“小さな巨人”ペドロサ「MotoGPマシンに乗るのは無理だと思っていたが......」/特別インタビュー後編

2018年12月15日(土)10時0分 AUTOSPORT web

 2018年シーズンをもって現役を引退したMotoGPライダー、ダニ・ペドロサ。ペドロサはレプソル・ホンダ・チームに13年間在籍し、その間実に3度、MotoGPクラスでランキング2位を獲得している。なぜ、ペドロサはタイトルに届かなかったのか。モータースポーツジャーナリストの富樫ヨーコ氏による、『現役引退のペドロサが明かす胸中。「いつか必ずタイトルを獲れると信じていた」』に続く特別インタビュー後編。なお、このインタビューはMotoGP日本GPレースウイーク前に行われたものであることを付け加えておく。
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■チームメイトとライバル


 レプソルホンダに在籍した13年間にペドロサには4人のチームメイトがいた。ヘイデン、アンドレア・ドヴィツィオーゾ、ケーシー・ストーナー、そしてマルク・マルケスだ。この中でベストなチームメイトは誰だったのか。


「ケーシーだ。彼は速いし、レースで速く走ること以外のことに興味がなかった。だからコンペティションが純粋でクリーンでやりやすかったんだ。どちらかというと僕もそのタイプだからね」

2011年、2012年と、レプソル・ホンダ・チームでペドロサのチームメイトだったストーナー


 孤高の天才ライダー、ストーナーがペドロサにとってベストチームメイトだったというのは少し驚きだった。必要最低限のこと以外、関わってこないチームメイトというのはペドロサにとってやりやすい存在だったのだろう。現在のチームメイト、マルケスはどうか。


「マルクも速いし一緒にやっていて楽しいよ」


 これまでで一番のライバルは誰だろう。


「マルクは強敵のひとりだ。あとはケーシーとホルヘかな」

ペドロサがライバルと評するマルケスとロレンソ


 バレンティーノ・ロッシは強敵ではなかったのだろうか。


「バレンティーノは僕より前から500cc(クラス)、MotoGPクラスにいる。奇妙なことにバレンティーノが強いときは僕がケガしていたり、マシンやタイヤが不調だった。逆に僕がすごくストロングなときはバレンティーノがケガしていたり、ドゥカティにいてだめだったんだ。だから直接ハイレベルで競い合ったことがないんだよ」


「あなたが辞めると聞いて、一番がっかりしているのはバレンティーノじゃないかな。年齢的に近い人がいなくなるから」と私が言うと、ペドロサはうれしそうにハハハ、と笑った。


■ケガと小柄な体


 ダニ・ペドロサというと負傷の数が多いことでも有名だ。「これまで何回ぐらい手術を受けたの?」と尋ねるとペドロサは、ちょっとつらそうな表情でこう答えた。


「そうだね。20回近くかな。もう全然痛まない部分もあるけど、まだ痛むところもある。肩も痛いし(と言って肩がよく回らないことを見せてくれた)、指はよく曲がらない(と言って変形した左手の指をそっと抑えた)。今後ちゃんとケアしていかないと年を取ってから痛むよね」


 13年間、ペドロサがタイトルを獲得できなかった原因のひとつにケガが多かったこともあるだろう。メカニックの小合氏は次のように話している。


「ダニがチャンピオンを獲れなかったのは、一回の転倒で受けた体へのダメージが深刻だったからだと思います。骨折と言ってもひびの入り方が違いました。ついていないことが多かったですね」


 それでもペドロサは小さな体で大きなマシンを操り続けた。スムースで無駄のない走りは多くのファンを魅了した。また、ホンダのエンジニアの中にもペドロサのライディングテクニックと才能を高く評価し、なんとかしてチャンピオンを獲らせたいと考えていた者もいたという。


「ダニは体が小さくてもライディングスタイルを変えてそれに対応していました。自分の乗り方で小柄だというハンディキャップをカバーしていたんです」と小合氏は語っている。


 ペドロサ本人は当初MotoGPマシンには乗れないのではないかと思っていたという。


「レースを始めたころは500ccやMotoGPマシンに乗るのは無理だと思っていた。でもMotoGPに移る前の年とその前の年と2回250ccチャンピオンになっていたから、それならMotoGPマシンにも乗れるだろうと考えた」


「うまくいかないことやケガも多かったけど、最初に考えていたよりずっとうまくいったと思う。最初はMotoGPでは戦えないと思っていたんだからね。大事なことは、誰が何を言ってくるかということではなく、自分がどう信じているかということで、フィーリングが重要だと思っている」


