日本初のダートコースのG1「フェブラリーステークス」ダート王フォーエバーヤング、ダートの功労馬クロフネの偉業

2025年1月11日(土)6時0分 JBpress

(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)


国内無敵のダート王、フォーエバーヤング

 新しい年を迎えて、新たな気持ちで新しい馬との出逢いを期待している競馬ファンの方も多いことでしょうが、まずは昨年11月10日「エリザベス女王杯」から8週続いたG1ラッシュに夢中だったファンのみなさんへ「お疲れさま」のねぎらいの言葉を贈ります。

 私が競馬に手を染め始めた半世紀前は、11月末のジャパンカップもなければ年末のホープフルステークスもなく、師走といえばじっくりと熱燗を横に仲間と有馬記念の展開を予想したり、年の瀬を象徴する「中山大障害」を楽しんだりしたものでした。グランドマーチスとかバローネターフとか、強い障害馬がいましたね。

 1999年以降は暮れも押し迫った12月29日に大井競馬場で「東京大賞典」が開催されるようになり、大掃除の進行が遅れることしばしば。「東京大賞典」が日曜日と重なる年にはJRA主催の有馬記念が1週早い12月22日に開催され、今世紀に入ってからは有馬より大賞典のほうが私にとって一年の終りを感じさせてくれるレースとなっています。

 有馬記念と東京大賞典……一年の納めに中央競馬(JRA)と地方競馬(NAR)を代表する優駿たちが集結して、それぞれ芝コースとダートコース(後述)で雌雄を決するレース。いいですね。昔と違って、中央と地方の交流が進み、ダートコースのレースの注目度も劇的に高まり、毎年私の心を熱くさせてくれます。

 昨年末の有馬記念では人気投票第1位のドウデュースが残念ながら出走取り消しとなりましたが、伏兵の4番人気のレガレイラが鼻差で優勝、3歳牝馬では64年ぶりの制覇となって5万人を超える中山競馬場に押し掛けた多くのファンを沸かせました。

 一方、大井競馬場のダートコースで行われた東京大賞典では、本命のフォーエバーヤング(3歳、牡)が貫録の勝利。所属はJRAの矢作芳人厩舎。そう、昨年10月、パリのロンシャン競馬場で行われた凱旋門賞にシンエンペラーで果敢に挑戦した、日本を代表する国際派の調教師です。

 矢作調教師の父は、かつて大井競馬場の調教師会会長を務め、昨年3月に死去した矢作和人氏であり、大井競馬場を代表するビッグレースで優勝したことはご尊父への良いご供養となったことでしょう。

 フォーエバーヤングは過去9戦して7勝(すべてダートコース)、3着2回の成績を残していますが、この2回の3着は米国で行われたビッグレース、ケンタッキーダービーとブリーダーズカップ・クラシック(どちらもダートコース)でのもので、米国のトップホースたちと伍してもひけを取りませんでした。

 出走したレースはすべてダートコースであるこの実力馬は、東京大賞典に際しベストのコンディションでなかったにもかかわらず、他馬を寄せ付けない見事な勝ちっぷりで国内無敵のダート王として君臨しています。


日本のダートは「砂」、米国の「土」ダートとは大違い

 なぜフォーエバーヤングが欧州ではなく米国に遠征をしたのか。その背景には矢作調教師の慧眼がありました。

 競走馬としてのデビュー前、調教を見たチーム矢作のスタッフがダート向きの走りであることを確信しダート路線を即決、デビュー後の快進撃の起点となりました。

 競馬ファンの方にとっては「耳にタコ」でしょうが、ほんの少しだけ「芝とダートの違い」について触れておきます。

 競馬のルーツである英国をはじめ欧州では芝コースを中心にレースが行われている一方、米国ではダートコースでの競馬が主流となっています。ただし、ダートといっても日本のような砂を敷いた馬場でなく、地面の赤い土を耕したような馬場です。

「dirt」を辞書で引くと「土、泥、ほこり」などと記載されています。現在の日本競馬界では「ダート」というと「砂の馬場」を示していますが、米国の競馬場のダートは本来の「土」を意味しています。同じダートでも日米では大きく異なるということです。

 日本のダートコースは当初、米国の馬場を参考にしていましたが、雨の多い日本の気候事情では土だと水はけが悪く、日を置かずして砂に変えた経緯がありました。ただし、砂の馬場が定着したあとも「サンド」と称されることはなく、「ダート」という言葉だけが残ったという次第です。

 芝コースは手間がかかり経費もかさむので、地方競馬ではほとんどがダートコースでレースが行われています(盛岡競馬場だけダートコースの内側に芝コースが併設)。

 ざっと色分けすると、スピードタイプの馬は芝コースを得意とし、パワータイプの馬はダート(砂)で実力を発揮しやすい、といわれています。

 1985年の第5回ジャパンカップで、シンボリルドルフに次ぐ2着と健闘した船橋競馬所属のロッキータイガーは全25戦中、このときが生涯ただ一度の芝コースでの激走でした。おそらく芝コースの適性にもすぐれたものがあったのでしょうが、今振り返れば、たいしたたまげた馬でした。


ダートコースのG1レース「フェブラリーステークス」誕生!

