ウクライナ侵攻から「防衛力強化」という教訓のみを引き出すのは短絡的だ

2023年5月19日(金)6時0分 JBpress

帝政ロシア、旧ソ連時代を含め、日本にとってロシアは脅威である一方、隣国として付き合わざるを得ない微妙な関係の相手である。2022年に勃発したロシアによるウクライナ侵攻もあり、日本では防衛力強化が大きな論点になっている。果たして防衛力の強化は、力による一方的な現状変更の抑止力として期待通り機能するのだろうか。ウクライナ侵攻までの経緯も踏まえ、ロシアの論理を熟知する元駐露外交官が考える国防の条件とは何か。

(*)本稿は『ロシアの眼から見た日本 国防の条件を問いなおす』(亀山陽司、NHK出版新書)の一部を抜粋・再編集したものです。

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◎一度受け取ったら絶対に返さない、10年超の外交経験で見たロシア人の手強さ
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ウクライナの防衛力欠如がロシアの侵攻を招いたわけではない

 日本ではウクライナ侵攻を受け、日本の防衛力の強化の必要性が改めて議論され、敵基地反撃(攻撃)能力を保有することが必要だという閣議決定がなされたことは記憶に新しい。

 2022年12月には、国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画の三文書が策定された。国家安全保障戦略が最上位の政策文書とされ、その下にこれまでの防衛計画の大綱にあたる国家防衛戦略が置かれているが、この中で、ロシアによるウクライナ侵攻の例が防衛上の課題として挙げられている。

 そこで指摘されている課題、すなわちウクライナ侵攻の教訓とは、ウクライナがロシアによる侵攻を抑止するための十分な能力を保有していなかったことであるとされる。そして、力による一方的な現状変更(侵略)は困難だと認識させる抑止力が必要であり、相手の能力に着目した防衛力の構築が必要とされている。

 しかし、ウクライナ侵攻から我々が学ぶべきものは防衛力強化だけなのだろうか。

 これは、ロシアや中国などから攻撃が仕掛けられる前提での議論である。もちろん、攻撃の抑止のために防衛力を整備することは主権国家の義務であり、適切に進めていくことは当然である。

 しかしながら、防衛力の強化が必ずしも抑止につながるとは限らないことも同時に認識しておく必要がある。ウクライナ侵攻が示したのは、防衛力の欠如がロシアの侵攻を招いたということではなく、むしろ逆だからである。


バランス崩れたロシアとNATOとの緩衝地帯

 ロシアがウクライナ侵攻に踏み切ったのは、2014年のウクライナ政変以後、ドンバスの分離派武装勢力を武力によって制圧しようとウクライナ政府が軍事力強化を進めていった結果でもあった。

 この軍事力強化はウクライナがロシアの影響力から脱しようとして行った単独行動ではなかった。ウクライナの軍事力強化を支援したのは、何よりもアメリカやNATOだったのである。

 つまり、ロシアによるウクライナ侵攻の軍事的背景には、ロシアとNATOとの緩衝地帯であったウクライナにおけるバランスが大きくNATO側に傾き、さらにはウクライナのNATO加盟に向けた動きによって均衡が崩されようとしたことに、ロシアが強い危機感を抱いたことがある。その結果、座して待つよりは、といってロシアは侵攻に踏み切ったのだ。

 ウクライナの軍事力は、将来的にNATOに加盟する場合にはNATOの軍事力となるわけで、ウクライナの増強しつつある軍事力がNATOと結びつくことが、ロシアにとっては自国の安全保障環境にとっての最悪の事態として、安全を脅かすものとなるとの認識があった。

 仮に日本の周辺に引き寄せて考えれば、国家防衛戦略が問題と認識する中国、ロシア、北朝鮮の三国が、日本(と韓国)を仮想敵国とした集団防衛のための同盟を結成し、北朝鮮を前線基地として北朝鮮の軍事力強化を試みるといったことになるだろうか。

 この時点で、日本と韓国には単独で対抗する力はすでにないが、その後ろ盾であるアメリカが韓国や台湾への軍事的なコミットメントを著しく高めることは十分に考えられる。


ウクライナ侵攻から得るべき教訓とは

 ただしアメリカの場合は、韓国や台湾を押さえているため、中露朝に対抗する橋頭堡(足掛かり)はすでに確保されているが、それがロシアにとっては、軍事基地を置いているクリミアや親露派勢力の強いドンバスだったということである。

