松田聖子には「会うと緊張して下を向いてしまう」…“伝説の歌姫”中森明菜(59)が“突然の復活”→真相を語り始めたワケ

2025年5月14日(水)7時0分 文春オンライン

 2025年5月1日、中森明菜はデビュー43周年を迎えた。思い起こせば2022年、40周年記念に「中森明菜@akinan_official」としてX(当時はTwitter)のアカウントを立ち上げたのは8月30日だったが、あれからもう約3年も経つのかと驚く。



中森明菜 ©文藝春秋


 突然の復活に心配と期待の両方の声が上がったが、明菜は今も順調に活動範囲を広げている。今年4月19日〜20日には、小室哲哉とタッグを組んで、野外フェス「ジゴロック2025 〜⼤分“地獄極楽”ROCK FESTIVAL〜 supported by ニカソー」に出演。


 広い会場はギッシリとファンで埋まり、明菜あきなアキナAKINAとあちこちから飛ぶ歓声。中森明菜はそんな観客に向かい、小さいのに不思議とかき消されない声で、ユーモラスにこう返していた。


「生きてたぞぅ」。


 4月22日には、稲垣吾郎がパーソナリティをつとめるTOKYO FM『THE TRAD』に出演。5月1日には初のトリビュートアルバム『“明響”』がリリースされ、同日、その記念に開催されたコンサート『中森明菜 Tribute Concert “明響”』にもサプライズで登場している。


 これまで幾度も活動休止と復帰を繰り返しているが、今回はなにか少し違う。「表舞台に戻る」というより、誰かに感謝を伝えにきたイメージとでも言おうか。ゆっくりと扉が開き、彼女を待っていた人たちに笑顔を返す、そんな風に見えるのだ。


 今の彼女の姿に、もう一度伝説が動き出したようで、本当に力をもらうのだ。


 今年の活動を、少し振り返ってみたい。


SMAPファンだった中森明菜


 4月22日のラジオ『THE TRAD』では、中森明菜の大ファンという稲垣の素直な進行が、彼女の無邪気さを引き出していた。


 いきなり「なっかもり明菜ですぅー♪」という自己紹介。あまりの可愛さに腰が砕けたファンも多かったことだろう。


 中森明菜と稲垣吾郎の初共演は「SMAP×SMAP」の記念すべき初回、1996年4月15日まで遡る。SMAPは、森且行をふくめての6人時代で、明菜は歌のゲストとして登場。「TATTOO」と「がんばりましょう」をSMAPとともに歌っていた。


 あれからずっとSMAPのファンだったと語る明菜に、「そわそわそわ、それは嬉しい!」と噛みまくるなど、稲垣の浮かれっぷりが声色で伝わってくるのも微笑ましい。


 昨年、コラボレーションをした香取慎吾「TATTOO(feat. 中森明菜)」のレコーディング秘話から、稲垣が「もしも僕がカバーするなら『ミ・アモーレ[Meu amor e...]』か『ジプシー・クイーン』」と発言。これを受けて明菜は、


「異国情緒が大好きだったんです。昔、『異邦人』ってあったじゃないですか。ああいうのが大好きで、ああいう感じの曲をいただけないでしょうか、とスタッフにお願いして」


 という誕生秘話も飛び出した。


 なるほど、名曲は新たな名曲を生む。そして、もしかすれば、稲垣吾郎とのコラボで「ミ・アモーレ[Meu amor e...]」か「ジプシー・クイーン」が聴けるかもしれない。


 このラジオで大きな話題になったのは、明菜が語った松田聖子へのリスペクト。「裸足の季節」をレコード店の開店前から自転車を飛ばして買いに行ったエピソードを披露していた。


松田聖子には「会うと緊張して下を向いてしまう」


 中森明菜は「スター誕生!」で山口百恵「夢先案内人」を歌い、史上最高得点で優勝したことで知られるが、実はそれは8度目の挑戦。6度目の挑戦では松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌っている。「裸足の季節」を、自転車を飛ばして買いに行くほどの聖子愛を持っていた彼女なら、この楽曲に懸ける思いもひとしおであったことだろう。今さらではあるが応援したくなる。


 ただ、80年代を代表する女性アイドルとして、ともにセルフプロデュースに長けた二人は、仲が良いというより、火花を散らす「ライバル」という印象を持って語られることが多かった。しかし明菜は「ザ・ベストテン」時代から、松田聖子の大ファンであることを明かしており、「会うと緊張して下を向いてしまう」と語っていた。推しへの心はアイドル同士でも同じなのである。


 明るい歌声の聖子と情念を歌う明菜は「太陽と月」とも例えられるほど正反対の個性だが、聖子の明るく強い一面もまた、明菜にとっては憧れだったようだ。


「聖子さんって強い人だなァと思う。羨ましい。すごく頭のいい人なんでしょうね。だから自分を辛いほうに持ってゆくんじゃなくて、解消法をご存じなのかもしれない」。『マルコポーロ』1995年1月号では、そう語っている。


