第32回橋田賞が発表。石井ふく子が語る「60年の盟友であり、1歳上の姉のようだった橋田壽賀子さん。最後にまた〈渡鬼〉を作りたかった」

2024年3月31日(日)10時0分 婦人公論.jp


石井さんは橋田さんの結婚のキューピッドであり、仕事では60年の盟友だった(写真提供◎石井さん)

脚本家の橋田壽賀子さんが理事を務める「橋田文化財団」によって設立され、日本人の心や人と人のふれあいを温かく取りあげた番組と人に顕彰される「橋田賞」。橋田さん亡きあともその遺志は引き継がれ、2024年3月31日に32回となる同賞が発表されました。『渡る世間は鬼ばかり』など数々の作品でタッグを組んだ盟友・TBSプロデューサーの石井ふく子さんが橋田さんについて語った『婦人公論』2021年5月11日号の記事を再配信します。
(構成=篠藤ゆり 写真提供=石井さん)

* * * * * * *

婚姻届けを出す日、橋田さんはカバンを持ってきた


橋田さんとは、かれこれ60年近いつきあいになります。松竹をやめた彼女がドラマの脚本を書いて某局に持っていったら、後日メモ用紙にされていたと悔しがっていたので、「一度、夫婦のドラマを書いてみる?」と声をかけたのがきっかけです。それが1964年に放送された『袋を渡せば』で、香川京子さんと山内明さんが夫婦役を演じました。 

その後、TBSの東芝日曜劇場で『愛と死をみつめて』を書いてもらったところとても好評で、そこからおつきあいが深まりました。

橋田さんはとにかく書くのが速いのに、ある時、締め切り日になっても何も言ってこない。もしや病気でもしているのかと心配になって電話したら、「書けない」と言います。「冗談じゃないわよ」と返したら、「好きな人ができたから書けないの」。カチンときた私は、「あなた、プロの作家でしょう。引き受けたからにはちゃんと書きなさい。で、相手は誰なのよ」。すると、私と同じTBSにいる岩崎嘉一さんだ、と。

私はすぐさま岩崎さんのところに行き、「あなた、好きな人いるの?」と。「今はいない」というので、「橋田さんがあなたに片思いをして、書けないと言っているので、困るから電話して」とお願いしました。橋田さんには「岩崎さんにあなたの電話番号教えておいたから、電話を受けてから2日以内で脚本を仕上げないと仲をぶち壊してやる」とすごんで(笑)。お互い、そのくらいのことを平気で言い合える仲でしたから。

すると、さすが橋田さんです。岩崎さんから電話をもらった2日後に、ちゃんと仕上げてきました。その後、たった10日間くらいのおつきあいで、2人は結婚を決めたみたいです。聞かされた私は、さすがに「えぇ〜っ」と絶句。岩崎さんに「本当なの?」とただすと、「そうみたい」と。(笑)

私が立会人になって3人で婚姻届を出すことになり、その時、岩崎さんは指輪を持ってきました。一方の橋田さんはカバン。「なに、そのカバン」と聞いたら、「彼にずっとぶら下がろうと思って。これは私の代わり」。(笑)

タイのバンコクで「渡鬼」が生まれる


私たちは一時期、同じマンションに住んでいました。夜中の3時頃にわが家のチャイムが鳴るので起きて出ていくと、橋田さんが「今、夫婦喧嘩しているからすぐ来て」。行くと、岩崎さんの背広が切られているんです。やったのは橋田さん。彼女は岩崎さんを好きでしょうがないけど、激しい人なので、喧嘩をするとけっこうすごかった。(笑)

その岩崎さんが肺腺がんになった時のこと。本人には病名を知らせないよう橋田さんがお医者様にお願いしたのですが、当時はNHKの大河ドラマ『春日局』の準備中。1年間書き続ける自信がないから降りたいと相談されたので、「絶対にダメよ。大きな仕事だし、降りたら、岩崎さんは自分の病気が重いことに気づいてしまう。だから精いっぱい仕事をしなさい」と…。
それから1年後、岩崎さんは亡くなりました。

橋田さんと何度もご一緒した「東芝日曜劇場」が単発ドラマ枠を終了することになった頃、局から1年の連続ドラマをやってみないかと言われました。私は連続ドラマはやらない主義でしたが、「石井さんの好きな作家でやっていい」と言われたのでお受けして、橋田さんに声をかけました。当時はいい時代で、今までのご褒美もかねて2人で好きなところに旅行して内容を話し合ってください、と。 

