合氣道家・藤平信一流「指示待ちタイプが<自分から動ける人>に変わる指導法」とは。無理強いしない・争わない精神で人は育つ

2024年4月1日(月)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

どんな仕事もスポーツも勝って成果を上げるためには、妥協せず自分を追い込むほどの厳しさが欠かせません。一方でハラスメントを恐れるあまり、「ぶれなさ」「必死さ」を次の世代にうまく伝えられないリーダーが増えているのではないでしょうか。国内外の経営者が師事する「心身統一合氣道会」会長藤平信一氏のもとにも、指導者の悩みが多く寄せられています。厳しさとハラスメントの根本的な違いは何なのか?多くのリーダーを見てきた藤平氏がその経験をもとに語ります。

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相手に争う心を起こさせない


私は心身統一合氣道という武道を国内外で指導しています。
心身統一合氣道は「武道」ですが、「格闘技」ではありません。何が違うのか? 目的が違うのです。格闘技はルールに基づき相手を倒すことを通じて、精神的にも、肉体的にも鍛えられます。これに対し、心身統一合氣道は「いかに相手と争わないか」が主な目的です。
「武道」とは「戈(ほこ、武器)を止める道」と書きます。“争わない”というのは、争いから逃げることではありません。
自分の中に争う心を起こさないこと。相手に争う心を起こさせないことです。その結果、相手と争わずに済むのです。そのために求められるのは、自分を厳しく律することです。
そして、自分を律するには、強い心と強い体でなければなりません。このために厳しい鍛錬が必要なのです。合氣道は武道の一つです。合氣道は、相手の関節をひねったり、投げたりするイメージがあるでしょう。
しかし、心身統一合氣道では、この奥にあるものを大事にしています。

厳しさとパワハラの根本的な違い


たとえば、相手に乱暴なことをしようとすれば、相手の心は必ず抵抗します。ひとたび相手の心を抵抗させてしまうと、投げるのは至難の業です。自分より力が強い相手や体の大きな相手を投げることなど、到底できません。

相手の心を抵抗させないためにはどうするか? それにはまず、相手の心の状態をよく知ることです。つまり、相手のことを理解することです。
理解できなくても、理解しようと努めることです。こうして、相手の心を尊重し、相手の心の向く先に導くからこそ、投げることができるのです。
無理やり、力ずくで投げているわけではありません。相手が行きたい方向を尊重し、相手を導いているわけです。
この後、話に出てくる工藤公康さんや九重親方(元大関・千代大海)の師匠がやっていたことも、これと同じです。厳しい鍛錬をしていますが、無理やりやっているわけではありません。
師匠は厳しい環境をつくり、その中で本人が主体的に自分を追い込んでいく。
これが「人が育つ厳しさ」なのです。上司の都合を押し付ける「パワハラ的な厳しさ」とはまるで違うことがおわかりいただけるでしょう。

日常の中で「氣」の存在を意識する


氣などと言うと、何だかとたんに“怪しい”と身構える人もいるかもしれませんね。でも、氣は、みなさんの日常生活にも深く浸透しています。
たとえば、日本語には「気」を含む言葉が多数あります。元気、病気、やる気、気が合う、気が進む、気が置けない。スポーツの世界にいる人は「気合いを入れろ」などと、活を入れられたことも多いでしょう。
九重さんが、気合いについて、面白い話をしてくれました。

九重親方:「相撲部屋は朝が早いんです。早朝から稽古が始まりますから。
若い衆は、朝4時に起きるのですが、じつは、目覚まし時計を頼らないのです。どうやって起きるのか? と思うでしょ。
気合いで起きるんですよ(笑)。

気合が入っていれば、目覚まし時計なしで起きられる?


『4時に起きると思って布団に入れば起きられる』って教わるんです。最初はそんなこと無理だろうと思ったんですけど、1か月くらいで完璧にできるようになります。
もちろん、最初はできないから、兄弟子に叱られます。『だらしなく寝てるからだ。気合いが入ってないんだよ』と言われる。


目覚まし時計なしで起きる秘訣(写真提供:Photo AC)

すると、そのうち、3時55分にパッと目が覚めるようになるんです(笑)。
不思議ですよね、いまは念の為にアラームをかけて寝ますけど、それでも必ずその前に目が覚めますね」(以上、九重親方)
じつは、私の師匠の藤平光一も同じことを言い、同じ訓練をさせられました。「ちゃんと氣を通しておくと、起きられるようになるから。ただ寝てるから起きられないんだ」と。
思わぬところに共通点がありました。

何ごとにおいても気を入れる


先代の九重親方(元横綱・千代の富士)は、やはり気持ちを込める、気を入れるということを大事にしていたのでしょう。そのことについても、九重さんが答えてくれました。
九重親方:「そうですね。朝起きてから、夜寝るまで、本当に気を抜くところがないです。掃除もそうですし、食事の準備もそうですし。相手のことを思ってやらなければなりません。部屋に来られるお客さま、後援者のみなさまに気を配らなければなりません。先輩の雑用にも気を使い、気を込めなければなりません。
気を抜いたらわかるんです。一つ一つの物にも気を込める。たとえば、食事の後の洗い物でお皿を割ってしまうことがあります。考え事をしていたり、嫌々やっていたりすると、やはり割りやすいんです。
で、おかみさんに報告に行くんですけど、それを言うのが本当に苦痛で……。あるとき、コップを割ってしまい、それをごまかそうとして、なけなしのお金で同じコップを買ったんです。でも、すぐにばれました(笑)。
それで、師匠に呼ばれます。『お前、何かしただろ?』『はい、すみません。昨日、コップを割りました』『何で言いにこないんだ』と叱られる(笑)。もうね、全部見透かされちゃうんですよ。だから本当に気が抜けない。気が抜けたり、気持ちが切れたりすると、戒められる。実際に失敗もやらかしますしね。
だから、全方位に気を配る。身に付いてくると、自然にできるんですけど、身に付くまでが大変なんです。基本って、そういうものだと思います」(以上、九重親方)

稽古をする相手に感謝する


なるほど、九重さんのお話は、何ごとにおいても「気を入れる」重要性を説いています。
四股も気を入れて踏まなければ身になりません。一事が万事、日常生活の一つ一つのことに気が入らない者が四股だけ気が入るはずがありません。
武道では礼儀を大切にしています。礼儀を形式的なものとしてとらえる人もいますが、そうではありません。本当に大事なのは、その奥にある「氣」の部分。一つ一つの所作に氣が入っているかが礼儀の根幹です。
心身統一合氣道の道場では、稽古の最初に必ず正面に礼をします。いまこうして稽古ができるということは、心身共に健やかで、経済的にも時間的にも許されているわけです。稽古できることを、天地自然に感謝しているわけです。
次に、稽古をする相手とお互いに礼をします。相手がいてくれるからこそ、技の稽古をすることができます。稽古できることを、相手にも感謝しているわけです。
「幸せを感じる」ことと「感謝する」ことはつながっています。形だけの感謝の言葉や行動には、実体がありません。したがって、日々の稽古の礼も実(じつ)がなければいけません。氣が入っていることが大事なのです。
※本稿は『活の入れ方』(幻冬舎)の一部を再編集したものです

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