92歳のシスター・鈴木秀子「変えられないことを受け入れる冷静さを、変えられることについては変えていく勇気を。そして、それを見極める賢さを」

2025年1月16日(木)12時30分 婦人公論.jp


「変えられないことを受け入れる冷静さを、変えられることについては変えていく勇気を。そして、変えられるものと変えられないものを見極める賢さを与えてください」と祈ります(撮影:岸隆子)

人はそれぞれに、さまざまな心配ごとや悩みがあるものです。加えて昨今、日本経済は上向かず、犯罪のニュースが後を絶ちません。世界の政情も不安定な状況が続いています。こんな時、聖心会シスターの鈴木秀子さんはどのような心持ちで日々を過ごしているのでしょう。不安との上手なつきあい方を聞きました(構成:丸山あかね 撮影:岸隆子)

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欲望と不安はセットでやってくる


今年92歳になり、おかげさまでこの2024年もつつがなく過ごすことができました。聖心女子大学在学中から寮に入りましたので、その時から数えると70年以上も同じキャンパスの中で暮らしていますが、ここでの暮らしは飽きることがありません。

修道院の中庭に咲く四季折々の花、さまざまな鳥たちの鳴き声に心癒やされ、満ち足りた心持ちになります。

高齢のシスターが増えたこともあり、共用のトイレやお風呂などは清掃業者にお願いするようになりましたが、それ以外の身の回りのことはすべて自分でしてきました。こうして92歳になっても当たり前に生きられることに、日々感謝しています。

もちろん、いつまでこの仕事が続けられるだろうか、いつまで自力で歩けるだろうか、といった不安がないと言えば嘘になるでしょう。ふとした折に、老いへの不安はよぎります。

でも自然の摂理に抗うことはできませんし、不安というのは、抗えば抗うほど大きくなる。自力ではどうにもできない未来を憂えて何とかしようともがくから、人は不安になるのです。

ですから、私は「いつまでも自力で暮らしていけますように」と祈ることはしません。「変えられないことを受け入れる冷静さを、変えられることについては変えていく勇気を。そして、変えられるものと変えられないものを見極める賢さを与えてください」と祈ります。

人生はこれに尽きるように思いますね。自分ではどうにもできないことが起こっても、受け入れる力があれば恐れは生じませんから。

それには、望みに執着するエゴを手放さないと。ここで大切なのは、誰もが平等なのだという真理に気づくことです。

人にはさまざまな苦しみがあり、時には受け入れがたい試練に見舞われることもあるでしょう。でも誰の人生にも、厳しい局面は訪れる。時期がそれぞれ異なるだけで、自分の人生が特別苦しいわけではないのです。

エゴを手放すためには、幸せの本質について考えてみてもいいでしょう。「お金があればいいのに」「結婚したい」「子どもを優秀な学校に入れたい」など、いろいろな望みがありますね。

でも人が望むことの多くは、かりそめの幸せ。望みが叶えば一時的に幸福感を得られますが、もっともっと、と欲望は膨らみます。なによりその欲望には、「望み通りにならなかったらどうしよう」という不安がセットになっているのです。

持っていないものではなく、いまあるものに目を向けてみてください。誰かと比べるのではなく、自分を見つめてみてください。

生まれながらに、誰もが優れた特質をそれぞれ授けられ、生きる力を持っていることに感謝しなければ。幸せの本質とは、感謝だと私は思います。

祈ることしかできない、と言うけれど


人生100年時代——。寿命が延びたのは素晴らしい恩恵ですが、同時にさまざまな不安が伴うようになったことでしょう。私のもとに届くお手紙にも、健康や家族関係、お金に関する不安な胸の裡をしたためたものが多いですね。

世界に目を向ければ、各地でやまぬ戦争や紛争、気候変動や自然災害など、厳しい現実が広がっています。

そこへ拍車をかけるように、2024年は元日に震災が起こりました。一番大変なのは当然、被災された能登地方やその周辺の方ですが、日本中の誰もが「これから始まる一年はどうなるのだろう」と暗澹たる気持ちになったと思います。

東京でも激しく揺れました。これはただごとではないと感じた私は、その時にはまだ何の情報もありませんでしたが、「どうか被災された人びとの心を癒やしてください」と神様に祈りを捧げました。

厳しい局面に立たされた時、人はよく「祈ることしかできない」と言いますね。でも、これは真理だと思います。先日、テレビでメジャーリーグのワールドシリーズを見ていたら、優勢だったヤンキースをドジャースが逆転して。その時、解説者がこう言ったんです。

「誰かが力を発揮すると、ポジティブなエネルギーに押されて一気に試合の流れが変わるのですが、そのことを今日の試合ではっきり感じ取れました」

祈りにも同じ力があります。目には見えないけれど、よきほうへと誘う力が必ずある。逆に「不安だ、不安だ」と口にしていると、ネガティブな雰囲気が周囲に伝わってしまいます。

不安は伝染病のようなもので、家でお母さんが不安そうにしていると、子どもの精神状態まで不安定になってしまうのと同じですね。不安を抱いた時こそ、努めて「大丈夫、大丈夫」と心を切り替えてみてください。

不安に心を占領されないために


新約聖書には「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」というイエス様の言葉が記されています。

もとより私たちは、いまを精一杯に生きることしかできません。今日に集中して暮らす。もっと言えば、日々の些事に心を込めることから安定した心が生まれます。

不安は弱さの表れですが、弱いところのあるのが人間です。先ほどもお話ししたように、私も不安を抱きますし、不安を抱かなければ危機に備えることもできません。家族が出かける時、「事故に遭わないかしら」と不安がよぎるのは愛の表れでもあるわけで、不安を抱く自分を決して責めないでください。

要は、不安に囚われ続け、心を占領されなければよいのです。過去の経験を思い出して、「また何か起きたらどうしよう」とハラハラしたり、「あんなことさえしなければ」と自分を責めて悶々としたり……。そんな時には深呼吸をして、冷静さを取り戻しましょう。ウォーキングをするなど体を動かすと、ずいぶん気分が変わるものです。

それでもモヤモヤとしたものが残るようでしたら、あなたの不安を全部書き出してみるといいですよ。小さいことまで、すべてです。人は得体の知れないものを怖がる傾向にありますから、何が起きて、それがどうなることが不安なのかを具体的に書き連ねてみるのです。

100個も書き出せば、誰だって自分が囚われていることのバカバカしさに気づくはず。だって、どれもまだ起きてもいないことなんですから。(笑)

このところずっと頭痛がする。これは脳梗塞の前兆じゃないか。脳梗塞が起きたら、こんなふうに暮らしが変わってしまうだろうから、不安だ……。

書き出せば、不安の正体ははっきりします。そして具合が悪いなら病院へ行くしかない、お金のことが心配なら働いたり、節約したりするしかない、と自分のできることに気づくでしょう。変えられることを変えるための努力を怠って「不安だ」と嘆くのではなく、変えるための行動に移す勇気が、あなたにはきっとあるはずです。

<後編につづく>

婦人公論.jp

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