そこで橋田さんの希望で、タイのバンコクに出かけました。その間に2人であれこれ話すなかで生まれたのが、『渡る世間は鬼ばかり』です。

5人姉妹の人生を描こうと決めて考えているうちに、タイトルはどうしようという話になり——橋田さんは、「《渡る世間に鬼はなし》ということわざがあるけれど、《渡る世間は鬼ばかり》のほうが面白いんじゃない?」。真意を聞くと、「自分は相手のことを鬼だと思っていたけれど、実は自分もまた鬼だった。そういうことなのよ」。それは面白いということで始まったのです。

「人生の最期」をテーマに「渡鬼」の構想を練っていた


「渡鬼」の第1シリーズが始まったのが90年。まさかこんなに長く続くとは思いませんでした。2021年に放送する分もすでに構想が進み、橋田さんも具体的に構想を練ってらしたんです。

「こんな時代だから、暗い要素のないドラマにしたい」と。「じゃあ、冒頭はどうする?」と聞いたら、「コロナのことから入ろうと思う」とおっしゃっていました。

テーマは「人はひとりではない」。長山藍子さん演じる弥生のところは、配偶者を亡くした老人が集まってお茶を飲む場になっています。「ラスト、その中の2人の結婚式だったらいいわよね」と——。


「渡鬼」の頃は、原稿をすぐ受け取って読むために石井さんも熱海にマンションを借りていたそう。「すぐ局に持って帰らなくてはいけないので、泊まったとことはほとんどないんですけど」と石井さん。(写真提供◎石井さん)

人生の最終期をどう過ごすかは、90を超えた私たち2人のテーマであると同時に、もっとも現代的なテーマで、すばらしい内容だと思いました。実現は叶いませんでしたが…。

ご自身はいつも、「私はひとりぼっちだし、いつ死んでもいい」と言っていました。でも私はそのたびに、「だったらなぜリハビリに行ったり、病院に行ったりするの?」と怒っていたんです。「あなた、いつもそういうことを言うからイヤよ。もう言わないで」と。だって、決してひとりじゃないですもの。みんなまわりにいるんですから。

最期は苦しむことなく、海も富士山も見える大好きなご自宅で過ごせて、本望だったんじゃないでしょうか。そして、たくさんの人に温かく見守られて逝けてよかったと思います。きっと喜んでおられることでしょう。

『婦人公論』に語られた【スガコ語録】


●女友だち
私にとって、石井ふく子さんは特別な女友だちです。(略)
ふく子さんは私よりも1歳下ですが、プロデューサーですから、脚本家の私にとって上の方。親しい友人とはいえ、けじめは大切にしています。(略)だからといって、彼女の言うことをなんでも「ハイハイ」と聞いているわけではありません。思っていることは言います。それで、大ゲンカになったこともありますし。
でも、私はふく子さんに対して、「絶対に裏切らない」と決めているんですね。そういう信頼関係が根底にあるからこそ、正面切っていろいろと言えるのです。それに対して、ふく子さんもちゃんと答えてくださる。相性もあるでしょうが、そういう女友だちに巡り合えたのは、稀有なことだと思っています。
(1999年10月22日号)

●心の「鬼」を退治する
いちばんいけないのは、相手を敵だと思うことです。それは、自分の心の中に鬼を飼うことですから。『渡る世間は鬼ばかり』というタイトルも、実は反語で、自分の心の中に鬼がいるから、周りの人が全部鬼に見えてしまうということを意味しています。心に鬼がいなければ、世間に鬼はいません。
では、どうすれば鬼を飼わないでいられるか。
方法はいろいろあるでしょうが、相手の気持ちになることもそのひとつです。それから、イヤなことがあったときに逃げ込める世界を持つこと。(略)幸せを自覚することも大切です。幸せなんて、自分の気持ち次第なのです。相手に幸せにしてもらおうなんて、考えない。要求もしない。そういう気持ちでいれば、何かしてもらえば有り難いと思うものです。
向かい合った相手を敵とは考えずに、仲間にしてしまうこと。それが、人生を楽しく生きていくコツだと思います。
(1997年7月号)

●死ぬのは怖くない
私は戦争を経験し、死ぬ覚悟をしていたところを助かって、もらった命だと思って生きてきましたから、死ぬのは怖くありません。でも、痛いのは一日でも避けたい。モルヒネのような麻酔薬を打ってもらい、眠るように自然に亡くなるような措置をしてほしいと思っています。
(2017年10月10日号)

婦人公論.jp

「橋田壽賀子」をもっと詳しく

「橋田壽賀子」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