライベートではほとんど会いません。

オンとオフをきっちり分けないと、好きなものも嫌いになってしまうと思います。しっかりとしたオフがあるから、また新しい気持ちで仕事にも臨めるのです。

年齢に応じて精神も肉体も移ろいますので、いつも同じようなやり方で闘ってはいけない。常に柔軟に、いかようにも変化できる自分でいたいです。

それに、自分は強運だと思いますが、それは天からの貴重なギフト。もらったものは返していって、運を循環させることも強く意識しています。

自分さえよければいいと考えていると、いつか運は尽きてしまう気がする。今、そういう意味で自分がいい状態だと思うので、24年も楽しい年になりそうです。

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