ゲームをプレイしたら「町並みに見覚えがある」父親と死んだ叔父も現れて…1人の少年が抱いた“既視感”

2025年5月21日(水)18時0分 文春オンライン


『きみはメタルギアソリッドV:ファントムペインをプレイする』(ジャミル・ジャン・コチャイ 著/矢倉喬士 訳)河出書房新社


 この短編集を読んでいる間、自分に問い続けていた——わたしはこれを語る言葉を持っているのか。


 書き出しの一文が決まれば、後は自然と書ける。それがわたしのスタイルだ。書き出しは浮かんでくる。けれどどれも、この作品を語る熱量、覚悟が足りない。思いついては捨て、また考え、諦めた。


 この作品にふさわしい気の利いた言葉、滑らかで舌触りの良い言葉などない。そんなものでは、足りない。


 全12編、どれも息をつめ、ため息をつき、震え、混乱し、恥じ入り、打ちのめされながら読んだ。


 表題作は、1人の少年がゲームソフトを買いに行く場面から始まる。念願のゲームを手に入れ夢中で遊ぶうち、少年は既視感にとらわれる。舞台となる町並みに見覚えがある。やがてゲーム内に、父親と死んだ叔父が現れる。これは過去だ、父親と叔父を決定的に損なった出来事が起きる前の。2人を救えば現実も変えられるのではないかと、必死にコントローラーを操作する。同時に彼は叔父と父親を両肩に背負い、戦地を進む現実を生きていた。


 理屈はない。ただ、焦燥感、夢の中でもがくようなもどかしさ、現実とゲームの眩惑的な往還、それらが圧倒的な速度と熱量で流れ込んでくる。


 カブールに移住した医師夫妻のもとに、息子の遺体が一部ずつ送りつけられる『差出人に返送』。


 壁の穴越しに交わされる密やかなシスターフッドと、女性の過酷な状況を描く『バフタワラとミリアム』。


 片思いに宗教・政治・紛争が交錯し、壮絶な結末を迎える『ハラヘリー・リッキー・ダディ』。


 サルに変身した息子とそれを戻そうとする母親の思いがけない遍歴『サルになったダリーの話』。


 暴力と死と銃弾と爆発と欲望と裏切りと愚かさと不条理と残酷さと祈りと愛に満ちた物語たち。不思議なことが起き、不思議のまま受け入れられる。生と死の熱狂のあわいで、すべてがそのままに在る。


 マジック・リアリズムと呼ぶのは簡単だが、それだけではない。誰かの人生を夢の中で角度を変えて何度も見ているよう。亡霊として、誰かの肩越しに付き添っているよう。


 ここに生きる人々の痛みも愛も、わたしはニュースやウィキペディア、ゲームの背景でしか知らなかった。その距離を、この小説は吹き飛ばした。


 わたしはまだ安穏と生きている。どうしても他人事だ。何かを知った気になっているだけだ。


 けれど、ゲームと現実が繋がったように、物語を通してわたしはそこに生きている人たちと繋がった。混迷と不寛容、分断が深まる世界のなかで、その繋がりにはきっと意味がある。


 これは、ただの読書ではなかった。痛みと希望のあいだを生きる人々との、深く静かな遭遇だった。



Jamil Jan Kochai/1992年、パキスタンの難民キャンプで生まれる。その後カリフォルニアに移住。2作目となる本書でクラーク・フィクション賞、O・ヘンリー賞等を受賞。


いけざわはるな/1975年、ギリシャ生まれ。声優、歌手、エッセイスト。著書にSF短篇集『わたしは孤独な星のように』等。



(池澤 春菜/週刊文春 2025年5月22日号)

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