【インタビュー】池松壮亮×オダギリジョー、兄弟役共演で血のつながりを超えた“家族”に

2021年6月28日(月)7時45分 シネマカフェ

池松壮亮×オダギリジョー『アジアの天使』/photo:Maho Korogi

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妻に先立たれた男が幼い息子を連れて日本を発ち、韓国に暮らす兄のもとへ。そんな彼らが出会ったのは、両親を早くに亡くした兄、姉、妹の三きょうだい。意思疎通にも少しの奮闘が必要な日本人3人と韓国人3人が、ひょんな巡り合わせから旅を共にすることになるが…。オール韓国ロケで作られた『アジアの天使』に、池松壮亮オダギリジョーが兄弟役で出演。日本映画界を牽引する実力派2人が、韓国の撮影現場で感じたこととは…?

オダギリジョー、池松壮亮の姿勢に「作品に対する誠意や本気度が見える」

──兄弟役での共演はいかがでしたか?

池松:実年齢からすると、ワケあり兄弟に見えないかなと心配で…。というのは冗談ですが(笑)、オダギリさんがリードしてくれるからこその高いレベルでのやりとりや駆け引き、画面に映らない部分も含め、瞬間ごとのセッションができました。兄弟のシーンはものすごく気に入っていますし、楽しかったです。

オダギリ:印象的だったのは、池松くん、撮影現場では絶対携帯を見ないんですよ。

池松:アハハハ!

オダギリ:色んなところでこの話してるから、池松くんは今後、携帯を現場に持ち込めない事になっちゃうかも知れないけど(笑)。

池松:大丈夫ですよ(笑)。


オダギリ:池松くんと同世代の俳優の中には、待ち時間にゲームをしていたりする人もいるんですよ。それは時代の変化として受け入れてるつもりだけど、やっぱり正直なところどこかでイラッとするわけです(笑)。作品に真摯に向き合って無いように見えちゃって。でも池松くんは携帯すら見ないし、現場に台本も持って来ない。それって小さな事だけど、作品に対する誠意や本気度が見えますよね? そういう姿勢を見ると、僕も本気で向き合わないとヤバいという気持ちになりますよ(笑)。

池松:(笑)。まだギリギリ若者の立場ではっきりと言うと、この国に、表に出てくる人に、真に格好いい大人ってどんどんいなくなっていると思うんです。そんな中、オダギリさんの品性と大切なものを見抜く力、思想とそれを表現し続けるセンスは圧倒的です。こういう方がいることの幸運に、もっとみんな気づくべきだと思います。


「他の国の人たちと力を合わせてものを作るって、やっぱり素晴らしい」

──そんなお二人で、95%以上が韓国のスタッフ・キャストという現場に臨まれました。

池松:今の韓国を見られる機会は貴重でした。同時代を生きる隣の国の人たちが人生をどう生き、どう喜び、どんな痛みを負っているか。そして映画をどう捉えているか。ただし、撮影が大変だったのは確かです。意思を伝えるのにも、文化、言葉、ルール、歴史的な背景など、様々な違いに直面します。その分普段の何倍もの時間とエネルギーが必要でした。

オダギリ:今回の場合、韓国映画のシステムとは言っても、韓国の常識的なシステムではなかったと思うんです。日本の方法論をお願いした形だったと思います。そんな中、心意気を持ったスタッフが集まり、作品をいいものにしようと心を1つにした事実はとても尊いもの。普段よりつらい現場だったとしても、この作品の為に身を削ってくれる姿は感動的でした。他の国の人たちと力を合わせてものを作るって、やっぱり素晴らしいですよね。何が起こるかも分からないけど、とにかく楽しい。

池松:同じ物語を共有し、それを信じて、ご飯を一緒に食べて、ビールを飲んで、笑い合えていた。かけがえのない経験でした。


──オダギリさんには韓国語の台詞、池松さんには英語の台詞もありました。

オダギリ:母国語でない芝居だと、逆にシンプルにできたりもするんです。言葉のニュアンスにとらわれる必要がなく、気持ちを伝えるという原点に戻れるので。相手に感情が伝わるか伝わらないか、それだけの事です。海外の俳優を相手にするときのほうがむしろ純粋に芝居ができると僕は思っていて。だから、楽しめてはいます。その分、試されている気もしますし。

──日本語、韓国語、英語が飛び交う台詞の中、ソル(韓国人きょうだいの長女)に英語で話すときの剛(池松さん)は声を張っていますよね。兄(オダギリさん)と日本語で話すときの声はゆるいのに。

池松:それが人間ですよね(笑)。マスクをするようになってから声が随分と大きくなりました。相手に届けようとするからです。

──まさに、剛の中にはソルに“伝えたい”という気持ちがあり、オダギリさんのおっしゃった「純粋な芝居」にもなっている気がしました。

池松:あとは言葉自体の変な浮つきと浮遊しているような感覚。いくら日本語で喋っていても伝わっていないわけですから。そこが、この映画の圧倒的な面白さの一つだと思っています。言葉の意味や本来の価値を超越すること、縛られた概念を飛び越え、生き延びるために手を組んで本来あったはずの大きな心の自由に触れること。いつの間にか真実を見失っていたもの達が出会い、こびりついた価値を捨て、再生していく物語ですから。



血のつながりだけではない「家族」

──兄はビールと「サランヘヨ」で大抵のことは乗り切れるとも言っていますしね。

池松:真理を突いていると思います。ビールとサランヘヨと天使は、この映画において奇跡を目撃するための魔法のようなものです。僕たちも今回の撮影中、物凄い数のビールを消費しました(笑)。

オダギリ:海外の撮影では特に、お酒が大事なツールになりがちですね。撮影が終わった後の夕飯も、結局はどこかに食べに行かないといけないし。誰かを誘い、飲みながら喋ることで仲間意識が高まる。それに、韓国のビールってちょっと軽いからどんどん飲めちゃうんです(笑)。あの軽さが韓国特有のビール文化を作っているのかも知れないですね(笑)。

──お酒を含め、食事のシーンからも登場人物たちの空気が伝わってきました。

池松:この映画を観れば、韓国料理を食べたくなるはずです。食卓は直接的にその文化が映るものだと思います。美味しかったですし、とても心があたたかくなりました。最初は辛くてお尻が痛かったけど、慣れてくると平気でした(笑)。

オダギリ:韓国映画の現場には「あったかい料理を食べよう」という意識があるみたいで、その点は本当に羨ましいですね。日本の現場だと当たり前に冷たい弁当ですから。撮影のときに利用した食堂がなんだか恋しくなってきて、いつかまた行きたいなと思っているくらいです。


──本編では、池松さんのおっしゃった「概念を飛び越えた自由」が、家族のような関係を織りなす登場人物たちに託されています。お二人も芝居を通し、“兄弟”になったと言えますね。

池松:劇中の兄貴にはどうしようもないところと、誇らしいところがあります。そういうキャラクターに懐の深さと目の奥の愛情深さと、韓国ビールを超えるような軽やかさをオダギリさんが反映してくれたと思っています。さらに映っているところ以外でも沢山助けられました。おかげで忘れられない疑似体験になりましたね。天使な兄貴でした。

オダギリ:僕の場合、現実に兄弟はいないし、血のつながりを感じてきた相手は母親だけ。いま言っていても「血のつながり」って自分からは程遠いワードだなと思ったんですが、池松くんが弟であることで、何かを信じることができました。それって、家族に近づくということなんでしょうね。「信じる」ということが。家族や血のつながりをそんなに強く感じてこなかった自分が埋められる1つのピースが、「信頼」ということなのかもしれないです。

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