写真の流出、生放送中に倒れたことも…加藤綾子(40)がフジテレビ退社を決めた“切実な理由”
2025年4月23日(水)7時10分 文春オンライン
フリーアナウンサーの加藤綾子が、この4月よりテレビ東京系の人気ロケ番組『なぜソコ?+』に新MCとして出演を始めた。2021年に結婚し、翌年10月より一時休業に入っていた加藤にとってこれが2年半ぶりのレギュラー番組となる。休業の理由の一つは「家族との時間をより大切にしたい」というものであったが、昨年暮れには第1子を出産し、家族に新たな一員が加わったばかりだ。そのなかできょう4月23日、40歳の誕生日を迎えた。
キー局3社から内定をもらった「スーパー綾子」として注目
周知のとおり、加藤は2008年から2016年まで8年間、フジテレビに在職した。同局では入社早々、テレビに出ないうちから注目される。音楽大学卒という当時のアナウンサーでは珍しかった学歴に加え、就職活動ではフジだけでなく日本テレビとTBSからも内定をもらったと伝えられていたからだ。週刊誌などでは「スーパー綾子」なる異名もつけられた。

折しもフジでは人気アナウンサーだった高島彩の退社が噂されており(実際に退社するのはその2年後の2010年)、その後釜とも目された。入社から半年後には、歴代の新人女性アナウンサーから1人(そのなかには高島も含まれる)がMCを務めてきた深夜のトーク番組に抜擢されたことからも、社内で期待されていたのはあきらかだ。ちなみにこの番組のタイトルは、初代の千野志麻の『チノパン』以来、MCの名前の一部に「パン」をつけるのが慣例となっており、加藤のときは『カトパン』と題されている。
音大卒、音楽の先生になるつもりだった
とはいえ、加藤は最初からアナウンサー志望だったわけではない。5歳からピアノを習い、子供の頃はピアニストになるのが夢だった。その夢は国立音楽大学の附属高校に入学し、周りのレベルの高さを目の当たりにして断念したものの、その後は音楽の先生になるつもりで、大学で教員免許も取っている。幼い頃から音楽に親しみ、しかもおしゃべりだったという彼女なら、きっと先生になっても子供たちにその楽しさを伝えられていたことだろう。しかし、大学時代、ある出来事をきっかけに一転してアナウンサーを目指すことになる。
付き合っていた男性からの一言がきっかけで…
きっかけとは、当時付き合っていた男性からの何気ない一言だった。社会人になったばかりだった彼氏は、あるとき加藤に「君には何か魅力が足りない」「先生になるのが目標というけど、どうしてもなりたい、というふうにも見えないし」といきなり指摘したかと思うと、「たとえば、毎日違う情報を伝えるアナウンサーなんて、すごく刺激的な仕事でしょ。魅力的な女性になれるかもね」と勧めたという(加藤綾子『あさえがお』小学館、2016年)。
恋人からの助言にすっかりその気になった彼女は、アナウンサースクールに通い始めた。そのかいあって、大学3年の10月頃にはフジから内々定をもらったものの、その彼氏には同時期に浮気が発覚し、けっきょく別れたという。彼は加藤に素質を見出したというわけではなく、単にミーハーでそう言ったにすぎなかったようである。
フジの入社試験で「セクシーポーズをとってください」
ところで、加藤がかつてメディアで披露したフジの入社試験の際のエピソードが、最近になってネットで波紋を呼んでいる。ネットで俎上にのぼっているのは、加藤の過去のテレビでの発言のようだが、彼女は週刊誌の対談でも同じ話をしていた。それは、面接で「セクシーポーズをとってください」と言われたというものだ。
これに加藤はどう反応したか、彼女の発言を引用すると、《私、「えっ」と思って、スカートをつまんでちょっと上げたんですよ。私が女性の中で最初に面接を受けたんですが、あとで他の人に「ねえ、セクシーポーズ、何した?」って聞いたら、みんな言われてないんです。私が変にやりすぎてしまって、質問自体なくなっちゃったんです(笑)。会社としては軽い笑いの質問だったのに、ほんとに「ごめんなさい」みたいな(笑)》(『週刊朝日』2016年12月9日号)。対談ではこの発言の前に、面接で同じ質問を受けた先輩アナウンサーの反応について語られているので、おそらくフジではこの質問が恒例となっていたのだろう。
