「ああいうアイドルになりたかった」 乃木坂46 1期生高山一実が見せた“ホンネ” デビュー小説が映画化のいまも続く“うれしさ”“寂しさ”を本人に聞いてみた【映画『トラペジウム』インタビュー】

2024年4月29日(月)10時5分 ねとらぼ

原作者の高山一実さん

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 「乃木坂46」1期生でタレント・作家の高山一実さん原作の同名小説を映像化した映画『トラペジウム』が、5月10日に公開されます。
 主人公の高校生・東ゆうは、“絶対にアイドルになる”という強い思いを抱く女の子。東西南北の女の子4人でグループを組むことで、自身も含め全員でアイドルになるという壮大な計画にまい進していく……という、キラキラとした夢と青春、その過程での困難を描いたストーリーです。
 「乃木坂46」1期生として活動していたという経歴が広く知られる高山さん。細かい描写にも当時得た知見が節々で描かれていますが、主人公というフィルターを通してにじみ出ている原作者の思いとは、どのようなものなのでしょうか。ねとらぼでは高山さん本人に、劇場公開されるいまの心境などを聞いてみました。
【以下、軽度のネタバレあり】
●決して喜びだけではない映画化
 インタビュー日の3月某日。取材陣の前に姿を現した高山さんは、柔らかい笑顔と、素直で誠実さを感じる言葉選びを見せ、テレビなどと変わらない姿が印象的でした。
——映画化、おめでとうございます。アイドル活動と並行して上梓した作品がグループ卒業後2年半を経て映像化。心境をお聞かせください。
高山 えっと……(長考)。
 なんだかいろんな感情があります。この感情を1つにまとめようと思うと、また本ができちゃうんじゃないかなってくらいなんですけど(笑)。
 うーん、何だろうな。複雑な……。複雑な幸せをかみしめていますね。
——それは同作のストーリーを振り返ったとき、自身がグループを卒業してからの寂しさなどの感情を思い出してしまう、という意味も込められているのでしょうか?
高山 それもあります。またシンプルに、自分の書いた物語がアニメ化してロードショーされるなんて、人生でなかなかない機会なので、その不安ですよね。公開後、「よかった!」ってお客さんから思ってもらえなかった時は失うものが大きい、という不安を考えたら、(いまの心境は)「楽しみです」のひと言では表現しきれないというのはあります。
 でも、やっぱりプロの方に作っていただいたものですし、私も好きなシーンがあるので早く見てもらいたい気持ちもするし……。複雑ですね。
——映画化にあたり、高山さんご本人も製作に関わったそうですね。
高山 主人公のゆうは(アイドルになる計画を進めるうえで)ノートにメモを残す“メモキャラ”なんですが、監督さんとよくしゃべっていたのは、「ノートに何を書いたらいいですかね?」みたいな話で。ノートの表紙に書く文言、例えば「他の人から見られたときに(内容が)バレないようにゆうなら書かないんじゃないか」とか、そういうやりとりを細かくしましたね。
●「完全版」の真意とは
——映像化に際し、同作は「完全版」になったと謳われています。小説版に何が足されたことによって「完全版」になったと感じますか。
高山 アイドルになってからのシーンは、小説よりも劇場版の方が濃く描かれています。小説を書いていた当時、(現役時代の)私がアイドルになった後の話を文章で表現するのは、ためらいがありました。フィクションではあるんですけれど、小説が“暴露本”と受け止められてしまう……といいますか。アイドル全体の話なのに、私の名前で書くのは違うんじゃないかと思いました。(同じくアイドルを題材とした)朝井リョウさんの『武道館』が既に出ていて、アイドルになった後の話を細かく描いていたということも理由です。
 でもアニメ化となった時に「活字じゃないんだったら細かいリアルさみたいな描写を入れても暴露っぽくならないな」と。例えば、ボイストレーニングのシーンはリアルにメンバーがやってることですし、あとはスタジオの雰囲気もリアルさを追求してもらいました。劇中に登場する4人の楽曲(※東ゆう・大河くるみ・華鳥蘭子・亀井美嘉による楽曲「方位自身」)があるのも、新しいしいいことだなと思いました。
●「そういう人だよなあ、人気出る人って」
