作り手にとって他者の価値観との衝突は、必要なプロセス――映画『本心』製作の裏側

2024年11月15日(金)7時0分 文春オンライン

〈 AIで人の「心」は再現できるのか?——『本心』原作と映画の共同的ライバル関係 〉から続く


 公開中の映画『本心』では、ポストプロダクション(仕上げ)の段階で、フランスのチームが参加。日本人とフランス人の文化や感性の違いから、様々な議論が交わされたそうです。石井裕也監督に“本心”を聞いてみると……。また、公開前から話題になっていたのが、「三好彩花」役を三吉彩花さんが演じたこと。原作者・平野啓一郎さんに経緯を聞いてみました。


 雑誌『文學界』に掲載された平野氏と石井氏の対談をお届けします。(全2回の後編/ 前編を読む )


文・「文學界」編集部



『本心』(平野啓一郎 著)


「ボディタッチ」しない日本人


平野  前編 でも言った通り、小説の方も身体性が大きなテーマです。


 前から不思議なんですが、日本人って大人になると、肉親とボディタッチする機会がほとんどないでしょう。僕自身、少年期以降、母親の身体に触れた記憶がほとんどない。でも海外では、ラテン系などに顕著ですが、大人になっても息子が母親とハグするなんて場面をよく見かけます。


『本心』の場合、母親が生きていた時はほとんど身体に触れたことがないのに、いざ目の前にVFとして現れてみると質量をもった母親の肉体にどうしても触れてみたい、しかしバーチャルではその欲望がかなえられない、というジレンマを朔也は抱えています。そのあたりはかなり気にして書きましたが、映画はとくに視覚的に表現しなければいけない分、表現を色々工夫されたんじゃないでしょうか。


石井 その関連でいえば、以前、海外で映画を撮った時にこう言われたことがあります。「登場人物が家族関係でいろいろ悩んでいますが、相手とハグすれば全部解決するじゃないですか」と。でも、ハグして解決しない問題もありますよね。


平野 欧米人の中には、それがありますよね。日本人は、仲直りのハグなんてしないでしょう。


 ところで、今回ポストプロダクション(仕上げ)の段階で、フランスのチームと一緒に仕事をされましたね。日本人だけでやる場合と違いを感じる部分はありましたか?


フランスとの文化の違い


石井 一番感じたのは、映画全体をひとつのテーマに集約させて、それとは関係ない部分をノイズとして切り落としていくような編集手法でした。


 僕はむしろミルフィーユのように多層的になった原作の構造を生かしたかったんです。観客それぞれが作品から受け取るものがちょっとずつズレていても、全体としては調和がとれているイメージです。だからテーマ主義のフランスチームとはかなり衝突しましたね。もちろんその衝突自体に気づきがあって、スリリングで面白かったんですが。


 きっと『本心』を脚本化する過程でも、原作の大事な要素をどんどんカットされるたび、平野さんは同じような傷つき方をされていたんじゃないかと反省しました。


平野 いや、そんなことないですけど(笑)、そういうフランス的なテーマ主義で編集すると、尺はだいぶ短くなるでしょう?


石井 はい。一度は1時間50分ぐらいまで切られました。揺り戻しがあって、完成尺の2時間2分ぐらいに着地したんです。


 あとはナレーションとか、脚本にあったチャプター分けなんかも、説明的だということでどんどんカットされました。


平野 説明的なものを嫌うのは、世界的な傾向なのか、それとも、そのフランスチームの趣味なのか。


石井 フランス人特有だと思います。


平野 フランスのドキュメンタリーなんか見ていても、基本的にナレーションを入れませんね。日本のドキュメンタリーは、ナレーションの比重が大きいですよね。


石井 フランスチームには、「観客は自分で考えた上で理解したいんだ。先にあれこれ言って欲しくないんだ」といった言葉で説明されました。


 でも、こちらがある程度道筋を示した上で、さらに観客独自の理解を深めてもらうことも可能だとは思うんですが……。


平野 文学って、基本的に「言わずもがな」というか、説明過多になることを嫌ってきたジャンルなんじゃないかと思うんです。それでも一定以上の規模の読者に読んでもらいたいと思った時には、ある程度説明すべきなんだ、ということを編集者などから言われた時期がありました。また、さきほど話に出たような、「本筋以外のひろがりはできるだけ削った方がいい」という指摘も同じ頃よく受けました。


 僕が経験した「わかりやすさ」をめぐる葛藤と、石井監督がフランスで経験された「説明的なもの」をめぐる葛藤は、やや異なるかもしれませんが、作り手にとって他者の価値観との衝突は、やっぱり必要なプロセスではないかと思います。


 ところで、「日本を舞台にした話である」という点で、フランスチームとの間で齟齬が生じることはありませんでしたか?


石井 ありましたね。CGなど加えなくても、彼らには東京の街の風景が未来の仮想空間にしか見えないというんです(笑)。


 パリの街には、200〜300年前の石造りの建物がそこら中にあります。哲学にしろ文学にしろ、100年単位で同じテーマを突き詰めてきたという伝統があります。反対に日本で暮らしている僕らは、天災にも頻繁に襲われるし、生活や思考を常にアップデートしていかないと暮らせないという前提があります。その文化、感性の違いは相当大きい、という感じがしましたね。


平野 フランスチームとは、脚本についてもかなり議論したんですか?