加藤が笑い話としてかつて語っていたものが、昨年暮れ以来、出演タレントの性加害とそれに対するフジテレビ側の対応が問題化するなかで、性加害やセクハラに見て見ぬ振りをしていた同局の体質を示す証拠として掘り返されてしまった。しかし、発言当時、メディアではとくに指摘も入らず、そのままとりあげられていたことを考えると、これは単にフジだけの問題ではないだろう。問題の本質を突き詰めるなら、女性アナウンサーについてこれまでメディアがどのように扱い、受け手である私たちはどんなイメージを抱いてきたかについても考え直さなければいけないのではないか。
過去の写真が流出し、アナウンサーを辞めようと考えた
テレビ局の社員ゆえ規律ある言動が求められる一方で、ときにはタレントのように扱われ、プライベートにまで関心が集まる。その傾向はあきらかに男性アナウンサーよりも女性アナウンサーに対してのほうが強い。こうした風潮のせいで、加藤は新人時代、アナウンサーを辞めようと考えるほど追い詰められたことがあった。高校時代に当時流行りだったギャルメイクで撮った写真が流出し、雑誌やスポーツ紙に掲載されてしまったのだ。
これには自分が恥ずかしいというばかりでなく、周囲の反応も露骨に変わって傷ついたという。何より、このことで「親の教育が悪い」と言われるようなことになれば、両親に申し訳が立たず、耐えられなくなった。ついには自分にこの仕事は無理だと思った彼女は、アナウンス室長に異動を申し出る。だが、室長は「まだ舟は出たばかりだから、もう少し続けてみたら」と言ってくれ、思い留まったという。
じつは加藤は幼い頃からアトピー性皮膚炎に悩まされてきた。食べられるものは限られ、体調や季節の変化によって肌の調子が大きく崩れることもあった。中学1年から2年の夏にかけて症状がもっとも悪化したが、その後かかった医師が処方してくれた薬のおかげでかなり改善されたという。おかげでそれまで憧れながらもあきらめていたメイクもできるようになった。先述のギャルメイクも、そのために舞い上がってしまったことも理由の一つにあったようだ。
ただ、当時、そんな娘を見かねた母親から、「お父さんがどういう思いであなたをこの学校に入学させたか、わかってるの?」と叱られたことがあった。じつは両親としては家の経済事情から本当は公立高校に行ってもらいたかったのだが、これまでアトピーでつらい思いをしてきた加藤を慮って、父親が小遣いを減らしてでも彼女には好きな学校に行かせてあげたいと言ってくれたというのだ。これを聞いて、彼女は感謝の気持ちでいっぱいになるとともに、自分が恥ずかしくなったという(前掲『あさえがお』)。
何気ない立ち居振る舞いにも気を配るように
フジの社内でも厳しく指導されることは多かったらしい。アナウンス室には電話が鳴ったらワンコール以内で出なければならないとの決まりがあり、彼女は食事の途中、受話器を取ったことがあった。このとき、箸を丼のなかに置いたまま電話に出たのを、ある先輩が見ており、「そういう箸の扱いとか、行儀の悪さはいくら隠したってテレビには映る」と叱られてしまう。以来、彼女は普段から何気ない立ち居振る舞いにも気を配るようになった。
好きなアナウンサーランキングではいつも上位
一方で「アナウンサーはこうあるべき」と型に囚われていたのを解き放ってくれたのが、人気番組『ホンマでっか!?TV』で共演した明石家さんまである。入社2年目で出演を始めた当初、話を振られても、ありきたりの返答しかできなかった加藤に、さんまは「なんやねん、おまえ、いつもカッコつけやがって」とツッコミを入れた。そこで彼女は、場合によってはあえて素の自分を出すことで盛り上げ役になることを覚えたという。
