約30年越しで実った“トゥルーリ”のトムス加入。父ヤルノと息子エンツォの物語/SFライツ

2023年2月28日(火)11時36分 AUTOSPORT web

 ミナルディ、プロスト、ジョーダン、ルノー、トヨタ、ロータスなどのチームで戦った元F1ドライバー、ヤルノ・トゥルーリの息子エンツォ・トゥルーリが、今季の全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権(SFL)に参戦すると、トムス(TOM’S)は2月21日に発表した。“トムス育成選手”として、平良響、野中誠大、古谷悠河とともにエンツォは37号車を走らせるという。


 なんとも唐突な人選・発表に思えたが、じつのところエンツォのトムス加入に関しては1年以上前にもその可能性が探られていた。ただし、当時はまだ彼のフォーミュラカーレース経験が乏しく時期尚早として見送られていたようだ。それでもFIA-F4 UAE選手権で王座に就き、無得点に終わったとはいえ2022年のFIA F3で1シーズンを過ごしたエンツォ。再びトゥルーリ側からアプローチが舞い込み、今年初めに富士スピードウェイでテストの機会を与えた結果、十分に戦える素養があるとしてトムスは起用を決めた。


 しかし、“トゥルーリ”とトムスの物語はこれだけではない。トムスのSFL参戦にあたり監督を務める山田淳は次のように振り返る。「1992年当時、僕は英国のトムスGBでトムスのF3マシンを作っていました。そのため詳細は知り得ませんが、1991年〜1992年にトムスで全日本F3選手権を走っていたリカルド・リデルの紹介を受け、エンツォの父ヤルノを日本でテストさせたと聞いています。もちろんF3のクルマです」と歴史に埋もれていたエピソードを開陳した。


 山田は続ける。「そのテストは1992年11月末に富士スピードウェイで開催されたインターF3(正式名称:ユーロ-マカオ-ジャパン・チャレンジカップ インターナショナルF3リーグ)の前でした。富士スピードウェイだったか、ヤマハさんの袋井テストコースだったか、あるいは両方だったのか。当時はF3にしろグループAにしろグループCにしろ、袋井を使うケースは結構ありましたからね」


「結局、当時のトムス上層部はヤルノの起用を見送り、1993年はトム・クリステンセンを陣営に引き入れました。そのシーズンからですね、僕が全日本F3へ本格的にかかわり始めたのは」と山田。のちにF1ドライバーとして世界最高峰の舞台へと昇格したヤルノ、のちにル・マン24時間で史上最多の9勝を飾ったトム。才能あるいずれのドライバーを選ぶのが良いのか、当時のトムスが悩ましい決断を下したという事情がみて取れる。


 そしてタイトルにも記したとおり、約30年越しで実った“トゥルーリ”のトムス加入。山田はエンツォの素養について次のように語る。「今年1月に富士スピードウェイで走ってもらったときのクルマは、彼のドライビングスタイルに合ったものではありませんでした。それでもエンツォは十分に速いラップタイムを叩き出しました。もう少し彼のスタイルに寄せて行けば、SFLのタイトルを狙えると思います」と。


「でも、現場ではヤルノがいろいろとうるさいんですよね。ドライビングに関してヤルノとエンツォが話し合うのは当然ですけれど、デフを変えろとかこちらにもいろいろと言ってくるから。SFL開幕戦ですか? たぶんヤルノも来ると思いますよ」と山田は苦笑い。“トゥルーリ”とトムスにまつわる物語の第二章がいよいよ始まろうとしている。

エンツォ・トゥルーリと父のヤルノ・トゥルーリ
1992年のインターF3で田中哲也が走らせたトムス032Fに座る若き日のヤルノ・トゥルーリ

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