梶芽衣子77歳、6年ぶりライブ ヨーロッパの音楽関係者の言葉に「やってやろうじゃん!」と奮い立つ

2024年5月13日(月)18時18分 オリコン

アルバム『7(セッテ)』発売記念LIVEに登壇した梶芽衣子

写真を拡大

 女優で歌手、キャリア59年目にして77歳の梶芽衣子が12日、東京・SHIBUYA PLEASURE PLEASUREで新アルバム『7(セッテ)』発売記念ライブを開催した。梶芽衣子がライブを行うのは、実に6年ぶりのこととなった。

 この6年間で梶芽衣子は歌手活動よりもNetfixで配信された『幽☆遊☆白書』で主人公の師である幻海役、テレビドラマ『きのう何食べた?』(テレビ東京)の劇場版(東宝)で主人公シロさんの母親久栄役をはじめ、映画を何本もかかえ女優業に専念していた。ファンも2018年3月にアルバム『追憶』のリリースにあわせて行われた新宿ReNYでのライブが「最後だったか?」と思っていたはずだ。

 では、なぜ新アルバム『7(セッテ)』を制作し、今回のライブに至ったか?また、梶芽衣子がどのように動いたのか?これにはちょっと説明が必要だ。

 話は2013年、クエンティン・タランティーノ監督の映画『キル・ビル』にさかのぼり、梶芽衣子の代表曲「修羅の花」「怨み節」を劇中歌で流れたときの驚きと同じような動きがここ3〜4年間で欧州の音楽市場で起きている。梶芽衣子の歌のお宝探しが始まっていた。

 2021年にはアルゼンチンの男女2人組デュオ、カンデ・イ・パウロとコラボレーションした「修羅の花」がイギリスのデッカ・レコードから世界配信され、昨年はフランスのレーベル、ウィーウォントサウンズからアナログLP盤が発売された。これは1973年(昭和48)6月にリリースされた『梶芽衣子のはじき詩(うた)集』で、なんと50年も前のアルバムが現地のヒットチャートで100位台にランクされ、ロンドンではレコード店の店頭に並んでいるそうだ。

 そんななかで梶芽衣子に欧州の音楽関係者から「新曲はないのか?」と。このオファー的期待感ありありの一言がきっかけとなり、本人は奮い立つ。その後の流れはライブをレポートしながら記述していく。

 SHIBUYA PLEASURE PLEASUREは約300席。そこを埋め尽くしたのは梶芽衣子と同世代が70%(男女比6対4)なかには着物姿の女性もいて、40代以下が25%。残りの5%はおたくっぽい20代〜30代の男子(推定)。

 バックバンドはISAO TANAKA(Gt)、ICHIRO(Ba)、KANGO ANZAI(Dr)酒井ミキオ(Key)、そして『7(セッテ)』のプロデュサーでもある鈴木慎一郎(Gt)が音楽監督を務めた。『7(セッテ)』とは、梶芽衣子のデビューが17歳だったりこだわりのある数字。

 ステージに登場した梶芽衣子のファッションは白いスーツと思いきや、スポットライトがあたるとオフホワイトのジャケットに白いセーターと白いパンツと微妙な色使いということがわかり、77歳には見えないその存在感にファンは圧倒されたと思う。

 『7(セッテ)』からの「愛の剣」「心焦がして」「星空ロック」と3曲続いてMCに入る。梶芽衣子と同世代にとって、やはり梶芽衣子といえば人気時代劇テレビ『鬼平犯科帳』(フジテレビ)の密偵おまさ役の印象が強く、5人の若者バンド(といっても平均年齢は40代)を引き連れたギンギンのロックには戸惑いを隠せない。

 しかしMCで場が和む。先述した「新曲はないのか?」からを話し始めた。

 「そう言われると私もやってやろうじゃん!と思って普段お世話になっている関係者に相談しました。それが去年の6月で、みなさんすぐに動いてくださって、3月24日、私の誕生日にレコードを出すことになりました」