『ホンマでっか!?TV』と前後して入社1年目より早朝4時からの生番組『めざにゅ〜』に出演を始めた。2010年4月にはそのあとの時間帯の帯番組『めざましテレビ』のキャスターに起用され、すっかり同局の朝の顔となる。
『めざましテレビ』のキャスター時代の2011年に東日本大震災が発生してからは、毎週末に被災地へ通って取材を行った。このほか、『ホンマでっか〜』などのレギュラーや単発での収録もあり、朝から晩まで仕事に追われる生活が退社まぎわまで続くことになる。当時からアナウンス能力の高さには定評があり、好きなアナウンサーのランキングではいつも上位に入るほどの人気を誇った。このときには彼女は名実ともに「スーパー綾子」となっていたといえる。
朝から晩まで仕事に追われ、番組収録中に倒れたことも
だが、加藤も生身の人間である。働きづめの生活は心身への負担も大きかった。2014年には『めざましテレビ』の生放送中に倒れ、急遽スタジオを退出、翌日も番組を休んでいる。それ以前にも『ホンマでっか〜』の収録中に倒れたことがあった。たびたびの事態に、いまのまま仕事を続けるのは難しいと感じ、退社を意識するようになったという。
フリーに転身直後の対談では、《番組がイヤだとかではないので、担当を外れたいとは言えなかったですね。でもこのままだと、絶対どこかでまた倒れてしまうのは間違いないと思ってました。会社に対しては、自分を育ててくれ、感謝しかないだけに、退社するのは苦しい決断でした……》と明かしている(『週刊文春』2016年6月2日号)。しかし、自分を守れるのは自分しかいないと思い、当時の社長・亀山千広へ直々に退社を伝えたのだった。
退社してフリーに転じたのは、2016年5月のことである。これ以後も『ホンマでっか〜』などフジでのレギュラーを継続しつつ、活動の幅を広げていった。もっとも、当初は、自分の意思をはっきり示さねばならない立場になったことに戸惑いも感じていたようだ。
ドラマ、報道にも新たに挑戦
2018年にはTBS系のドラマ『ブラックペアン』で治験コーディネーターの役に抜擢され、演技に本格的に挑戦した。じつはフリーになった直後よりドラマへのオファーはあったものの、ずっと断っていたという。それが同年にNHKの朝ドラ『半分、青い。』にワンシーンだけ出たところ、楽しいと感じた。さらにその直後にキャスターとして平昌冬季オリンピックで選手を取材するうち、《失敗するのが怖くて挑戦しないというのはダメなんだな、私も前向きに頑張ってみようと》思うようになったという(『週刊文春』2018年5月31日号)。
翌2019年4月からは、新たに始まったフジ系の夕方のニュース番組『Live News イット!』のメインキャスターに起用される。それまで情報番組である『めざましテレビ』やスポーツ番組でメインキャスターを務めてきたものの、報道番組ではこれが初めてであった。
同番組スタート直後のインタビューでは、《ニュースをきちんとお伝えすることはもちろんですが、私が求められている部分は、番組をしっかりとつくり上げて、それをどれだけ皆さんと心地よく共有できるかということ。それが第一の仕事だと思っているので、新しい自分とか、キャスターとしてこうならないといけない、と考えるのではなく、今までの経験の延長線上で進んでいければ》と抱負を述べていた(『エッセ』2019年7月号)。肩肘張ろうとしない発言に、体調を崩したことを含めてそれまでの経験が活かされていると思わせる。
『Live News イット!』は2022年に休業に入るにともない卒業した。そして今春、本格的に活動を再開。フリーになってからも古巣のフジの番組への出演が多かっただけに、いまだに同局のイメージが強いが、今回のテレビ東京の人気番組のMC就任でそれも変わっていくことだろう。彼女が新たな色を奏でていくことを楽しみにしたい。
(近藤 正高)