2013年WEC富士、受け入れられなかったニッサンZEODへの提案【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

2020年5月12日(火)15時56分 AUTOSPORT web

 スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。


 初回は2013年に行われたWEC世界耐久選手権第6戦富士6時間耐久レース。強雨の影響で複数回赤旗が出され、最終的にわずか16周でレース終了となった1戦は、コリンズにとっては自身のジャーナリスト史に残る体験だったようです。今回はニッサンのル・マン24時間参戦プロジェクトの第一歩であるZEODが初めてデモ走行を行った公式練習日から予選日までの模様をお届けします。


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 あれはおそらく私がそれまでに取材したなかで、もっと寒く雨量の多いモータースポーツイベントだったが、個人的には取材を大いに楽しむことができたと言えるかもしれない。


 ちなみに私は雨の多いイギリス出身だ。そんな私が「寒くて雨量が多い」と表現する時、それがどういった状況を指すのか、心に留めておいて欲しい。私は(雨に見舞われることが多い)イギリス・ウェールズでのラリーを取材した経験もあるのだ。


 しかし、そんな私にとっても2013年の富士6時間耐久レースでの取材は群を抜いた厳しさだった。スイミングプールに入った方がまだ濡れないのではと思うほどだった。足の感覚がなくなるほどの寒さは、今でも思い出すことができる。


 2013年のWEC富士6時間耐久レースに向けて、私はふだんどおりの旅程を組んだ。富士スピードウェイで行われるレースを取材するとき、私はたいてい新宿のホテルに泊まるようにしているのだ。


 なぜならサーキットがある御殿場のホテルは通常チームによる予約で埋まってしまうため、御殿場周辺でホテルを確保することになるからだ。そして、そういった場合ホテルは少し寂れたエリアにあることが多く、飲食店の選択肢も限られてしまう。


 ただ早朝に出発すれば8時ごろに御殿場駅へたどり着ける小田急ロマンスカーを活用すれば話は別だ。ロマンスカーを使うことで、新宿にあるお気に入りのホテルに泊まることができ、新宿には深夜まで営業している飲食店やバーが山ほどある。そういうわけで、あの週末も私は例年と同じ行動パターンを取った。


 レースウイークを迎えるにあたり、ひとつ大きく胸踊るようなことがあった。ニッサンZEODの初走行を見られるかもしれなかったのだ。デルタウイングをベースにした新しいハイブリッドカーは、富士スピードウェイでデモ走行を行う予定だった。


 ZEOD(Zero Emissions On Demand)は、WEC富士が行われるほんの数カ月前にル・マンで発表された。私はドイツ企業のアデスが富士6時間開催間際に、初期型マシンを完成させたことも知っていた。このマシンを富士スピードウェイでのデモ走行に間に合わせるのが、どれだけ大変な作業だったかもだ。


 日本へ飛ぶ数週間前に、私はイングランドにあるRMLのファクトリーを訪ねることができた。ZEODの製造は、このファクトリーで行われており、その作業工程も見ることができた。ただ、その時点でプロジェクトが厳しい船出を迎えていることは傍から見ても明らかだった。


 だから私は彼らに(EVレーシングカーの)リーフ・ニスモRCを1台入手してはどうかと提案した。マシンを入手してバッテリーとモーターを取り外し、ZEODに取り付ければいいと考えたのだ。


 当時存在していた2台のリーフ・ニスモRCのうち、1台はRMLのファクトリーからそう遠くないボブ・ネビルにあるRJNチームのファクトリーにあった。リーフ・ニスモRCのパーツはZEODのシャシーに適合するはずだったし、富士のデモ走行をこなすにも十分な速さを発揮することは間違いなかった。ただ、チームが私の提案を受け入れることはなかった。


■イギリス人らしからぬWEC富士予選観戦術。秘訣は「スーパーGTとの比較」


 さてレースウイーク初日を迎えて私が富士に着くと、結局ZEODはフルラップでのデモ走行を行わないと耳にした。かわりにホームストレート上で“お楽しみ”を披露するという。しかし、結局これもグリッド沿いを走るという内容に格下げされた。