■プーチとペドロサ


 ペドロサとプーチは1999年からテレフォニカ・モビスター・ジュニアチームで師弟関係にあった。どこへ行くのも一緒だったプーチとペドロサ。しかし、ふたりの関係は2013年シーズンが終わったときに終焉を迎えた。プーチは新たに始まったアジア・タレントカップのスーパーバイザーとなり、若手の育成に従事することになったのだ。


 なぜふたりは離別することになったのか、プーチに聞いた。

かつてはペドロサの隣には常にプーチ(右)がいた。ふたりは2013年をもって、袂を分かつことに


「1999年から一緒で、ずっと同じ方向を向いてやってきたけど、ある時点から考え方が異なるようになってきた。いつの日からかダニは僕のアドバイスに従えなくなり、僕はダニの考え方についていけなくなったから、別々の道を歩むことにしたんだ」


 そんなプーチはペドロサが引退すると聞いて何を思ったのだろうか。


「ダニは長いキャリアをホンダで過ごすことができてラッキーだったと思う。世界タイトルも3回取っている。MotoGPのタイトルは獲れなかったけど、HRCという良い環境にあれほど長くいることができて幸せだった。トータルで考えて彼自身満足していると思う」



■ペドロサがリスペクトする“侍”



「ダニが引退するのはすごく寂しいですね」と小合氏は語る。


「今年も開幕まで乗れていたんです。でも第2戦のアルゼンチンGPで(ヨハン・)ザルコと接触して転倒して右手の付け根にひびが入ってしまったんです。これまで何度もタイトル争いに絡んでいたのに獲れなかったというのが心残りだし、悔しいです。ダニの方がもっと悔しいと思いますけど……」と小合氏。


 2001年から2018年マレーシアGP終了時までで54勝を挙げているペドロサ。しかし、2018年の優勝回数は未だゼロだ。もてぎで8位、フィリップアイランドは転倒リタイア、セパンでは5位に終わっている。


 以前、もてぎは得意なコースだと語ったペドロサは2015年に“侍”と書かれたヘルメットを被って日本GPに臨み、優勝した。それ以来、日本だけではなく全戦で“侍”ヘルメットを被るようになったペドロサ。“侍”にはどのような思いが込められているのだろうか。

今やペドロサヘルメットのトレードマークとなった“侍”の文字


「2001年から何度も日本に来ている。日本人の心や文化に触れて、そのスタイルが気に入ったんだ。侍の謙虚で強いところが好きなんだ」


 侍が好きだと語るペドロサ。もてぎでは熱狂的なファンが“侍”マークを身に着けてペドロサの姿を追っていた。


■鈴鹿8耐、そしてバレンシア


 もてぎで取材した時点ではペドロサがKTMのテストライダーになるという話は出ていなかった。だから私はペドロサに『来年の鈴鹿8耐に出る予定はないの?』と質問した。それを聞いてペドロサはちょっと困った顔をしてこう答えた。


「8耐参戦は現時点ではノーだ。8耐のことは250ccライダーだったころから雑誌で読んだりして注目していた。MotoGPに上がってから一度出たいと思っていたけど、チャンピオン争いをしていたからチャンスがなかった」


 この記事が掲載されるころには最終戦バレンシアGPも終わっている。バレンシアにもペドロサファンは大勢集まってくるだろう。ペドロサ最後のレース。“侍”と書かれた小旗を持ってバレンシアに詰めかけるファンの熱狂は遠く離れた日本にいても想像することができる。


「バレンシアでレースが終わったあと、泣いてしまうと思う?」ともてぎで聞いたとき、ペドロサは「答えるのが難しい」とボソっと答えた。その時点ではまだ4戦残っていたから一戦ずつ集中して戦っていこうと考えていたのだろう。あるいはバレンシアのレース後のことなど考えたくなかったのかもしれない。


 最終戦バレンシアGPに関して小合氏は次のように語ってくれた。


「ダニとは最初のうちはプロの仕事に徹するという関係だったのですが、ずっと一緒にやっているから、今では何でも言える仲間になっています。だからダニが引退してしまうのは本当に寂しいですね。バレンシアでは泣いてしまうかもしれません。バレンシアは左回りのコースでダニは得意だから、絶対に勝ってほしいです」


 バレンシアでペドロサは有終の美を飾ることができただろうか。侍ヘルメットを持って、表彰台の中央に立つことができただろうか……。


*ライディングスポーツ2019年1月号掲載




■引退特集:ダニ・ペドロサ



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