《うかつなこと聞くなよ。しょうもないこと、書くなよ》1軍投手コーチ→4軍監督に…周囲から“左遷”といわれた「斉藤和巳」が明かす“意外な本音”
2025年5月29日(木)7時20分 文春オンライン
1995年に福岡ダイエーホークスに入団。直後はなかなか思うような活躍が見せられてはいなかったが、本格派右腕のエース候補として王監督らから期待されており、2003年には20勝3敗の成績で「沢村賞」を獲得した。その投手は斉藤和巳。引退後は評論家を経て、福岡ソフトバンクホークスのコーチ陣に組閣された。
1軍投手コーチを経て、2024 年シーズンから4軍監督へと配置転換された彼を“左遷”と揶揄する向きもあったが、斉藤和巳自身は当時の宣告をいかに受け止めていたのか。ここでは、スポーツライターの喜瀬雅則氏による『 ソフトバンクホークス 4軍制プロジェクトの正体 新世代の育成法と組織づくり 』(光文社新書)の一部を抜粋して紹介する。(全4回の1回目/ 続き を読む)

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ダイエーの、そしてソフトバンクの絶対的エースとして一時代を築いた右腕を、私もかつて、担当記者として取材する機会が度々あった。その時の印象を正直にいえば、常にピリッとした空気をまとった、ちょっと近寄りがたい存在でもあった。
うかつなこと聞くなよ。しょうもないこと、書くなよ。
己の心に、よけいな波風を立てたくない。その緊張感が、常に斉藤からは伝わってきた。
「現役の時は、まず、自分がちゃんとしないと意味がなかった。今もそこは大きくは変わらないですけど、選手たち、コーチ、スタッフもいるしね」
その斉藤が、2024年に2代目となる「4軍監督」という肩書を背負った。
「『4軍監督をやってくれ』って言われた時は、まさか、という思いはありましたよ。もちろん。即答はできなかったです。ちょっと時間をください、と言いました」
SNS上で「左遷」と騒がれた4軍監督への転身
2013年7月の現役引退から10年ぶりとなる2023年、斉藤は1軍投手コーチとして、現場へ戻ってきた。しかし、その年のチームは3位に終わり、チーム防御率も3.27のパ・リーグ4位。クライマックスシリーズでもファーストステージで敗退すると、監督2年目の藤本博史は辞任。2軍監督だった小久保裕紀の1軍監督昇格が決まり、新体制へと切り替わっていく中での「配置転換」の要請だった。
「正直、4軍のイメージが湧かない。実態があるのは分かっているけど、全然イメージが湧いてこないんです」
斉藤は、フロント首脳との話し合いの中で、正直な戸惑いを吐露した。
やりがいを見出せるのかという「逡巡」
発足2年目の4軍は、走りながら体制を築き、磨きをかけていく真っ只中であり、それこそ発展途上の組織でもある。選手のほとんどが背番号3桁、2024年2月のキャンプイン時の育成選手の平均年齢は22.0歳、10代も9人いて、30代は1人もいない。未完成ともいえる若き選手たちに対し、自分に一体、何ができるのか。他球団の前例がなく、自らの現役時代にもなかった「4軍」という新たな組織を実態として捉えられず、やるべきことがすぐには見出せなかったという斉藤の思いは、ポストを断る口実ではなく、新たなるチャレンジに踏み切るべきか、やりがいを見出せるのかという「逡巡」でもあった。
その迷いを振り切る“きっかけ”があった。
「イメージが湧いて悩んでいるんやったら、やめた方がええ。でも逆に、イメージが湧いてないっていうんやったら、やってみたらどうや」
現役時代の斉藤とも一緒にプレーした2歳年上の編成育成本部長・永井智浩から、GMの三笠杉彦らフロント首脳も交えたミーティングの場で、斉藤はそう問い掛けられた。
「確かに、と思わされたんです」
斉藤の心に、永井の言葉が刺さった。
「1軍のコーチを1年やらせてもらった。現場に戻る前も、野球教室で子供たちに『チャレンジしよう』『トライしよう』と言っていた。なのに、ここで引いたら、自分の生き方を覆してしまう、と思ったんです。球団のため、選手のためという前に、きれいごとではなく、まず自分のためにトライしようと」
そうした決意のプロセスも、その胸の内も知ってか知らずか、周囲が無責任にあれやこれやと憶測を繰り広げるのも、斉藤和巳という野球人の存在感の大きさゆえだ。沢村賞2回、つまり、日本の頂点を極めた大投手が、4軍制という、ヒエラルキーでいえば、トップから“最下層”へと持ち場が移るのだ。
ふと、ネットニュースを見ると、「左遷」という衝撃的なフレーズが、斉藤の目にも飛び込んできた。
「去年(2023年)、ああいう負け方をしたんで4軍に行かされたと。それで『左遷』と言われたんでしょうね。そう言われても当然の流れではあるので。あの結果を踏まえて、たかだか1年でこうなって、そう思われてもしょうがないなと。でも僕は、『死ぬまで成長や』と思っていますから」
「コーディネーター制」における4軍監督の役割とは
背番号も「011」に変わった。かつてのエースが、3桁の背番号を背負う。
