神津はづき×神津カンナが語る、母・中村メイコ「最後の仕事は『徹子の部屋』。6日後、最愛の夫にもたれかかり、映画のような最期だった」

2024年4月8日(月)11時30分 婦人公論.jp


中村メイコさん(中央)と娘の神津はづきさん(左)、神津カンナさん(右)(母娘3人での座談会は笑顔で。『婦人公論』2020年2月10日号より/撮影:宮崎貢司)

〈神津はづきさん、弟の神津善之介さんと4月8日の『徹子の部屋』に登場〉
2歳半で芸能界入りし、86年の長きにわたり女優として活躍を続けた中村メイコさんが、2023年12月31日に逝去しました。享年89。亡くなる直前までテレビ収録を行っていたというメイコさんの最期の様子を娘2人が生前の母との思い出とともに語った、発売中の『婦人公論』4月号から記事を先出し配信します。(構成:篠藤ゆり 撮影:大河内 禎)

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映画みたいな最期になるとは


はづき 母の最後の仕事は、ジュディ・オングさんと出演した『徹子の部屋』。収録は亡くなる6日前の12月25日ですから、本当にギリギリまで仕事をしていました。

カンナ 収録の時は、元気だったのよね。

はづき 元気、元気。父(作曲家の神津善行さん)によると、亡くなる前日まで、2日で1本、ウィスキーを空けていたんですって。若い頃は1日に1本空けていたけど、肝臓の数値もまったく問題なかった。

カンナ ただものじゃない。(笑)

はづき 12月31日の午前中、私は両親のマンションにおせち料理を届けに行って。母は洗面所にいたので、「置いておいたからね」と声をかけたら、「はいは〜い、ありがとう」といつも通り。それが最後の会話だった。

カンナ 父によれば母はその夜、あまり食欲がなくて、『紅白歌合戦』の途中で「もう寝るわ」と寝室に行ったそうです。

はづき 父は母に呼ばれるとわかるよう、ブザーを持っていて。それがブッと鳴ったので寝室に行ったら、「なんだかちょっと息が変なの」。抱き起こすと、母は父の小指に掴まった。父が「吸って〜、吐いて〜」と言いながら3回背中をさすったら、指がすっと離れて、父に寄りかかって眠ったようになって——。

ベッドに戻したけど、なんだかいつもと様子が違うので、私に電話をかけてきたの。それで駆けつけて、「ママ〜、酔っぱらってるの?起きて〜」と話しかけたけど、ふと気づいたら息をしてない。それで慌てて救急車を呼んで……。

カンナ あなたから電話をもらって、すっかり気が動転。でもどこかで、「来るべきものが来たか」という思いもあったのよね。

はづき 夫(俳優の杉本哲太さん)は仕事でいなかったけれど、息子も娘も病院に来てくれた。スペインで暮らしている弟の善之介以外、みんな集まったね。

カンナ 病院では母のそばで死亡診断書を待ったりして、いつ年が明けたんだかわからない、不思議な年越しだった。

はづき 年末、雲が龍に見えることが何回かあったの。来年は辰年だし、と思っていたら、大晦日に母が軽やかに天に昇っていったでしょう。あぁ、龍が母を迎えに来ていたのかなと思った。


「あの母親のもとで、私たち、よくまっとうに育ったと思う。(笑)」(はづきさん)

カンナ 一昨年末に母からもらった手紙に、「さすがに頭も身体も弱ってきました。私のトレードマークの《明るさ》を懸命に演じていますが……なるべく、お父さんやあなたたち姉妹にこれ以上、迷惑をかけないように、明るくポッツリといなくなりたい!!」と書いてあった。

母の手紙はいつもセンチメンタルで、《ちょっとアンニュイなメイコさん》を演じている。だから「いつものおセンチね」と思ったけど、今になって読み返すと泣けてくる。「お母さん、本当にそう思っていたんだな」って。

はづき 明るくポッツリ……言った通りになったよね。肺塞栓は、肺の血管に血栓が詰まって、わりとすぐに逝くみたい。たぶん父に起こされて、小指に掴まって背中をさすられた時、「今だ!」と思ったんじゃない?

カンナ やっぱり女優さんよね。

はづき 母は「自分は2歳半から仕事をしていたのに、代表作がないのがコンプレックス」と言っていたけど……。

カンナ 最期が代表作!

はづき まさか、あんな映画みたいな最期になるとは!

カンナ 最愛の夫にもたれかかって、まさに眠るように。まったく苦しまなかったんでしょうね。本当にきれいな顔だった。

はづき 美人女優みたいだったわよね。

カンナ そう、そう。《中村メイコ》は喜劇女優のはずなのに。

はづき 家族で見送る時、「しらふでは三途の川を渡れないので、唇をウィスキーで湿らせてあげていいですか」と納棺師の方にお願いして……。

カンナ 私たちが「お棺がお酒臭くなっちゃう」なんて言い合っている横で、父はず〜っと「きれいだよ、きれいだよ」と母に話しかけていた。「前髪をもう少しきれいに直してあげよう。ブラシはどこだ」と探して、髪を梳かしてあげたりして……。


姉妹でメイコさんの楽屋を訪れて。1971年、メイコさん37歳頃(写真提供:カンナさん、はづきさん)

娘の友だちを「夜の世界」に招待


はづき 今思うと、母はまさに規格外の人だった。

カンナ よく、《お母さん》になったよね。

はづき あの母親のもとで、私たち、よくまっとうに育ったと思う。(笑)

カンナ 父は母のことを、「変わっている人だけど、あの人をお母さんと思っちゃいけないよ。《中村メイコさん》だと思って接しなさい」と言っていた。

はづき 父は良妻賢母が苦手で、変わった女性が好きなのよね。

カンナ そうそう。

はづき 私は10代の頃、母に反発していた。「つらいことがあったらママに話しなさい」と言われても、「あなたに話すことはない」みたいな感じで。

カンナ そうだったね。

はづき でもよく一緒に遊びには行っていた。この間、高校時代の同級生と会ったら、「ゲイバーもレズビアンバーもディスコも、おばちゃまに連れていってもらった」って。

「初めてチークダンス踊った相手はおじちゃまなのよね」という人もいたし。母が「早く踊ってらっしゃい。チークもできなかったら、あなた、大人になって困るわよ」とけしかけたらしい。

カンナ 母らしいねぇ。ジルバもよく踊ってた。

はづき 私たちの友人からも大人気。「もっと飲ませて、おばちゃまを酔っ払わそうよ」とか言って。酔っぱらうとモノマネしたり、いろいろなことするから楽しいのよね。

カンナ 母は、娘の友だちを、自分の友だちにしてしまう。

はづき 私たちのお誕生会の時は、《母親》を演じてたでしょう。ある時は山岡久乃さんみたいに絣の着物を着て、「さ、おあがんなさい」。(笑)

カンナ 桜茶出したりして。

はづき 別の時は三田佳子さん風になったり。私が「わざとらしいんだけど」って言うと、「あら、そう?じゃあ着替えてくるわ」。まるで、「てんぷく笑劇場」みたいだったよね。

<後編につづく>

婦人公論.jp

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