F1特集ギャラリー:フェルナンド・アロンソ、17年間の軌跡

2018年8月15日(水)17時47分 AUTOSPORT web

 2018年限りで、F1現役生活にいったん終止符を打つことを発表したフェルナンド・アロンソ。これまでのキャリアで2度のワールドチャンピオンを獲得。22回のポールポジション、97回の表彰台、そして32勝をあげたアロンソのこれまでの戦いの軌跡を写真とともに振り返る。


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2001年
 アロンソはミナルディからF1デビュー。2001年シーズンの決勝最高位は、ドイツGPの10フィニッシュ。

2001年にミナルディからF1デビューしたフェルナンド・アロンソ。チームメイトはタルソ・マルケス


2002年
 ルノーのテストドライバーとして数千キロを走行。またジャガーでテストも行った。

2002年はルノーのテストドライバーとなり翌年に再びF1参戦


2003年
 ルノーのレギュラードライバーとして1年ぶりに復帰。第2戦マレーシアGPでは初のポールポジションを獲得したほか、第13戦ハンガリーGPではポール・トゥ・ウインを達成する活躍を見せた。

2003年 F1日本GP:記念撮影を撮るフェルナンド・アロンソとチームメイトのヤルノ・トゥルーリ


2004年
 チームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回り、4度の表彰台を獲得。しかし、チャンピオン争いには絡めずランキングは4位に。

2004年 フェルナンド・アロンソとチームメイトのヤルノ・トゥルーリ


2005年
 競争力を発揮したルノーR25を駆り6回のポールポジション、7回の勝利を達成。ライバルのキミ・ライコネンを下し、初のF1チャンピオンの栄冠を手に入れた。

2015年 F1最終戦中国GPでワールドチャンピオンとなったフェルナンド・アロンソ


2006年
 シーズンの前半戦を支配し、フェラーリのミハエル・シューマッハーの猛追を退け2年連続チャンピオンを獲得した。

2006年 2年連続F1チャンピオンを獲得したフェルナンド・アロンソ


2007年
 3年契約でルノーからマクラーレンに移籍し、ルーキーのルイス・ハミルトンとともに2007年シーズンを戦う。シーズン4勝を上げる活躍をみせるも激しいバトルを繰り広げるハミルトンとの関係が悪化。さらにフェラーリとマクラーレンのスパイスキャンダル後はチームとも関係も悪化し、わずか1年でマクラーレンとの関係は終了した。チャンピオンシップは1ポイント差でライコネンに敗れる結果に。

2007年にマクラーレンに移籍したフェルナンド・アロンソ。チームメイトはルイス・ハミルトン


2008年
 古巣であるルノーに復帰したアロンソ。チャンピオン争いに絡むことはできなかったが、第15戦シンガポールGP、第16戦日本GPで優勝を飾りランキング5位でシーズンを終えている。※シンガポールの優勝は翌年クラッシュゲートとして大きな問題に発展した。

2008年 F1シンガポールGPで優勝を飾ったフェルナンド・アロンソ


2009年
 ルノーのマシンの性能に苦戦するシーズンとなる。シンガポールGPで3位が唯一の表彰台となった。

2009年 フェルナンド・アロンソ


2010年
 2010年はフェラーリに移籍しフェリペ・マッサとともに2010年シーズンを戦う。開幕戦バーレーンで優勝し、レッドブルのベッテルとタイトル争いを繰り広げる。シーズン5勝をあげたものの、拙いピット戦略が足を引っ張りベッテルから4ポイント差でタイトルを逃すことになった。

2010年 フェルナンド・アロンソとチームメイトのフェリペ・マッサ


2011年
 戦闘力の劣るフェラーリのマシンを駆りチームメイトのマッサには圧勝したものの、マクラーレンとレッドブルのマシンに太刀打ちできず、ランキングは3位に。

2010年 フェルナンド・アロンソ


2012年
 2012年もフェラーリから参戦。シーズン序盤はマシンの性能によって苦戦は強いられたものの、第5戦スペインGPのアップデートから復調。シーズン3勝を上げ最終戦までベッテルとタイトル争いを繰りひろげたが、惜しくも3ポイント差でベッテルに敗れる結果となった。

2012年 フェルナンド・アロンソ、セバスチャン・ベッテル


2013年
 2013年も引き続きフェラーリから参戦。第3戦マレーシアGP、第5戦スペインGPで勝利を上げたが、圧倒的な強さを見せるレッドブルのベッテルに大差をつけられランキングは2位。

2013年 F1第5戦スペインGPで優勝を飾ったフェルナンド・アロンソ


2014年
 エンジン規定に関する大幅な改訂により、パワーユニット(PU)が導入。強力な新型PUを携えたメルセデスが台頭。フェラーリのマシンではメルセデスPU搭載マシンに太刀打ちできず、2度の表彰台に上るのみでシーズンを終えた。翌年はマクラーレン・ホンダに移籍することに。

2014年 フェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネン


2015年
 マクラーレン・ホンダの初年度は厳しいシーズンとなった。ホンダのパワーユニットを搭載するマクラーレンMP4-30はパワーと信頼性の低さと苦しみ、アロンソは11ポイントを獲得するのみで1年を終えた。

ホンダ八郷隆弘社長と握手をかわすフェルナンド・アロンソ


2016年
 マクラーレン・ホンダの2年目のシーズンも苦しい戦いが続いたが、第6戦モナコGPでは5位入賞。その後も入賞のチャンスを逃さず2016年は54ポイントを獲得して、ランキングは10位。チームメイトのジェンソン・バトン(シーズン15位、21ポイント)の2倍以上のポイントを獲得している。

2016年 開幕戦オーストラリアGPで大クラッシュを喫したフェルナンド・アロンソ


2017年
 マクラーレン・ホンダの厳しい3年目のシーズンで、アロンソは17ポイントしか獲得できなかった。モチベーションの低下したアロンソは、第6戦モナコGPを欠場し、インディ500に参戦。だが、こちらもホンダエンジンの故障でレースを終えている。アロンソの強い希望もありマクラーレンはホンダとのパートナーシップを終了。翌年はルノーPUを搭載することになった。

2017年 フェルナンド・アロンソ、ストフェル・バンドーン


2018年
 ホンダからルノーにPUを乗せ換え、マクラーレン4年目となった2018年シーズンだが、コンスタントに入賞してはいるものの優勝争いには絡めず。8月14日には、将来に向けた含みは持たせているものの、F1現役生活を2018年でいったん終了することを発表した。

2018年 フェルナンド・アロンソ


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