2シーズンぶりのルールダービー…“禁断の移籍”を果たした選手たちを振り返る

2022年9月16日(金)16時2分 サッカーキング

今週末対戦するドルトムントとシャルケ [写真]=Getty Images

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 今週末、ルール地方を拠点とする2つのクラブが激突する。ドルトムントとシャルケによる、2シーズンぶりの“レヴィアダービー”だ。

 1925年から続く伝統の一戦だが、昨シーズンはシャルケがブンデスリーガ2部に在籍していたため対戦がなかった。そのため、2シーズンぶりの開催となる今週土曜日の大一番は、いつになく注目度が高い。ルール地方には他にもクラブがあるが、彼らとの対戦はどうしても“マイナー・ルールーダービー”と呼ばれてしまう。やはり本番はドルトムントとシャルケの戦いなのだ。

 30kmほどしか離れていないドルトムントとゲルゼンキルヒェン。炭鉱と鉄鋼業で栄えた町の威信をかけた戦いは、サッカー界を代表する伝統のダービーだ。「毎シーズン、特に重要な試合が2つある。それがシャルケとのホーム&アウェイだ」とドルトムントの主将マルコ・ロイスが語るほどで、ドイツでは「全てのダービーの母」とも呼ばれる、まさに究極のダービーなのだ。

 そして今回は、今季からシャルケに所属する日本代表DF吉田麻也(34歳)もレヴィアダービーに初参戦するため、日本でも注目されている。そんな熾烈なライバル関係にある両クラブだが、過去には禁断の“直接移籍”を果たした選手がいるそうなので紹介しよう。

■アンドレアス・メラー

 レヴィアダービーの垣根を飛び越えた最も有名な選手といえば、1990年ワールドカップや1996年欧州選手権でドイツの優勝に貢献したMFアンドレアス・メラーだろう。メラーはドイツ国内で活躍したあと、イタリアのユヴェントスで1993年にUEFAカップを制覇。そして再びドイツに戻り、今度はドルトムントで黄金期を築く。1994年から6シーズン所属して、2度のブンデスリーガ制覇のほか1996−97シーズンにはチャンピオンズリーグ優勝にも貢献。決勝では古巣ユヴェントスを相手に2アシストでチームをヨーロッパの頂点に導いた。

 こうしてドルトムントの英雄となったメラーだが、2000年に“禁断の移籍”を選ぶ。ドルトムントとの契約が満了すると、宿敵であるシャルケと契約を結んだのだ。この移籍が物議を醸しだしたのは言うまでもない。ドルトムントのファンが「金に目がくらんだ」と激怒すれば、シャルケのファンも宿敵のスター選手を歓迎しなかった。なんとインターネットのアンケートでは「80.51%」のシャルケファンが、獲得に反対したという! それでもメラーはピッチ上で実力を見せつけ、2度のポカール制覇に貢献したほか、2000−01シーズンにはシャルケにブンデスリーガ初優勝のタイトルをもたらしかけたのだ。

 そのシーズン、シャルケは最後までバイエルンと優勝争いを演じた。最終節、逆転優勝を目指してシャルケが勝利したのに対し、バイエルンはハンブルガーに1点リードを許す展開。このままバイエルンが敗れれば、シャルケの43年ぶり、ブンデスリーガになってからは初めてリーグ優勝が決まるはずだった。しかし94分にバイエルンのパトリック・アンデションが同点ゴールを決めてしまい、シャルケの夢は儚く散った。

■ラインハルト・リブダ

 両クラブに受け入れられた選手といえば、1960〜70年代に活躍した元西ドイツ代表のFWラインハルト・リブダだろう。その類まれなドリブル技術から、“ドリブルの魔術師”と呼ばれた元イングランド代表FWスタンリー・マシューズの名前を取って「スタン・リブダ」と呼ばれた天才である。彼はシャルケの本拠地ゲルゼンキルヒェンで生まれ、シャルケの下部組織からトップチームへと上り詰めた生粋のシャルケ選手だった。

 しかし1965年にシャルケがブンデスリーガで最下位となって降格が決まると、チームから次々に主力が移籍。リブダもその一人で、引っ越さずにブンデスリーガでプレーを続けるために、ドルトムントを移籍先に選んだのだ。しかし、実は移籍する必要などなかったことを後に知らされる。移籍金などの違反によってヘルタ・ベルリンがライセンス剥奪となって降格処分に。ブンデスリーガは、昇格と降格を巡る裁判沙汰を避けるために1部リーグを16チームから18チームに拡大。最下位で降格するはずだったシャルケも無事に残留できたのだ!

 では、愛するシャルケを出たリブダの判断は間違っていたのか? そうとも言い切れない。リブダはドルトムントでも活躍し、1965−66シーズンにはUEFAカップウィナーズカップで決勝に進出すると、延長戦までもつれたリヴァプールとのファイナルで107分に決勝ゴールを奪って見せたのだ。ルール地方の黄色いクラブに初の欧州カップ戦のタイトルをもたらすと共に、自身にとってもプロキャリア初の栄冠を手にした。

 リブダはドルトムントで3シーズン過ごしたあと、愛するシャルケに復帰し、1971−72シーズンにはキャプテンとしてシャルケの35年ぶりのポカール制覇に貢献した!

■インゴ・アンダーブリュッゲ

 ドルトムントとシャルケだけでは飽き足らず、アメフトまでプレーした選手もいる! それが1990年代にシャルケで活躍したMFインゴ・アンダーブリュッゲだ。1984年にドルトムントでブンデスリーガデビューを果たしたアンダーブリュッゲは、1985年に初めてルールダービーを経験。そして1988年、24歳のときに当時2部にいたシャルケへと移籍し、ライバルクラブで名声を築くことに。3年後の1991年にブンデスリーガに昇格すると、1999年まで11年間もシャルケで活躍した。

 1996−97シーズンには、シャルケにとって今のところ唯一の欧州カップ戦のタイトルであるUEFAカップ制覇に貢献。2戦合計1−1でPK戦にもつれたインテルとの決勝戦では、見事にシャルケの一番手としてPKを沈めて見せた。結局、シャルケでは11年間で公式戦350試合以上に出場し、シャルケの「20世紀ベストイレブン」にも選出された。

 ルール地方で生まれ育ったアンダーブリュッゲは、やはりプロデビューを果たしたドルトムントよりも11年過ごしたシャルケの方が思い入れが強いようで、引退後のインタビューで「両クラブでプレーできて誇らしいし、ドルトムントとは今でもよい関係にあるが、シャルケの方が少しだけ自分の心の近くにあるかな。“青い”思い出の方が多いからね」と語っている。

 ちなみに、優秀なPKキッカーとして知られたアンダーブリュッゲは引退後、NFLヨーロッパ(アメフトの欧州リーグ)のクラブで2年ほどプレースキッカー(フィールドゴールを蹴るポジション)としてプレーした!

 上記3名以外にも、MFシュテファン・フロイントといった代表でも活躍した個性的なキャラクターが“レヴィアダービー”の禁断に手を染めている。果たして、今後もそういった選手が出てくるのか。ドルトムントとシャルケによる究極のダービーに注目したい。

(記事/Footmedia)

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