意外なほどにハマった小室哲哉との相性


 中森明菜は『ZERO album~歌姫2』(2002年)で松田聖子が歌う「瑠璃色の地球」をカバーしている。これは、松田聖子の歌の世界観を創った作詞家・松本隆の作品の中でも壮大なテーマを持った楽曲だ。明菜の囁くような繊細な歌声は、聖子のつややかさとはまた違う、「一瞬しかない空の色」の儚さを感じる。


 松本隆は中森明菜にも作品を書いているが、その一曲が、ジゴロックでも披露された「愛撫」(1994年リリース)。ドキリとする艶やかなタイトルだが、靴に縫われた金の刺繡糸と、夜空を走る流星が重なるような、松本隆ならではの色使いが美しい。夕暮れから夜に変わる妖しさと寂しさは、明菜にしか歌えない。彼女の低くかすれた声が、90年代J-POP特有の空気感に乗り、不思議な文学感を醸し出している。


 作曲は言わずもがな、小室哲哉。クレジットを見る前から「コムロやな!」とピンと来て顔を上げる、そんなメロディーラインである。ただ、実はこの楽曲、本格的なコムロブームの直前に作られている。シングルは1994年3月リリースだが、これはスタジオ・アルバム『UNBALANCE+BALANCE』からのシングルカットで、『UNBALANCE+BALANCE』は1993年9月にリリースされている。当時はtrfが「EZ DO DANCE」をヒットさせていた時期。プロデューサー小室哲哉の名を轟かせた篠原涼子の「恋しさと せつなさと 心強さと」(1994年)や安室奈美恵「Body Feels EXIT」(1995年)はまだ生まれていない。しかし、「愛撫」には、しっかりと最盛期のコムロサウンドを感じられて、今聴くと非常に興味深い。


 そして「愛撫」はカラオケで歌うと分かるが、音程は上がったり下がったり忙しく、さらには同じメロディーが何度も繰り返し、地味に難しい。これは作曲の小室の狙いでもあるようで、「簡単に聴こえてとてつもなく難しい、ビージーズの歌のようになればいいなと思って作った」としている。


 その“とてつもなく難しい”楽曲を、小室哲哉からの誘いとはいえ、約16年ぶりの公の場で披露した中森明菜。彼女のイベントに懸ける気迫とファンへのリスペクトを感じずにはいられない。


作詞家から見た中森明菜とは


 作詞家・作曲家が創った世界を見つめて、自分の心とすり合わせ、主人公をどう演じるかに命を懸けている中森明菜。聴き手だけではない。作り手たちも「どんなふうに明菜が自分の曲を歌うのか」は楽しみだったのではないだろうか。


 31枚目のシングル「原始、女は太陽だった」(1995年)を作詞した及川眠子は、明菜について「歌唱力、表現力などという歌い手には普通に要求されるもの。そういうものを超えた場所に彼女はいた」と語っている。


 そして、自身の大ヒット作「残酷な天使のテーゼ」を明菜がカバーした際、「『残酷な天使のテーゼ』を彼女のような表現方法で歌うのは、それこそ(私が聴いた中では)彼女だけだった」とし、「私があの詞の中にそっと忍ばせた情念を、彼女はまるで楽曲の中から取り出すように表現していた」と語っている(「婦人公論.jp」2022年6月19日)。


「隠していた情念を取り出す」。聴いた時の感触が伝わってくるようなこの言葉に、中森明菜が歌う「残酷な天使のテーゼ」を検索せずにはいられなかった。


「絶対歌いません。あれはもう歌えないんです」


 そして、情念を取り出す力があるからこそ、歌えなくなる曲もある。昨年12月15日に出演したラジオ番組「中森明菜のオールタイムリクエスト」では、「帰省〜Never Forget〜」について、「絶対歌いません。あれはもう歌えないんです」と言っていた。キーの高さがもう合わないことと、「悲しくて」という理由があった。


 時が過ぎ、過去の音源や映像でだけ聴けるようになる曲もある。かと思えば、今の彼女の声だからこそ、より美しさを増す「ジプシー・クイーン-JAZZ-」といった名アレンジも出てくる。


 時代、年齢により、想いは変わる。中森明菜のナチュラルに年を取りながら、再始動をする様子を見ると、つくづく歌は生き物で、その魅力や世界観は形や意味を変え、増えるものだと感じる。


「7月で還暦だしね」と笑いながら話す彼女。けれど、「明菜ちゃん」と「ちゃん」づけで呼びたくなるような小さな声と笑顔は変わらない。


 これから年末に向けて、様々な活動が予定されており、ラジオでも「一人でも多くのファンが喜んでくれるように一つ一つ頑張ります」と語る中森明菜。


 NHK紅白歌合戦に出場するのでは、という予想も早くも出ている。ただ、個人的な気持ちではあるが、出れば嬉しいし絶対に見るが、同じくらい、出なくてもいいとも思っている。


 稲垣吾郎がラジオの最後に言ったこの言葉は、きっと彼女を応援する多くの人の気持ちを代弁してくれている。


「明菜さんのペースでいいので、歌い続けていただきたいと思います。明菜さんが幸せになることが僕たちの幸せでもあるので」


 伝説が、令和の今、一つ一つ、じっくりやさしく動き出している。


(田中 稲)

文春オンライン

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