内田也哉子「谷川俊太郎さん、小泉今日子さん…15人の人たちとの対話を綴る時間はセラピーのよう。両親の死から派生した〈モヤ〉の先を見るために」

2024年3月17日(日)8時0分 婦人公論.jp


(写真提供:佐藤 亘(文藝春秋))

2018年9月に母・樹木希林さん、その半年後に父・内田裕也さんを亡くした内田也哉子さん。その当時から5年続けた連載で、たくさんの人と合い、対話してきた也哉子さん。それぞれの対話は意図せず「喪失」を共通テーマに進み、それは自分の中のモヤを晴らしたかったのかもしれないと語ります。そして、そのモヤの正体は——(構成:篠藤ゆり 写真提供:佐藤亘(文藝春秋))

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強烈な父母の残像とともに

この本は、母・樹木希林が亡くなった直後の2018年暮れから、足掛け5年にわたりお会いした、15人の方との語らいをもとに書いたものです。当時、母に関する本を書かないかと多くの依頼をいただきましたが、心が大混乱していたので、お断りしていました。

そんななか、女性編集者2人で新しい雑誌を立ち上げたいので連載をお願いしたい、という依頼があったのです。思いのこもったお手紙をもらって、「できるかどうかわからないけれど、書けたら書く」と引き受けました。

母の没後、父・内田裕也が入退院を繰り返すようになります。それから約半年で亡くなったのですが、私が生まれる前に父は母と別居、私は母子家庭で育ったので、父娘の強い関係性を構築できていなかった。それが急にかかわらざるをえなくなったという大変さがありました。

あんな時期になぜ連載を引き受けたのか、今考えると不思議です。「主婦」とか「母」として暮らすこと以外に、細くて強い糸みたいなもので誰かと繋がりたかったのかもしれません。

何が起きてもいい場所


連載はあえて体裁を決めず、何が起きてもいい場所という意味を込めて「BLANK PAGE」と名付けました。第1回に母にまつわるエッセイを書いた後、人と出会いたいという思いがむくむく湧き上がり、何年かに一度対談でご一緒していた谷川俊太郎さんにお会いすることにしたのです。

谷川さんとお話しするうちに、「こんなふうに人と出会うことを連載の軸にしたい」と思うようになりました。次は小泉今日子さん、それから中野信子さん……と、自然に会いたい人が浮かんで、最後のシャルロット・ゲンズブールさんまで続けました。

連載中、自分のなかにずっとモヤみたいなものがあったのです。本にするためにまとめて読み返して、当時の自分は人と話すことでそのモヤを晴らしたかったのかも、と思いました。

モヤの先の光を見るためには、自分の、そして相手の影の部分にも対峙しないといけないんですね。それぞれの対話は意図せず「喪失」を共通テーマに進みましたが、それは私のなかのモヤが両親の死から派生したものだったからかもしれません。

誰しも人生のなかで、心が立ち止まってしまう瞬間や、思い出すとちょっとチクチクする古傷があるはず。それを一期一会の人と共有するうち、「私もこんな痛み方でいいんだ」とか「さっと脱ぎ捨てて前に向かっていこう」と思えるようになっていったのです。

15人のお相手のうちほとんどは、編集者は同行せず一人で会いに行きました。一対一で出会ったほうが、素のままに交流できると感じたからです。


『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』(内田也哉子:著/文芸春秋)

「人間は孤独だ」という言葉の変化


振り返ってみると、私は一人っ子で、インターナショナルスクールに通っていたので近所の子どもたちとも距離がある。いつも、自分は浮いた存在だという寂しさがありました。

母は私が小さい頃から、「誰しも生まれてから死ぬまで孤独なんだよ」と私に語っていましたが、人と繋がりたいのにうまくいかなかった子ども時代、私はその言葉をネガティブにしか受け取れなかった。

19歳で本木雅弘さんと結婚して3人の子どもが生まれ、賑やかな家庭になりました。家庭に「父性」が存在するのが新鮮で、「あ、こんなふうに空気が変わるんだ」という気づきも。それでもやっぱり夫婦は他人同士だし、子どもといえども自分の一部ではないと感じます。だから、常に「一人ひとりは個である」という思いは変わりませんでした。

父も母も、私にとって強烈な存在で、彼らの子であることがちょっと重たくて、「あの人たちとは関係ない!」と言ってみた時期もありました。

でも、いざまるで神隠しにでもあったように2人ともいなくなると、彼らが残した大切な部分だけが思い出されてくるようになった。物理的な距離ができて初めて感じられる気持ちの存在を考えると、「人間は孤独だ」という言葉も、温かい考え方になり得るのかもしれない、と思います。

今回対話のほとんどを、対談の形ではなく、話した内容とその後の印象をコラージュのように組み合わせて書きました。「書く」というのは自問自答していく作業。私にとってはセラピーを受けるような大切な時間だったと思います。

ちなみに本の挿絵は次男の作です。8歳から13歳という、人間が一番変化していく時期でしたので、結果的にいい記録になりました。

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