 背筋がシャキッとして神田生まれのシャキシャキの江戸っ子らしく、テキパキと話す。この話しぶりは密偵おまさ役を彷彿とし、梶芽衣子と同世代は間違いなく引き込まれていく。

 その後「真ッ紅な道」「恋は刺青」は、梶芽衣子がお初役で主演した映画『曽根崎心中』(ATG 1978)の増村保造監督が作詞したものだ。

 「大変尊敬する昭和の名監督で、あるときカラオケに誘ってくださって、内藤やす子さんの『弟よ』を歌いました。私、内藤さんってジャニス・ジョプリンみたいで好きだったんです。歌ったら監督が『君はもっと歌ったほうがいい』って言ってくださって、『だったら監督、詞を書いてください』とお願いしたところ、「恋は刺青」なんていうこわいのを渡されました(笑)。でも内容がいいんですよ。私は、その詞を大事に持っていましたが、今回の『7(セッテ)』に入れることになって慎ちゃんが曲をつけてくれたんです」

 慎ちゃんとはアルバムの音楽プロデューサー、ライブの音楽監督でもある鈴木慎一郎だ。現在49歳。彼は3歳のときに梶芽衣子に出会っている。父の鈴木正勝は美空ひばりや小椋佳、井上陽水浜田省吾などの音楽活動にかかわり、3000もの楽曲を手がけた辣腕プロデューサー。70年代中盤から梶芽衣子の音楽制作にも携わり、その関係で鈴木慎一郎は子ども好きな梶芽衣子に遊園地やサーカスに連れて行かれ、大事にされていた。

 その後京都太秦などの撮影の現場で梶芽衣子の付き人の経験もしている。彼は、10代後半から音楽の才能を発揮しソロシンガーとしデビューし、ロックバンドを経由のち、音楽プロデューサーとしての活動が注目される。

 そんなかで梶芽衣子に再会したのが6年前。アルバム『追憶』をプロデュースし、これは梶芽衣子にとって43年ぶりのフルアルバムとなった。そのなかで「怨み節」は、昭和レトロの雰囲気を残しつつロックという新しい切り口で蘇った。やはり信頼関係のなせる業だ。

 今や鈴木慎一郎は杉山清貴にも楽曲提供するなど脂の乗り切ったプロデューサーだが、親子して梶芽衣子を手がけたというのは、あまりない話だと思う。

 「私、今、とっても楽しいんです。6年前のライブから歌ってこんなにいいものかって、もっと歌いたいと思うになりました。ロックは演歌と違って一本道じゃないけど、頑張ってみます」

 ライブ最終は、映画『修羅雪姫』(1973年)の主題歌「修羅の花」。熱気を帯びたファンの拍手は鳴り止まない。アンコールでは八代亜紀の「舟唄」を披露。これはカバーアルバムでも歌っているが、生を聴くのは初めてという人がほとんどだったと思う。声もどこか八代亜紀に似ているが、しかしこれがどこか違って女優という仕事を重ねてきた梶芽衣子だからこそ、ドラマの大事なシーンのせりふのように心の中にしんしんと伝わってくる。

 次に待ってましたの「怨み節」(1973年12月29日リリース。映画『女囚さそりシリーズ』第4弾『女囚さそり701号怨み節』主題歌)。スタンドマイクを前に声量たっぷりで、若者5人組バンドもドラム、ベース、ダブルギター、キーボードのグルーブ感が、ここはいつの時代なのか?みたいな“飛び”が充満していた。

 梶芽衣子と同世代も着物姿の女性も40代もおたくっぽい20代〜30代の男子も「梶芽衣子のロックっていいじゃない!」と弾けたはずだ。

 「77歳のロック、いいじゃない?これからもやってやろうじゃないの!」そんな梶芽衣子のあの声が聞こえてくる。

松木直也

オリコン

「音楽」をもっと詳しく

「音楽」のニュース

「音楽」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