風間杜夫「『スチュワーデス物語』で一躍人気者に。つかこうへいさんに〈お前の卑屈なところ、狂気じみたところ全部芝居に出せ〉とに言われ」

2024年3月8日(金)12時29分 婦人公論.jp


「ナーバスに捉えてたらついていけません。僕も、〈この野郎!〉って、つかさんをバットで殴りに行く夢を見たりしましたね」(撮影=岡本隆史)

演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは——。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第26回は俳優の風間杜夫さん。大の人たらしだという、演出家・つかこうへいさんとの出会いが大きな転機となったそうで——。(撮影=岡本隆史)

* * * * * * *

<前編よりつづく>

つかこうへいさんとの出会い


それで風間さんが本格的に演劇人生を歩み始めるのは。

——まずは22歳の時、「俳優小劇場」の付属俳優養成所に入るんです。募集要項には小山田宗徳とか小沢昭一とかの名前が講師として書いてあるのに、一度も授業に出てこない。僕らの一期上に加藤健一さんがいて、彼は運動神経抜群。酔っ払いだった体操の先生の代わりをよくやってました。

バク転とか三点倒立とか教わるんですが、そんなことすぐにできるものじゃないですよ。俳優小劇場は僕らが入った年に解散が決まったんで、「入所金返せぇ!」と十何人かで連呼したら、本当に返してくれました。(笑)

で、そのお金を元に、十何人かで劇団「表現劇場」を作って。でも物書きもいなけりゃ演出家もいない。結局、岡部耕大の第一戯曲『トンテントン』が旗揚げ公演で、「劇団つんぼさじき」の山崎哲や、別役実の脚本(ほん)をやるとか。

でもみんなのやりたい方向がバラバラで、僕は映画に出たりしているうちに、つかこうへいさんとの出会いがあるんです。

ユニークなエピソードの多いつかこうへいは風間さんよりたった一つ年上なだけなのに、態度が大きかった。これが第3の転機となるのか。

——初めてつかこうへいという人に出会ったのは、早稲田の「劇団 暫(しばらく)」がつかさんの『出発』という芝居をやるので出ないか、って誘われて行ってみた時です。

つかさんは、演出はやってないのに稽古場にフラッとやって来て、「お前の芝居には垢がついてるから、しばらく俺のところに草鞋を預けてその垢を落としていけ」って僕に言ったきり、1年以上放っておかれました。

初めてつかさんの作・演出で紀伊國屋ホールの舞台に立ったのは、77年の『戦争で死ねなかったお父さんのために』です。

とにかく人を見抜く人でしたね。出会った時すでに僕は結婚してたけど、寡目な好青年というイメージで見られがちだった。

そしたら、「お前よ、そんな好青年面してるけど、家帰ってよ、酒飲んでテーブル引っくり返したりもするだろ? お前の正義感や甘い幼児性もいいよ。でも、その卑屈なところや狂気じみたところとか、全部芝居に出さなきゃダメだ。一色になるな」って。つまり、つかさんの芝居の人物は振り幅が大きくて、激しいんですよ。

でも、岸田今日子さんがつか芝居の『今日子』に出た時、網タイツをはかされたり、相手役の靴を舐めに行かされたり、観るほうがつらい思いだった。

——ああ、そうか。岸田さんと同じ文学座出身の加藤治子さんも、つかさんの演出を受けてみたいと思われたんでしょう。俳優座劇場でのつかさんの『出発』に出ることになって。

この芝居は菊池寛の『父帰る』がベースになってて、でも父親は家出してないで地下に潜ってる。それを長男役の僕が引きずり出して、「これが日本のお父さんだよ、買わないか」って叩き売りするような、つか流ブラック芝居ですね。

この父親役が田中邦衛さんで、母親役が加藤治子さん。そしたら加藤さん、「あなたどこでそんな芝居覚えてきたの? ダメだよそんなもの」とか、「ズボラな母親なんだから、ほら、ボリボリ股を掻いて!」とか言われて、プライドが許さなかったんでしょう。病気を理由に降板されて、梅沢昌代さんに代わりました。