 ZEODの初走行はミハエル・クルムが担当したが、あのような短い距離のデモ走行ではどんなドライバーでもパフォーマンスは発揮できない。結果的にマシンは非常に遅く、期待はずれのお披露目だったと言わざるを得なかった。


 面目を保つためだろう、チームの広報担当者は、マシンははるかに速く走れるが意図的に控えめな走行をしたのだと主張した。確かに、ZEODのプロジェクトは非常に難しいものだったし、当時彼らが目指していたル・マン24時間までは8カ月の猶予があったから、それまでに状況は改善されるだろうと納得したのだった。


 当時、私の仕事はサーキットごとにマシンの詳細な技術写真を撮って記事を書くこと、そしてテレビとラジオの英語放送向けにピットレーンでコメンテーターを務めることだった。そのためZEODの件は別として、大会初日に参加するべき会見やミーティングが多くあった。


 そうしてサーキットを駆け回っていると、地元の学校から生徒たちがサーキットを訪れ、WECのプラクティスセッションを観戦したり、パドックを見学していることに気づいた。


 個人的に、こういった取り組みは素晴らしいと思う。日本の各サーキットはもちろん、私の故郷であるイギリスでも実現してほしいものだ。私が学校に通っていたころ、これほどエキサイティングな遠足はなかったのだから。


 この日はプラクティス1回目で95号車アストンマーティン・ヴァンテージGTEが2号車アウディR18 e-tronクアトロにクラッシュしたこと以外は特筆するべきことはなく、私はピットエリアでの車両撮影に時間を割くことにした。


 その後はいくつかインタビューをこなしたが、そのせいで富士スピードウェイから御殿場駅に向かう道中は新宿行きロマンスカーに乗れるかどうかの“レース”をこなす羽目に。


 結局ロマンスカーには間に合わず、私は普通列車で三島駅に向かい、そこから新幹線で東京に戻ったので、かなりの時間を奪われてしまった。

2013年のWEC富士、予選ポールポジションを獲得した1号車アウディR18 e-tronクアトロ


2013年WEC富士を戦った7号車トヨタTS030

 土曜日に行われた予選もあまり目を引く内容ではなかった。LMP1クラスのトップ集団は拮抗しており、1秒以内の差にトップ4台のマシンが入っていた。結局、1号車アウディR18がポールポジションを獲得し、2台のトヨタTS030がその後方、2台目のアウディがトヨタの後方に続く結果となった。


 WEC富士を見る際は、スーパーGTとのラップタイムを比較すると面白い。当時、LMP1マシンは11周あたり約3.5秒ほどGT500マシンよりも速かった。当時のLMP1クラス最速ラップは、アンドレ・ロッテラーがアウディR18で出した1分26秒235で、LMP2クラスの最速タイムは、マイク・コンウェイがオレカ03で出した1分31秒778だった。


 これに対し、当時スーパーGTは中嶋一貴がPETRONAS TOM’S SC430で1分31秒040のベストラップを記録していた。実際、コンウェイのLMP2マシンはGT500だったら予選6番手という計算だ。ちなみに、2013年末に行われた富士スプリントカップではGT500のタイムは向上していて、大嶋和也のENEOS SUSTINA SC430は1分30秒701を記録している。


 GTEクラスはGT300マシンと比較すると面白い。当時、ARTA CR-Z GTを操っていた高木真一は最速タイム1分38秒773を記録していた一方、WECでのGTEクラス最速はフレデリック・マコヴィッキがアストンマーティン・ヴァンテージGTEで記録した1分38秒605だった。ここまでの接戦があるだろうか!(WEC富士後に行われた富士スプリントカップで、GT300は1分36秒736までタイムを縮めている)。


 さて、私はこの予選日も新宿行きロマンスカーを逃したが、そんなことが気にならないほど決勝レースを楽しみにしていた。私は富士スピードウェイに行くたびに高揚感を覚える。コースの歴史も感じることができ、独特の感情が湧き上がるのだ。


 しかし、この時私は富士スピードウェイで行われたJGTC(全日本GT選手権、現在のスーパーGT)や日本国内トップフォーミュラの多くで大雨に見舞われるレースもあったことを思い出すべきだったが、当時はそこまで考えが至らなかった……。



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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。


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