国学院大・駒沢大・青山学院大、「3強」エースのアツすぎる前哨戦…最終決戦は箱根路へ
2024年11月18日(月)17時8分 読売新聞
初優勝を遂げた国学院大が、史上6校目の大学駅伝3冠への挑戦権をつかんだ3日の全日本大学駅伝。2位駒大、3位青学大と、出雲駅伝と全く同じ大学が上位を占める中、その「3強」のエースがプライドをかけてぶつかり合ったのが、終盤の勝負区間7区だった。(編集委員 近藤雄二)
青学大・太田蒼生「1分差を作る」
緑のたすきをかけると青学大の太田蒼生(4年)は、17・6キロのエース区間7区へ、はじけるように飛び出した。その直前、6区白石光星(同)の背後には後続が迫るのが見えた。自分が勝負をつける。強い思いを込めたダッシュだった。
その差4秒。追うは国学院大のエース平林清澄(同)だ。出雲では、駒大主将でスピードランナーの篠原倖太朗(同)とのアンカー勝負を制していた。すぐに追いつき、並走が始まるかと思われた。
しかし、2人の差は縮まらない。それどころか「優勝のため、自分が1分差を作る」と決意した太田が、ぐんぐん平林を引き離す。10秒、15秒。100メートルほどまで差が広がった。
今年1月の箱根駅伝。3区(21・4キロ)に起用された太田は、日本人で初めて1時間の壁を破る59分47秒の快記録をマーク。出場全選手で1万メートル最速タイムを持っていた駒大の佐藤圭汰(現3年)との22秒差を逆転、さらに突き放す爆走で勝利への流れを作った。
国学院大・平林清澄「地の利は自分に」
その再現かと思われた。しかし、10キロ過ぎ。苦しげに口を開ける太田に、すまし顔の平林が逆襲を始める。平林は、今年2月の大阪マラソンを2時間6分18秒の初マラソン日本最高で制したスタミナ自慢。7区には4年連続の登板で「地の利は自分にある」。10秒、5秒。起伏あるコースで、じわじわと差をつめる。
そして15キロ手前。ついに太田を捉えると前に出た。しかし、今度は太田が耐える。平林の背後につくと、しばし息を整え、残り2キロを切って再スパート。平林も粘るが、サングラスを頭へずらした太田は、ラストの切れでは一枚上。1秒また1秒。平林との差を広げ、中継点へ飛び込んだ。次いで平林もたすきを渡し、共に路上へ倒れ込んだ。
その差4秒。17・6キロを走り、2人は全くの同タイム。まさにがっぷり四つ。エースとエースの譲れない意地がほとばしる、しびれるような名勝負だった。
駒沢大・篠原倖太朗「つめるしかない」
ところが、驚いたことに、彼らは区間賞をつかめなかった。2人をしのぐ走りをしたのが、駒大主将の篠原だった。2区で16位と出遅れた駒大は、6区を終えた時点でトップ青学大から2分47秒差の5位。しかし、5連覇がかかっていた大エースは、まだまだ闘志にあふれていた。
「もう前とつめるしかない。少なくともメダル圏内に押し込む」。OB田沢廉(トヨタ自動車)の区間記録も意識しながら、見えないトップ争いを上回るスピードで突っ込んだ。城西大、創価大を抜き去って3位へ浮上。太田と平林を10秒上回り、山川拓馬(3年)にたすきをつないだ。
田沢の区間記録には19秒及ばなかったが、この猛追を引き継いだ山川は、青学大との2分37秒差を逆転。トップ国学院大にも28秒差まで迫った。まさにチームを生き返らせた、主将篠原の激走だった。
歓喜、涙、決意
レース後、最も感情をあらわにしたのが平林だった。国学院大の前田康弘監督に泣きながら電話をかけ、心から悔しがった。
「駅伝には勝ったけど、自分の中の勝負には負けた。記録でも篠原に負けるダブルパンチを食らった。でも日本一のうれし涙も流れていた」。平林の胸中には、チームが頂点に立った喜びと、自身の走りへの不満と悔恨が、ぐるぐると渦巻いていたようだ。
チームが3位に沈んだ太田は「僕も含めて4年生が物足りなかった。箱根は絶対優勝したいので、チーム一丸で、より上を目指すしかない」。箱根では驚異的な調整力を発揮する青学大のエースとして、決意を新たにしていた。
また、出雲での涙を逆襲への力にした篠原は「箱根で勝つしかない。平林君とは1勝1敗。太田君は箱根では本当に強い。そこを頭にいれてやっていく」と口元を引き締めた。
出雲6区では、平林の区間賞に対し、太田と篠原が同タイムの区間3位。全日本7区では、篠原の区間賞に対し、平林と太田が同タイムの区間2位。不思議な因縁で結ばれた3強の3エースは、決戦の箱根で、どんな結末を見せてくれるだろうか。