 東京競馬場、中山競馬場、京都競馬場、阪神競馬場など、JRAが主催する競馬場に行くとわかりますが、ダートコースでのレースがその日のメインレースとなることはごくわずかしかありませんでしたし、かつてダートのレースはG1レースとは縁遠い存在でした。

 テレビ中継でもメインレースでダートコースが映ることは少なく、競馬ファン以外にはあまりなじみのないダートのレース。地方競馬などの常連さんたちにはなじみがあっても中央競馬のメインレースではダートコースが使われることが少なく、ましてやG1レースにダートコースが使用されることなどありませんでした。

 それが1997年にダートコース初のG1レース「フェブラリーステークス」が誕生。このレースの創設により、ダート競馬が身近なものになっていきます。 

 このレースが創設されるまでのG1日程は、有馬記念終了後の翌年4月初旬の桜花賞まで待たなければならず(現在3月開催のG1高松宮記念は2000年から3月開催に、同じく大阪杯は2017年にG1昇格)、G1レースが2月に誕生したのは競馬ファンにとってうれしいニュースでした。

 フェブラリーステークスの舞台となるダートコースでのレースのおもしろさを劇的に感じさせてくれた功労馬がいます。米国生まれのクロフネです。同馬は2000年〜2001年の2年間に全10レースに出走し6勝、2着1回、3着2回、5着1回という生涯成績でした。

 満2歳時での初戦はクビ差の2着、2戦目3戦目はレコード勝ちで頭角を現わしたものの、4戦目は3着と期待を裏切りますが、満3歳になった5戦目の毎日杯(G3)で初の重賞勝利、ついでG1のNHKマイルカップでも勝利します。米国から来た黒船がついに日本競馬を席巻かと期待されたダービーでは5着に敗れ、4か月後の神戸新聞杯(G2)でも3着、威光は輝きを失いつつありました。 

 馬券的には悩まされる一頭ではありましたが、当時のクロフネは強さと脆さを併せ持った愛すべき馬でもあったのです(大相撲だと柏戸かな。古すぎますかね)。


記録にも記憶にも残るクロフネの偉業

 そのクロフネは生涯最後の2戦によって評価を一変させます。それがダートコースを舞台にした重賞レース、武蔵野ステークス(G3)とジャパンカップダート(G1、現在のチャンピオンズカップ)での爆走です。

 ダートコースでの実戦はわずか2レースであったにもかかわらず、その圧巻の走りは伝説となり、現在でもなおダートコースにおいて競馬史上最強とも評価されることになりました。

 引退後は種牡馬としても活躍。以前にご紹介したソダシ(白毛馬として史上初のG1馬)など多くの活躍馬を誕生させています。多くの名馬を誕生させたのち、今から4年前の2021年1月17日、クロフネは亡くなりました。23歳でした。

 フェブラリーステークスや米国ブリーダーズカップへの参戦は叶わなかったとはいえ、クロフネが日本競馬に残した航跡は色褪せるものではなく、その栄光とともにファンの心をダート競馬へと曳航し、その魅力を多くの人に知らしめてくれた功績に対し大きな拍手を贈ります。

 クロフネがダートコースで残した走破タイムは20数年を経た今も破られていません。新旧馬場の違いはあるでしょうが、今後ますます活躍が期待されるフォーエバーヤングには記録的にも記憶的にもクロフネの領域に肉薄してほしいものです。

 同馬は今年、サウジアラビアとドバイに遠征し、サウジカップとドバイワールドカップ(どちらもダートコース)に挑戦予定です。今から結果が楽しみでもありますし、新たな年にフォーエバーヤングを脅かすダートの新星登場にも期待したいところです。 

 まずは、ダートコースで行われる今年最初のG1レース、「フェブラリーステークス」を楽しむことにいたしましょう。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)

筆者:堀井 六郎

JBpress

「馬」をもっと詳しく

「馬」のニュース

「馬」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