神津はづき×神津カンナが語る、母・中村メイコとの思い出「母の引き出しには、新婚時代のエプロンや、私たちの幼稚園の制服が残っていた」

2024年4月8日(月)11時30分 婦人公論.jp


中村メイコさんの娘の、神津はづきさん(左)と神津カンナさん(右)(撮影:大河内禎)

〈神津はづきさん、弟の神津善之介さんと4月8日の『徹子の部屋』に登場〉
2歳半で芸能界入りし、86年の長きにわたり女優として活躍を続けた中村メイコさんが、2023年12月31日に逝去しました。享年89。亡くなる直前までテレビ収録を行っていたというメイコさんの最期の様子を、娘2人が生前の母との思い出とともに語った、発売中の『婦人公論』4月号から記事を先出し配信します。(構成:篠藤ゆり 撮影:大河内禎)

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<前編よりつづく>

終活を進めて夫婦の蜜月を過ごす


カンナ 高齢になってからも、両親は私たちとはつかず離れず。決して寄りかかろうとはしなかった。

はづき 父は私たちが小さい頃から、「人間は他人と生きていくために生まれてくる。お父さんとお母さんは、あなたたちが他人と生きていける人間に育てるためにいるだけだから」って。

カンナ 80歳で一軒家をたたんで、ほとんどのものを処分したでしょう。人にあげられるものはすべてあげて、それ以外にトラック7台分を処分した。あの頃から、終活を始めていたのね。

はづき あれだけ靴や洋服を大量に持っていた人が、たぶん洋服なんて10着くらいしか残さなかったんじゃないかしら。着物も帯も、人に差しあげた。

カンナ 若い頃から、人にものをあげるのが好きだったから。酔っぱらって、着ていた着物も帯も人にあげて、長襦袢1枚で家に帰ってきたり。(笑)

はづき 断捨離で着物と帯を人に差しあげる時、帯揚げを添えるのを忘れたみたい。亡くなったあと、母の引き出しを開けたら、「え〜っ、こんなに帯揚げが!」(笑)。ヘンなものも残している。

糊のきいたサロンエプロンが2枚。どこかで見たことあるなと思ったら、新婚時代に父が撮った写真に、そのエプロンをした母が写っていた。

カンナ 大切にしたい思い出だったんでしょうね。

はづき 私たちの幼稚園の制服も残っていたものね。

カンナ 母は85歳の時、股関節を骨折して、家の中でも車椅子に。それ以来、料理も父が受け持つようになって──。

はづき でもたまに母から電話がかかってきて、父が作る料理を「まッずいの」とこぼす。だから「し〜っ、お父さんに言っちゃダメよ」(笑)。父が作ったものより私たちが作ったもののほうがおいしかったりすると、二人の関係の邪魔になる気がしていたから、たまに常備菜を届けるくらいにしていた。

ヘンな言い方だけど、母の脚が折れたのは、最後に夫婦の蜜月の時間を持つためだったんじゃないかな。

カンナ だからあえて、あまり両親の家には行かないようにしていたのよね。

はづき 母が元気な頃は、私たちに「母中心にしなさい」といつも言ってた父が、初めて家庭内の主役になれた。父はそれが幸せだったんだと思う。

カンナ それにしても、母は丈夫だったわよね。お産と骨折の時以外、入院したことがない。私は2022年の暮れに食道がんで手術をして以来、お酒もやめて。母は忘れっぽくなっていたので、たまに一緒に食事をすると、必ず「あらカンナ、お酒やめたの?」と聞いてくる。もう、何十回聞かれたことか。

それで「手術したから」と答えると、そのたびに「かわいそう」と泣くのよ。母が亡くなって、「あぁ、もう母を泣かさないですむ」と思いました。


1992年に家族でスペインのバルセロナを訪れた際の1枚。左から善之介さん、はづきさん、カンナさん、メイコさん(写真提供◎カンナさん、はづきさん)

果たせなかった「新婚旅行をもう一度」


はづき 父はいつも母に、「俺がいないとおまえは無理だろう」と言っていた。だから一日でも母より長生きしたかったのよね。希望通りになったけれど、母の死後がっくりきて、ひと月経った今もずっと泣いている。

カンナ しょっちゅう「寂しい」と言ってるし。今、弟がスペインから一時帰国して父と一緒に暮らしてるんだけど、弟によると、父のしゃべり声が聞こえるから誰かと電話しているのかと思ったら、仏壇に向かって父がずっと「お母さん……」って話しかけているらしい。

はづき ライト持ってきて、仏壇に当ててるのよね。

カンナ そう。スポットライト。

はづき 亡くなっても母には《女優》中村メイコでいてほしいのかも。

カンナ 「世の人は、子どもはかわいいって言うけれど、妻のほうがかわいい」なんて言うし。

はづき いろいろな時代を共に乗り越えてきた夫婦だから、今の時代の夫婦とは絆の強さが違う。私はとても、ああはなれません。「ごめんなさい、哲太さん」という感じ。(笑)


「私もお線香あげるたびに、話しかけている。いつも近くにいる感じがするものね」(カンナさん)

カンナ 1月2日は父の誕生日だったでしょう。母はちゃんとカードを用意して、メッセージも書いていたみたい。

はづき 父は見せてくれないけど、たぶん「ありがとう」とか「愛している」とか書いてあったんじゃないかしら。

カンナ あの世代の日本人には珍しく、しょっちゅう「愛している」と言葉に出す二人だったものね。

はづき 昔は、「これ、お父さんに書いたの」と父宛ての手紙を母に見せられたりすると、「うわっ、お腹いっぱい」と思ったりもしたけど、亡くなった途端、美しい夫婦だなと思えるようになった。

カンナ いなくなってみると、母の偉大さがよくわかる。86年間、現役で仕事をしていたのもすごいし、いろいろな意味で母が防波堤になって家族を守っていたこともわかった。目下の問題は、92歳の父をどうするか。弟がスペインに戻ったらどうしたらいいんだろう。

はづき いっそ父を、スペインに送っちゃうというのはどう?

カンナ それ、いいかもしれない。孫もなついているし、父にスペインはよく似合う。

はづき 母が亡くなる数日前、二人で「もう1回、新婚旅行に行きたい。できれば海外に」って話していたらしい。結婚した時、本当は新婚旅行で海外に行きたかったけど、時代が時代だし、北海道に行ったのよね。

カンナ じゃあ、母の位牌を持ってスペインに新婚旅行!

はづき いいわねぇ。今思うのは、「死ぬも生きるもたいした違いじゃない」ということ。気がつくと私も、母の写真に向かってしゃべっていたりするの。「あなたのダンナさん、どうなのよ」とか(笑)。

この人にはかなわないと思わせる逝き方をしたので、「あなたに完敗です」と思った途端、すごく素直になれた。今なら母になんでもしゃべれる。

カンナ 私もお線香あげるたびに、話しかけている。いつも近くにいる感じがするものね。

はづき 若い頃は、普通のお母さんでいてほしいと思ったこともあるけれど、やっぱりあの母だからこそ、本当に楽しかった。

カンナ そういえば父は、お寺さんで、「戒名はいりません!中村メイコは中村メイコですから」って強く言って。お坊さんも、それでいいと言ってくれた。

はづき 最後の最後まで中村メイコを全うした。本当にあっぱれな人生だったと思います。

婦人公論.jp

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