「帰ってこいよ」真田広之、実現近づく“親友”との約束『SHOGUN』成功の裏には“恩師”の教え

2024年5月23日(木)17時0分 週刊女性PRIME

真田広之

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 2月よりディズニープラスで配信が始まり、全世界で900万回以上の再生という大ヒットを記録した配信ドラマ『SHOGUN 将軍』。5月にはシリーズ化が決定するなど、話題が尽きない。このハリウッド発の人気ドラマで主演を務めたのは真田広之

「同作は、'75年に発表された小説『将軍』が原作で、'80年にもアメリカでテレビドラマ化されています。当時は主人公を三船敏郎さんが演じていました。真田さんにとってはハリウッドデビュー21年目にして、初のハリウッド主演作です」(映画ライター、以下同)

 ハリウッドで名実共に活躍する日本人俳優は多くない。

渡辺謙さんや菊地凛子さんなどが高い評価を得ていますが、まだまだ日本人の存在感は薄い。そこに単身渡米して、風穴をあけたのが真田さんです。日本人が主演というだけでなく、プロデューサーとしても起用されたというのは衝撃でした」

 そこに至るまでの道のりは、長く険しいものだった─。

テレビドラマ初主演作がフランスで大ヒット

 東京生まれの真田は、5歳のときに劇団入りし、子役として活躍。'73年、13歳で千葉真一さんが主宰した『ジャパンアクションクラブ』(以下、JAC)の門をたたく。数年して、めきめきと頭角を現した。

 今でこそ世界的な俳優となった真田だが、実は10代から海外で知られた存在だった。真田の名を知らしめたのが、'78年にテレビドラマ初主演作となった『宇宙からのメッセージ 銀河大戦』(テレビ朝日系)だったという。真田と仕事をしたことがある、特殊メイクアップアーティストの原口智生氏はこう話す。

「この作品は日本ではまったく人気がなかったのですが、フランスで大ヒットしたんです。私の知り合いのフランス人は、みんな真田さんのことを今でも当時の役名で知っていますよ。仮面ライダーなどの特撮モノでは、変身後はスーツアクターが演じるのですが、『宇宙から〜』では変身後も真田さんが演じていました。その演技が、とにかく素晴らしいのです」



転機となったハリウッド作品

 真田が初めて海外進出を果たしたのは、'82年に香港で製作された映画『龍の忍者』。この出演をきっかけに、真田は香港やアメリカでアクションスターとして名を馳せる。

 '89年、千葉さんとギャラを巡って対立。同年、真田はJACを離れる。

 ここから少しずつ、真田の出演作が変化していく。真田は、過去の雑誌インタビューでは、こう話していた。

《歌もダンスもいろいろやったわけですが、なぜかアクションスターという看板がつきました。意識的にアクションを避けて、出演作を選ぶようにしました》

 真田が出演した'90年公開の映画『病院へ行こう』は、病院の内情をユーモアたっぷりに描くコメディーだ。前出の原口氏も、特殊メイク担当として製作に参加していた。

「真田さんは、階段から転落したことで右足を骨折して入院する会社員の役。そこで私が気になったのは、真田さん本人が階段から落ちたのか……ということ。助監督にこっそり聞くと“真田さん本人がシッカリと転がり落ちました”と言うんです。当時はもう売れっ子でしたから、ケガでもしたら大変なこと。でも、アクションが大事な映画じゃないのにスタントマンを使わないなんて“さすが!”とうれしく思ったのを覚えています」



 危険を顧みないリアルな演技にこだわる一方、20歳のころからロンドンやニューヨークを訪れて、本場の映画や舞台などに触れた。自身の演技に足りないものは何か、自問自答し続けた真田の思いは、このころから海外へと向いていた。

 転機となったのが、'03年に公開されたトム・クルーズ主演の映画『ラスト サムライ』。映画業界関係者が当時を振り返る。

「海外で日本を舞台にした作品を作ると、まったく違う世界観になってしまうことがあります。真田さんはそれが許せず、おかしなところは“直したほうがいい”と製作側に意見した。しかし、疎んじられることも多く、現場にいた日本人スタッフからは“真田さんが、かわいそうだった”という話も聞こえてきました。意見が通らないことが、かなりあったみたいです」



 同作の興行収入は137億円を記録する大ヒットを収めたが、真田には複雑な思いが残り続けた。その思いを払拭するため、真田は'05年に渡米。そこで待っていたのは、苦難の日々だった。

「日本では人気俳優でも、ハリウッドでは、ただの日本人。オファーもなく、仕事を獲得するためオーディションを受け続けたと聞いています。しかし、言葉の壁も厚く、思うように進まなかった。日本人への偏見や差別意識もあったようで、嫌な思いをすることも少なくなかったようです」(同・映画業界関係者)

親友との約束

 真田は、それでも挫けず前を向いた。信頼を勝ち取り、少しずつオファーが舞い込むように。そして辛酸を舐めた『ラスト サムライ』から21年目にして、ついにチャンスをつかんだ。

「『SHOGUN 将軍』では、真田さんはプロデューサーとして徹底的に日本を忠実に描くことを心がけた、とインタビューで答えています。セットから演者の立ち回りまで“正しい日本を描いた作品を作りたい”と願い続けた、真田さんによる集大成の作品です。関係者から聞いた話では、高い場所から飛び降りる場面の撮影では、スタントマンを使わず真田さんが演じることもあったそうです」(前出・映画ライター、以下同)

 肉体は俳優の言葉─。千葉さんの教えを受け継ぎ、真田がハリウッドで花を咲かせた。

 一方、かつて、ある約束を交わした親友がいる。



「同い年である佐藤浩市さんとは'86年の映画『犬死にせしもの』で共演して以来の大親友。今も真田さんの帰国時には一緒に飲むこともあるそう。2人は共演した当時、雑誌の対談企画で“『犬死に〜』の続編を自主製作でやろう”と話していました」

 若き日に勢いで言った、冗談だったかもしれない。だが、'22年にバラエティー番組に出演した佐藤は、真田とのこんな会話を明かしている。

「佐藤さんが“もういいじゃねぇか、帰ってこいよ。日本でまたやろう”と伝えたところ、真田さんは“意地を張ってるわけじゃないんだよ。アメリカ、楽しいんだよ”と答えたそう。ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、佐藤さんの中には、また真田さんと一緒に映画を作りたいという思いがあるように感じました。『SHOGUN 将軍』はシリーズ化されるため、まだ先になるとは思います。しかし、真田さんがハリウッドで大成功を収めた今、かつて2人が語っていた“夢”は、実現へ一歩近づいたはず」

 その思い、形になれ─。

週刊女性PRIME

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