石井 ええ。ただポストプロダクション担当のプロデューサーは、フランス在住の日本人だったので、日本とフランス双方の感覚を翻訳してくれた感じでしょうか。


平野 働きぶりで日本と違う部分はありましたか?


石井 脚本打ち合わせで大変な時にバカンス行って連絡つかなくなっちゃったり。「なに考えてんのかな」みたいな。


平野 向こうはバカンスを前提にしないと何も動かないところがありますからね(笑)。


「三吉彩花」出演の偶然


——編集部からも少しだけお聞きします。今回、もうひとりの主人公と言える「三好彩花」を三吉彩花さんが演じています。つまり、名前が一文字違いなだけです。


 平野さんは『本心』を書かれた時からすでに、三吉さんをイメージされていたのでしょうか?


平野 いえ、偶然の一致なんです。三吉彩花さんにキャスティングが決まり、ご本人にお会いした時、「なぜ三好彩花という名前をつけたんですか」と聞かれました。失礼ながら、実は三吉彩花さんの存在を知らなかったんです。知っていたとしたら、さすがに同じ名前はまずいから、違う名前をつけたでしょう。漢字はちょっと違いますが。三好は小説の中で魅力的な人物にしたい、であれば名前も魅力的でなければ、とは思っていました。現代的で、なおかつうっすら現実離れした名前をいろいろ思い浮かべているうちに、ふと「三好彩花」という名前がひらめいたんです。もしかするとどこかで「三吉彩花」さんのことを目にしていて、無意識の刷り込みになっていた可能性もありますが。


 もっとも新聞連載中も、本にする過程でも、担当者は誰も三吉さんの存在を教えてくれなかったんですよ。だからだいぶ経ってから名前がそっくりな人がいることを知って、なんだか申し訳ない気がしていたんです。その時はまさか三吉さんが三好役を演じることになるとは想像もしていなかったんですが、こういうキャスティングになってびっくりしました。


石井 僕は、「この三好彩花は、あの三吉彩花さんがモデルですか?」というのは、監督として原作者に絶対聞いてはいけない愚問だと思っていて、ずっと聞かなかったんです。そういう答え合わせをしてしまうと、絶対つまらない結果にしかならないじゃないですか。で、撮影が終わってからはじめて平野さんが(三吉さんのことを)知らなかった、とわかった。


 ただ、『本心』という小説の複雑なレイヤーからすると、その平野さんの「知らなかった」という言葉も、「本心」なのかどうかはわからないわけですが(笑)。


平野 いや、本当に知らなかっただけなんですが(笑)。


 そういえば、昔、ノーベル賞をとった中国の莫言さんと対談した時に、「小説の登場人物の名前は、たった一つしかない。何でもいいわけではなく、必ず一つなのであって、これしかない、という名前を作家は見つけなければならない」と言われたんです。


 その意味で、「三好彩花」という名前は、「これしかない」と思ってつけた名前ですね。


——平野さんは本当に映画がお好きですが、いずれご自身で脚本を書いてみたり、監督をしてみたいという気持ちはありませんか。


平野 脚本は思わないでもないですが、監督はまったく思いませんね。小説と映画は、まったく違う技術ですから。映画を見ると、最後にものすごい数のスタッフの名前がエンドロールに出てくるじゃないですか。あれだけの人たちを率いて、ビッグプロジェクトを推進していく力は、自分にはまったくないと思います。


——出演の方はどうですか?


平野 ますますないですね。自分の原作の映画に、カメオ出演で出ませんか? と誘われたこともあるんですが、断りました。観客が映画の世界に没入しようとしている時に、たとえ一瞬であっても原作者が映っているというのは、現実に引き戻してしまう、というか、不真面目な感じがするんじゃないかと思ったからです。


石井 今日は、平野さんの映画と文学両方についてのお考えをたっぷり伺えて、とても面白かったです。ありがとうございました。



ひらの・けいいちろう●1975年生まれ。99年、京都大学法学部在学中に文芸誌「新潮」に投稿した「日蝕」により第120回芥川賞を受賞。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。主な小説作品に『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『マチネの終わりに』(映画化)、『ある男』(映画化)など。最新作は短篇集『富士山』。
いしい・ゆうや●1983年生まれ。2007年、大阪芸術大学時代の卒業制作『剝き出しにっぽん』がPFFアワードにてグランプリを受賞。10年『川の底からこんにちは』で商業映画デビュー。14年『舟を編む』で第37回日本アカデミー賞最優秀作品賞・最優秀監督賞を受賞。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『茜色に焼かれる』『月』『愛にイナズマ』など、精力的に作品を発表し続けている。




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映画『本心』 公開中
原作:平野啓一郎
出演:池松壮亮
   三吉彩花 水上恒司 仲野太賀
   田中泯 綾野剛 / 妻夫木聡
   田中裕子
監督・脚本:石井裕也
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2024 映画『本心』製作委員会
映画『本心』公式サイト   https://happinet-phantom.com/honshin/





(平野 啓一郎,石井 裕也/文藝出版局)

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