風間杜夫「引っ込み思案を直すため児童劇団へ。米倉斉加年さんの〈将来役者になるつもりなら、劇団はやめて学校で勉強しなさい〉の言葉に、中学で退団し」

2024年3月8日(金)12時30分 婦人公論.jp


「友達のお母さんが、〈お宅の息子さん、児童劇団とかに入れたら引っ込み思案が直るんじゃない?〉って」(撮影=岡本隆史)

演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは——。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第26回は俳優の風間杜夫さん。内気で恥ずかしがり屋だったという風間さん。引っ込み思案が直るようにと、児童劇団に入ることになったそうで——。(撮影=岡本隆史)

* * * * * * *

引っ込み思案が直るかなと


風間杜夫さんほど芸域の広い俳優を他に知らない。まず名子役。長じて舞台俳優。それも多岐にわたり、つかこうへい唐十郎からアーサー・ミラー、森本薫、有吉佐和子作品など。

映画、テレビドラマで活躍したと思えば、次は一人芝居。そして噺家としてもちゃんと高座がつとまるプロ級。近頃は何とミュージカルにまでレパートリーを広げて……。

そんな風間さんも、子供の頃は内気で恥ずかしがり屋だったという。

——そうです。僕は東京・世田谷の上馬の生まれ。後でお袋から聞いた話では、僕の友達のお母さんが、「お宅の息子さん、児童劇団とかに入れたら引っ込み思案が直るんじゃない?」って。

お袋も同感したらしくて、小学校2年の時に、「東童」という日本で一番古い児童劇団に入れられたんです。ここは大人の俳優もたくさんいるんですけどね。

後から聞いたんですけど、小林旭さんも子供の頃にそこにいたんですって。

それで僕は割と可愛い顔をしてたもんだからすぐに売れて(笑)、翌年、「東映児童演劇研修所」に一期生として入所してからは、東映の映画にもよく出ました。

『江戸の悪太郎』っていう作品では、僕は長屋で母一人子一人で暮らしてる役で、隣で傘張りの内職をしている浪人が大友柳太朗さん。そのうち母親が悪い奴に手籠めにされて、殺されちゃうんですね。その仇討ちの助太刀をしてくれるのが大友先生で、斬られるのは俳優座の名優、三島雅夫さんでした。

大友先生にはものすごく可愛がられて、京都の御室にあったお屋敷に、歯ブラシとパジャマだけ持ってよく泊まりに行ってました。

先生の一人息子さんは僕の一個上なんだけど、彼の部屋中にレールが敷いてあって、模型の電車が走ってる。すげえな、と思いましたね。そのうち僕を、「この子を養子に」って話になったらしい。

だけど、その後、僕が30歳の時にテレビで大友先生と親子の役で再会したら、そのことは何も覚えていらっしゃらなかった(笑)。

だからまぁ、今もこうして役者を続けているということは、子供の時にお袋が児童劇団に無理やり入れたことが、第1の転機と言えるでしょうね。

中学は、受験勉強をして玉川学園中等部に進学。入ってみると、みんなと勉強するのがこんなに楽しいものなのか、と思ったとか。

——そうなんです。僕は東映の教育映画によく出てたんですけど、その頃まだ劇団民藝の研究生だった米倉斉加年さんが大学生の役で出てて、「君は将来役者になるつもりなら、児童劇団はすぐやめて学校で勉強しなさい。大人になってから改めて演技の勉強をし直さなきゃダメだ」って言われたのがずっと頭にあったんです。

それで中学に入ると、勉強って面白いなぁと思って、子役で学校休むのがもう嫌になっちゃった。

1年生の夏休み前に劇団やめると言ったら、劇団関係者からは「君惜しいよ、せっかく顔を覚えられたんだから、このまま行けば役者の道に進めるのに」と説得されました。でも、やめます、って言って。

自分を振り返ってみると、あそこで一度区切りをつけたのがよかったな、と思う。

だからちょっと早めだけど、第2の転機は児童劇団をやめたことですね。米倉さんが亡くなられる少し前にテレビで共演した時に、僕がその話をして感謝したんですけど、やっぱり覚えてなかったな。(笑)

早稲田で「自由舞台」に入ったものの


中学から高校へ進んでも、演劇への情熱は決して衰えなかったという風間少年。

——高校時代はよく早稲田大学の大隈講堂に「自由舞台」の芝居を観に行ってましたからね。早稲田にはあと「木霊」と「劇研」という演劇サークルがありましたけど、僕は一浪して早稲田に受かると、すぐに自由舞台に入りました。

でも入った翌年が70年安保闘争の年で、授業なんかないんですよ。自由舞台の先輩たちは日本社会主義青年同盟解放派——通称青解のバリバリの活動家が多くて、駆り出されてデモばっかり行ってましたね。

一度機動隊に捕まって、向島警察に2泊3日の体験をしました。4人部屋に入れられたんですが、そこに牢名主じゃないけど山茶花究(さざんかきゅう)みたいな強面のおじさんがいて。

ものすごく親切にしてもらったんで、釈放されたら絶対この人に差し入れしようと思ってたのに、出たらその喜びですっかり忘れちゃった。

思えば「忘れられたり忘れたり」の青春でしたね。(笑)

<後編につづく>

婦人公論.jp

「劇団」をもっと詳しく

タグ

「劇団」のニュース

「劇団」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