4軍制の発足に合わせて、ソフトバンクに「コーディネーター制」が導入され、斉藤の4軍監督就任となる4軍制2年目は、その人員が2人から4人に拡充された。データ分析、筋力トレーニングやコンディショニング、故障者のリハビリなど、ありとあらゆる担当部門が細分化された。練習プログラムにも年々、最新鋭の機器が導入され、その内容が日進月歩でアップデートされていく。
目まぐるしいまでのスピード感の中で、普段の練習内容や試合での選手起用などの方針も、斉藤が率いる4軍の現場では、コーディネーターと綿密にすり合わせ、若き育成選手たちの育成に向き合っていく必要がある。
「監督」になったからといって、4軍の育成方針を自らが立て、その“監督方針”をコーチや選手たちに下ろすといった、監督主導でのトップダウンの組織形態でもない。
野球の現場が、明らかに変わろうとしている。
「どこの世界でも、社会でも、自分の思い通りにはいかないということが普通なので、そこでどうするか、どう考えるかというのが大事だと思うんです。何をするにしても、球団の方向性を理解する。ただ、それで自分がなくなってしまっては意味がない。球団が考えてくれたポストなので、そこには自分の考えも入れていかないといけない。自分が感じたことは、コーディネーターなどに、ちゃんと話すようにしています。
すべてが自分で動かせるものではないことも理解しながら、コーディネーターの人たちの意見を聞いて、こういう方向で行きたいんやな、ということも理解する。そのためにどうしたらいいのか、今度はこっちが考える。やりながら、この方が良くないか、こう思うけどどう、と話をする。
フロントの方がどう考えているか、本質は見えない部分があるかもしれないですけど、最終的に現場でいろんなことを作っていかないといけない。だから、ちゃんとコミュニケーションを取らせてもらいながら、何がいいのかトライしていく。最初から完璧はないし、自分の考えだけでいくとエラーばかり出てしまう。ちゃんと共有しながら進んでいけば、少ないエラーで済むのではないか、と思っています」
選手交代も監督の一存だけでは決められない
ソフトバンクでは、選手個々の育成プログラムに応じて、試合では、投手なら年間のイニング数、打者なら打席数が決められている。3年後のエース、5年後の4番打者、さらには10年後のレギュラーといった中長期的な計画を踏まえ、選手個々の期待度や成長ぶり、年齢やプロでの経験年数などに応じて、ノルマも“傾斜配分”される。だから試合前にコーディネーターと打ち合わせた上で、この選手には何打席、その後にはこの選手を守備から出して、残りイニングで何打席といった目安も立てる。
そのプランに沿って、監督は試合での選手起用を行う。選手交代一つを取っても、監督の権限だけでは決められない要素が、この育成システムに内蔵されているのだ。
「球団がコーディネーターをつけて、統括している。そこで各ピッチャー、キャッチャー、内野、外野、バッターなど、将来のチームをどうしていくのか、という方向性を作り上げている。そこで一人一人の選手にフォーカスして、今、何が足りないかというのをやってもらっている、と僕は信じている。技術的なことを監督が言うと、立場的に絶対になってしまう。
全く言わないわけではないが、たまにしか言わないです」
斉藤の実績からすれば、例えば投手の指導をすれば、それはどんな実績のあるコーチ以上に、説得力を持ってしまう。プロ野球の世界とは、実績で語られる世界でもある。
だからといって、遠慮するわけではない。
チーム作りの観点から、フロントは中長期での育成プログラムを組む。さらに最新鋭の機器によるデータ分析、動作解析から、選手個々の練習メニューも組まれる。そうした調整はコーディネーター主導であるが、それを日々の練習、あるいは試合に落とし込みながら、進捗状況をチェックしていくのは現場の監督とコーチ陣になる。
その管理と調整における4軍の総責任者が、斉藤の役割というわけだ。
いまの若いやつらは
「やっぱり、手段と手法は変わっている、というより、変えないといけないですね。そこはちゃんと理解をしないといけないと思っています。昔の形とは違いますし、今の手段、方法を自分がいろいろと経験していけば、選手へのアプローチの形や話し方も変わっていきますからね。
今、自分が(組織の)中にいて、こういう立場で言うのは良くないかもしれませんが、プロ野球だけでなく、アマチュアも、教育者の人たちもそうですよね。学校の先生なんて、一番難しいところにいると思います。僕は“両方”を知っている。過去も知っているので、それは分かります。
でもこれは、ずっとぐるぐる回っていくんやろなと思いますね。今の若い子たちが指導者、立場が上になった時に『今の若いやつらは』と絶対、思うでしょうし、僕らも若い時には、先輩たちにそう思われていたと思うんです。
ただ、今、大きく変わった時代になったかな。その変わり方のスピードが速い感じはしますね」
〈 「僕、膝の靭帯を切ったお陰で…」城島健司でも井口資仁でも、和田毅でもない…練習の虫だった“ホークス戦士”が明かした“故障についての意外な本音” 〉へ続く
(喜瀬 雅則/Webオリジナル(外部転載))