 ウクライナ侵攻の国際政治をロシア側から見た場合、NATOはウクライナにおけるパワーバランスを逆転させるような現状変更を試みたことになる。この事情は、西側諸国が言っていることと真逆だ。

 このことは何を意味するのだろうか。

 それは、ウクライナの軍事力強化がロシアに対抗するための適切な方策だったのかどうかという問題意識である。ウクライナのNATO加盟問題は認められないというロシアの言い分に対して、欧米側はオープン・ドア・ポリシーと主権国家の自由を理由に、ロシア側からの新たな欧州安全保障に関する協議の提案(具体的にはウクライナのNATO非加盟など)に応じなかった。

 実際にはウクライナのNATO加盟は、仮にそれが実現したとしても、少なくとも10年以上は先のことだったのではないかと思う。NATO側もアメリカ側もそう認識していたはずだ。だとすれば、その猶予期間を用いてロシアとの間の信頼関係、すなわち欧州における安全保障の新たな体制や合意を形にするための交渉が可能だったはずである。

 事実ロシア側は、侵攻の3か月ほど前に、ウクライナのNATO非加盟を含め、NATO側の譲歩を求める法的合意に向けた交渉を提案していた。西側諸国はロシア側の危機意識や意図を読み誤ったことによって、ロシアにウクライナ侵攻を踏み切らせた可能性を十分に検討すべきではないだろうか。

 つまり、ウクライナ侵攻から得るべき教訓とは、ありうべき侵攻に備えて軍備を増強することにその本質があるのではなく、むしろそうした侵攻を招き寄せないための適切な外交の重要性なのである


国家安全保障における外交力の重要性

 その意味では、2022年12月の防衛三文書中、最上位政策文書とされる国家安全保障戦略において、トーンが防衛力の強化に偏っているように見えることが懸念される。

 同文書では国家安全保障上の目標として「国際関係における新たな均衡」をインド太平洋地域で実現すること、一方的な現状変更を容易に行い得る状況の出現を防ぐこと、安定的で予見可能性が高く、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の強化、多国間で協力して国際社会が共存共栄できる環境を実現することなどが挙げられている。

 これらの中で、安定的で予見可能性の高い国際秩序の強化や、国際社会が共存共栄できる環境の実現といった目標は、外交政策である。

 そのうえで、我が国が優先する戦略的アプローチの第1に、「危機を未然に防ぎ、平和で安定した国際環境を能動的に創出し、自由で開かれた国際秩序を強化するための外交を中心とした取組の展開」が挙げられているが、そこに挙げられた取り組みは日米同盟の強化、同盟国、同志国との連携強化、周辺国・地域との外交などであり、日本の外交力の体制強化につながる具体的な施策など、新しいものは何も見られない。

 一方、アプローチの第2として挙げられる防衛体制の強化では、防衛力の抜本的な強化として、反撃能力の保有、予算水準GDP2パーセント目標、防衛装備移転制度の見直しの検討、生産・技術基盤の強化、人的基盤強化といった項目が挙げられており、明らかに防衛力の強化に偏っている。

 ロシアによるウクライナ侵攻から、もっぱら防衛力(軍備)強化という教訓のみを引き出すのは、短絡的である。


国力に見合った現実的な目標を見極めよ

 もちろん、国家防衛戦略が防衛上の課題として挙げている「力による一方的な現状変更は困難であると認識させる抑止力」や「相手の能力と新しい戦い方に着目した防衛力」というのは重要な認識であり、防衛力の整備は進めなければならない。

 しかし、想定される危機がロシアや中国を相手にしたものであれば、1907年の帝国国防方針で対米、対露を相手にして不足のない軍備を定めたように、中露の軍事力に均衡し得る装備(軍備)ということになるのだろうか。

 それがどこまでの装備(軍備)を意味するかは精緻な検討が必要だが、国力に見合った現実的な目標となるかどうか見極めなければならない。「軍事的合理性の罠」に陥ることのない総合的な安全保障の観点から、国防(国家防衛戦略)を確立しなければならないのだ。

筆者:亀山 陽司

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