でも田中邦衛さんは一生懸命の人だから、食らいついてたね。そういうことも面白がってやるくらいでないと。ナーバスに捉えてたらついていけません。僕も、「この野郎!」って、つかさんをバットで殴りに行く夢を見たりしましたね。

でもあの人、飴と鞭の使い分けが上手で、「風間よう、お前がいないと俺、芝居ができないんだ」なんて言う。大の人たらしなんですよ。(笑)


筆者の関容子さん(左)と

出ていないのは歌舞伎と宝塚だけ!?


風間さんが大ブレークするのは82年。やはりつかこうへい原作の映画『蒲田行進曲』による。その翌年のテレビドラマ『スチュワーデス物語』で、その人気はいよいよ拡大していって。

——『蒲田行進曲』は、『熱海殺人事件』もそうですが、つかさんの代表作で、まず舞台でいろんな人が演じました。『蒲田〜』の映画化では当初、売れっ子スターの銀ちゃんが松田優作で大部屋俳優のヤスが宇崎竜童という配役だった。

でも優作さんが断って、次に山城新伍&川谷拓三でいくとかいろいろ難航して、結局つかさんが僕と平田満を推してくれて決まったんです。これがヒットしてテレビドラマの『スチュワーデス物語』につながるんですが、人気者になりましたからね(笑)。

誘われるままに写真集出したり、レコード出したり、全国縦断コンサートツアーとか、売れっ子みたいな経験をしました。これもつかさんとの出会いがあったからなんですね。

風間さんの幅広いレパートリーの中の、落語との出会いは? 2009年明治座の『三平物語』は、風間さん演じる先代林家三平の母親役で出た池内淳子さんに誘われて観たが、とっても面白かった。

——ああ、もじゃもじゃ頭の鬘(かつら)かぶって、「どうもすいません!!」って。口の悪い僕の友達でも「風間すごいよ、三平が降りてきてたよ」って言ってくれた。

まぁ落語は子供の頃から好きだったけど、『すててこてこてこ』という吉永仁郎さんの芝居で、(三遊亭)圓朝と圓遊を……名古屋章さんが圓朝役で、僕はその弟子の圓遊役をやったんです。

その時に「野ざらし」という噺を林家正雀師匠に習って火がついて。鶴瓶師匠に褒められたり、談春師匠の会に出たりして、独演会も毎年20回以上やってます。出囃子は「蒲田行進曲」ですよ(笑)。それと一人芝居『カラオケマン』。14年前には五部作を一挙にやって5時間15分。一人で歌って演じて。

それから花園神社のテントで唐さんのアングラ『ベンガルの虎』や『泥人魚』。去年は『少女都市からの呼び声』にも出ているし、そうかと思えば新橋演舞場の『女の一生』や『ふるあめりかに袖はぬらさじ』に出て、ミュージカルにも出てるの、知ってました? 

18年、日生劇場で『リトル・ナイト・ミュージック』。それでもう二度とやらないと思ったら、また声が掛かって、昨年は『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』という心温まる作品にも。エジプト人役だったので、アラビア語で一曲だけ歌いました。

今は舞台『大誘拐』で全国を回っています。中山優馬くん、柴田理恵さん、白石加代子さんと僕の四人芝居なんだけど、それぞれが複数の役を演じるんです。僕も四役を演じますよ。この四人の顔合わせだけでも、面白そうでしょう?(笑)

恐るべきレパートリーの広さ。出てないのは歌舞伎と宝塚? でも今後、歌舞伎俳優との共演でアングラ芝居もありえそう。さすがに宝塚は——と言いかけると、そこはやはり風間さん。

——いや、オファーをいただけるなら、何だってやりますよ。(笑)

婦人公論.jp

「風間杜夫」をもっと詳しく

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