 同作のストーリーでは、自らの計画達成に向け突き進む過程で、困難に直面する主人公・ゆうの姿が描かれるほか、ストーリー終盤では成長した後のゆうも登場します。小説版の執筆当時、高山さん本人は国民的アイドルグループのメンバー。アイドルとして活動する中、主人公に託した思いとは何なのか? 気になって質問をぶつけてみると……。
——ちなみに、高山さん本人のアイドル時代を振り返ると、グループのムードメーカー的な役割といいますか、エンターテイナー的なキャラクターだったのが印象的です。一方、映画終盤のあるシーンで、主人公のゆうは落ち着いて淡々と受け答えするといいますか……ある種の“王道アイドル”らしい姿を劇中のインタビュワーに見せています。ゆうの姿に込めた思いをお聞かせください。
高山 ゆうにはアイドルとして成功していてほしかったし、アイドルとして私がなりたかった理想像でもあります。そうなると、自分のキャラクターはゆうとは違うな、と思っています。
 ゆうはリーダーやキャプテンという立ち位置で、将来は人気もめちゃくちゃあるという想定なので、「そういう人はこういうキャラクターだよね」となり、この性格付けにしています。
 私のいたグループを振り返っても、人気のメンバーはやっぱりすごく努力していて。つらいこともあるだろうけれど、でもインタビューでは淡々とお話ししているので。「そういう人だよなあ、人気出る人って」と思ってゆうを描きました。
 でも、グループ在籍中に執筆していた当時も(卒業した)いまも共通して思うことは……ああいう(※ゆうのような)アイドルになりたかったなあ、と……(笑)。なれるものならなりたかった、という思いですね。
●アイドルを卒業した日、そして今日まで続いている“寂しさ”
——映画と原作のどちらにもある描写ですが、アイドルになれることの素晴らしさについて、ゆうが「この先、どんなにお金のかかった誕生日の祝われ方をされようとも、エッジの利いた情熱的なプロポーズをされようとも、この感動を超えることはないのでは」とアイドルに懸ける気持ちを強く表現する部分があります。このゆうの価値観は、高山さんも共感する内容なのでしょうか。
高山 正直いうと、映画でその描写が使われているのを見て多少の気恥ずかしさはあり……「ゆうのそのせりふ、大丈夫?」というのはあります。とはいえ、ゆうの気持ちにめちゃくちゃ共感しますね。
 私は、卒業セレモニーを運良く東京ドームで開催していただいたんですけれど(※2021年11月開催「真夏の全国ツアー2021 FINAL!」)、「ステージからこの景色を見ちゃったら、もう何も感動しないな」って思っちゃったんですよね。ドレスもオーダーメイドでデザイナーさんに作ってもらっちゃって。例えば結婚式は子どものころからすごく憧れていて、そういうドレスとか見るのも好きだったんですけれど、こんなにすてきな経験をいただいちゃったらもう、この先はなんか感動できないな、みたいな。
 その時のうれしさがあったから、(卒業した)いまは悲しさが押し寄せてきています。いい経験をさせていただいたから……ちょっとやそっとのことだと感情が動かなくなっているなっていう寂しさはちょっとありますね。
※ ※ ※
 「ああいうアイドルになりたかった」
 「乃木坂46」1期生でもそんなこと思うのか。確かに、過去のインタビューで昭和のアイドルへの憧れを吐露していたけれど。高山さんのひとことが頭から離れないまま、インタビュー原稿を準備していた4月某日。構成・編集担当の自宅テレビに映るのは、改編期恒例となるクイズバラエティー特番でMCを務める高山さんの姿。堂々としてかつ高山さんらしい人柄も感じさせるMCぶりに、“これも高山さん本人が途方もない努力を重ねた結果、なんだよな”と考えさせられます。
 理想とする姿になれても、なれなくても、正しい努力を重ねることで輝けるチャンスはある。そして、困難があったとしてもやっぱりアイドルは素晴らしい。
 アイドルになる過程や活動での厳しさも含め丁寧に描かれているからこそ、『トラペジウム』は高山さん流の“アイドル賛歌”なのだ、と思えるインタビューでした。あらためて、アイドルっていいもんですね。
写真=茂呂幸正 ヘアメイク=入江美雪希 スタイリスト=Toriyama悦代(One8tokyo)

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