侍ジャパンの決戦を前に…サッカーにおけるイタリア戦の歴史を振り返る

2023年3月15日(水)15時57分 サッカーキング

日本対イタリアの歴史を振り返る [写真]=Getty Images

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 記録的な盛り上がりを見せている『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』。侍ジャパンは16日(木)、ベスト4進出をかけてイタリア代表と対戦する。そんな大一番を前に、サッカーにおける「日本対イタリア」の歴史を振り返っておこう。

 日本のサッカー男子代表がカルチョの国と対戦したのは過去に3回だけ。U−23代表世代のオリンピックでの対戦を含めると4回だ。それでは両国の対戦を振り返っていこう。

[写真]=Getty Images

■1936年ベルリン五輪

 日本代表が初めてイタリアと対戦したのはオリンピックの舞台だ。それが1936年のベルリン五輪である。大学生を中心に編成された日本代表は初めてオリンピックのサッカー競技に出場。アジア勢がワールドカップやオリンピックといった世界大会に出場するのはこれが初めてのことだったという。そんな記念すべき初舞台で、日本代表はイタリアと2回戦(準々決勝)で対戦した。

 当時のイタリアは“世界最強”だった。名将ヴィットーリオ・ポッツォの元で1934年と1938年にワールドカップ連覇を成し遂げるイタリアは、ベルリン五輪もポッツォ監督がチームを率いて若手メンバーで参加した。だが、若手とはいっても2年後のワールドカップの優勝メンバーが4名もいるようなチーム。その中には、1938年ワールドカップでベストイレブンに選出されるピエトロ・ラーヴァ(当時ユヴェントス所属)やウーゴ・ロカテッリ(当時インテル所属)もおり、ベルリン五輪でも金メダルを獲得するのだった。

 そんなチームを相手に日本は0−8の完敗を喫することに。前半を0−2で折り返すと、後半に入って6失点を喫したのだ。だが、大敗には理由があった。日本は、3日前の1回戦でスウェーデンを相手に歴史的な逆転勝利を収めてり、その時の死闘の疲れが抜けていなかったのだ。

 そして、そのスウェーデン戦こそ「ベルリンの奇跡」として今も語り継がれる日本代表の大偉業だった。体格差を考えても圧倒的に不利と見られた日本は、前半のうちに2点をリードされて窮地に追い込まれるも、後半に入って3ゴールを奪って逆転勝利を収め、世界中を驚かせたのである。

 日本サッカーミュージアム(現在は休館)には、スウェーデン戦で日本代表のオリンピック初得点を挙げたFW川本泰三選手のユニフォームが収蔵されている。ちなみに、「ベルリンの奇跡」はスウェーデン国内でも大きな反響があったようで、JFAによると1949年に湯川秀樹博士がノーベル賞の授賞式典でスウェーデンを訪れた際に、地元の記者からサッカーボールを渡されたという!

■日韓ワールドカップに向けたテスト



 次に両国が対戦したのは、日韓ワールドカップを翌年に控えた2001年11月のこと。埼玉スタジアム2002で、フィリップ・トルシエ体制の日本代表がイタリア代表と激突した。日本は海外組も招へいしてほぼベストメンバー。対するイタリアも、名将ジョヴァンニ・トラパットーニの元で本気のメンバーを組んできた。

 先手を取ったのは日本だった。前半10分、MF稲本潤一(当時アーセナル)のパスでDFラインの裏を取ったFW柳沢敦(当時鹿島)がダイレクトで右足を合わせて先制。最終ラインにファビオ・カンナヴァーロやアレッサンドロ・ネスタを擁し、その背後には守護神ジャンルイジ・ブッフォンが控えるイタリアの“カテナチオ”をこじ開けたのである。



 後半、その試合がイタリア代表デビューとなったMFクリスティアーノ・ドニに同点ゴールを許すも、日本は最後まで互角に渡り合って1−1の価値あるドローを手にした。試合前日に来日したイタリア代表のコンディションが万全ではなかったとはいえ、日本代表にとっては翌年のワールドカップに向けて手応えを掴んだ一戦だった。「明日、ワールドカップが始まっても戦える」と、トルシエ監督も試合後に胸を張った。

■コンフェデ杯での激闘



 A代表による最後の対戦は今から10年前。ブラジルで開催された2013年6月のFIFAコンフェデレーションズカップで両国は相まみえた。イタリア、ブラジル、メキシコと同組に入った日本は、グループリーグ初戦となったブラジル戦を0−3で落としたあと、第2戦でイタリアと激突した。

 試合は予想外の打ち合いとなる。日本が素早い出足で序盤から完全にゲームを支配すると、前半21分にMF本田圭佑(当時CSKAモスクワ)のPKで先制に成功。さらに33分、ゴール前の混戦から香川真司(当時マンチェスター・U)が反転から華麗なボレーシュートを叩き込み、名手ブッフォンから2点目を奪った。



 その後も日本のペースが続いたが、前半41分にCKからMFダニエレ・デ・ロッシにヘディングを決められて1点差に詰め寄られる。そして後半に入ると、日本が逆転を許してしまう。後半5分に不用意な形で背後を取られ、最後はオウンゴールで同点にされると、その直後にはPKを取られ、これをFWマリオ・バロテッリに沈められて2−3とひっくり返されてしまったのだ。



 それでも、真っ向勝負を挑み続けた日本は、69分にFKからFW岡崎慎司(当時シュトゥットガルト)が得意のヘディングシュートを叩き込んで試合を振り出しに戻した。その後も、日本は岡崎のシュートがゴールポストに嫌われるなど何度も相手ゴールに迫りながら勝ち越しゴールを奪えずにいた。すると、残り4分のところで一瞬のスキを突かれて守備を崩されてしまい、FWセバスティアン・ジョヴィンコに決勝ゴールを許した。間違いなく勝てる試合を3−4で落としたことで、一部では批判の声も聞かれたが、日本代表の歴史に刻まれるようなエキサイティングな名勝負だった。

 日本代表を率いて母国と戦ったアルベルト・ザッケローニ監督も「勝たなければいけない試合だった」とチャンスを仕留めきれなかったことを悔やみながらも「非常に良い内容だった。イタリアに負けているとは思わない」と善戦した選手たちを称えた。

 上記3戦のほかにも、U−23日本代表が2004年のアテネ五輪のグループリーグでイタリアと対戦してデ・ロッシにゴールを許すなどして2−3で敗れている。そのため日本男子サッカーのA代表と五輪代表は、イタリアと4戦してまだ一度も勝てていないのである(0勝1分け3敗)。

 だが今回は侍ジャパンが、あの10年前のレシフェでの悔しい敗戦の借りを必ず返してくれるはずだ!

(記事/Footmedia)

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