徳川家重を支えた人々の群像劇…直木賞候補作、本屋が選ぶ時代小説大賞受賞

2024年1月30日(火)8時0分 JBpress

昨年NHKでドラマ化された男女逆転『大奥』(よしながふみ原作)で、アカデミー賞俳優・三浦透子が演じて話題となった第九代将軍 徳川家重。第170回直木賞にもノミネートされた『まいまいつぶろ』は、重い障碍によって「暗愚」と蔑まれた家重と彼を支え続けた人々の約三十五年間を描く。寒い冬の夜、史実の羽を広げた心温まる男達の大逆転劇を。

選・文=温水ゆかり


日の当たらない人間や場所に常に目を向ける不屈の逆バリスト

著者:村木嵐
出版社:幻冬舎
発売日:2023年5月24日

【ストーリー概要】

 暗愚と疎まれた将軍の、比類なき深謀遠慮に迫る。口が回らず誰にも言葉が届かない、歩いた後には尿を引きずった跡が残り、その姿から「まいまいつぶろ(カタツムリ)と呼ばれ馬鹿にされた君主。第九代将軍・徳川家重。しかし、幕府の財政状況改善のため宝暦治水工事を命じ、田沼意次を抜擢した男は、本当に暗愚だったのか——? 廃嫡を噂される若君と後ろ盾のない小姓、二人の孤独な戦いが始まった。第12回 日本歴史時代作家協会賞作品賞、第13回 本屋が選ぶ時代小説大賞受賞

 今月のこの『まいまいつぶろ』で著者の村木嵐さんがスポットを当てているのは、徳川第九代将軍の徳川家重。約二百五十年にわたって徳川政権を繋いだ将軍十五代の中で、ワースト投票を行えば、トップ3入りの堅い将軍である。

 生まれるときにヘソの緒が首に巻き付いたと言われる家重には、重い障碍があった。麻痺した片手片足はほとんど動かず、喉から出る音も意味のある言葉にならない。尿意のコントロールもきかず、漏らした尿(ゆばり)がまいまいつぶり(カタツムリのこと)の這った跡のように濡れて臭った。

「小便公方(くぼう)」とあだ名され、意思疎通ができないことから「暗愚」と呼ばれる。江戸学の始祖とも言うべき三田村鳶魚(1870〜1952年)などは、家重のことを「ほとんど廃人」と評していたらしい。

 それは、あまりにひどい。と、村木嵐さんは憤慨したに違いない。名君だったかもしれないじゃないか。これを「逆張り」と言うなかれ。作家はその日の風向きで逆張りのポジションを変える風見鶏ではない。日の当たらない人間や場所に常に目を向ける不屈の逆バリストが、作家の本質である。

 家重は衆人環視の中、尿を漏らしてしまう屈辱に耐え、白湯の一杯すら飲みたいと伝えられない苛立ちから癇癪をおこすこともあった。しかし、彼には彼の世界があったはず。愛や無念や祈りや夢も。本書はそんな世界を優しく、時代小説ならではの想像力で濃やかに描き出す。


摩訶不思議な出来事の委細を語るドラマティックな冒頭

 大岡裁きで知られる四十代後半の大岡越前守忠相(ただすけ)が、家重の乳母である滝乃井を待つ場面から本書は始まる。

 滝乃井は、長福丸(ながとみまる/家重の幼名)様の御言葉を聞き取る少年が現れたと興奮して語り、長福丸様があのような嬉しそうなお顔をしているのは見たことがないと感激の涙を流し、その者を小姓に取り立てると言う。

 少年の名は大岡兵庫。滝乃井によれば、大岡忠相の遠縁に当たるとのこと。忠相自身は戸惑う。長福丸には幾度か拝謁したことがあるが、口から漏れるのは「あ」や「え」の混じったうなり声のようなもので、あれを言葉として聞き取る者がいるとはとうてい信じられない。

 しかも滝乃井によれば、兵庫とやらは三百石の小倅。とても小姓に上がれる家柄ではない。吉宗に抜擢され、三奉行の一つである江戸町奉行として改革の途上にある折、たばかったその少年に連座して失脚などさせられたらたまったものではない。機知と人情の大岡越前も、ここでは存外“保身の人”なのである。

 その夕刻、困惑顔で忠相宅を訪ねてきた若年寄の松平能登守乗賢(のりかた)が、自分の眼前で起こった摩訶不思議な出来事の委細を語るシーンはとてもドラマティックだ。

 特別にビンボー旗本の子弟ばかりを集めた御目見得の日、またもや尿意をこらえきれなくなったのか、長福丸は何かごにょごにょ言い捨てて広間を去ろうとする。すると、前列にいた少年が頭を上げ、長福丸をまっすぐ見つめて「将棋がお好きでございますか」と言ったのだという。

 続くやりとりはこうだった。長福丸(ごにょごにょ)——兵庫「もちろんでございます。なにゆえそのようにお尋ねでございますか」——長福丸(ごにょごにょ)——兵庫「(満面の笑みで)畏まりました」——乗賢を指しつつ長福丸(ごにょごにょ)——兵庫「(目をぱちくりさせて)畏まりました」

 その日奏者番を務めていた乗賢は、兵庫を居残らせて長福丸のごにょごにょの部分を知る。「どうせ将棋をさせる者などおるまい」(お好きですか)「私の言葉が分かるのか!?」(もちろんです。なぜそのようなお尋ねを)「次はそなたが将棋の相手をせよ」(畏まりました)。

 かつ、長福丸が乗賢を指しながら言ったのは「私の言葉が本当に分かるならば、この奏者番に、長福丸自らが、そなたを小姓に任じたと申せ。そうすれば私はもう一度、そなたに会うことができる」というものだった。直々に小姓に取り立てられた兵庫の目がぱちくりとなるのも、無理はない。

 長福丸は乗賢の名前、乗賢が去年の三月から若年寄を務めていること、美濃国岩村藩二万石の主であることなど、人物データも言い残していったという。

 乗賢は兵庫の話を聞いて茫然とする。旗本の小倅ごときが、私が若年寄に任じられた月まで知っているはずがない。そこのことからも、とっさの作り話ではないことは明々白々。しかしそのことが逆に自分を困惑させる、と。


カタツムリが背負う殻に閉じ込められた窮屈な魂

 忠相は思う。乗賢の話が真実ならば、会話が成立しないと思われていた十四歳の長福丸には臣下の人物データを蓄えるほどの英明さが隠れている。その一方でこうも憂う。暗愚にしか見えない長福丸は廃嫡を囁かれている。弟君は、すでに自分が次期将軍になる気満々だ。

 そこに、長福丸のハンディキャップをカバーする兵庫が出仕すれば、唯一無二の寵臣になるのは目に見えている。もし兵庫が悪巧みをするような者へと増長したら……。

 乳母滝乃井のたっての願い、乗賢から聞いた目撃譚。両方を玩味し、忠相は保身を捨て覚悟を決めて兵庫を奉行所に呼び出す。このシーンには笑わずにはいられない。

 兵庫はこう述べる。平伏する自分に長福丸様が声をかけられたと勘違いして、思わず口をきいてしまった、今日の奉行所への呼び出しで、それがしの父は「もはや切腹は免れぬ」、「ともに腹を切ってやるゆえ、恐れるなと申しました」。

 出仕の心得を説こうと思っていた忠相はあわてふためく。「まさか、そなたの帰りが遅れて」、その間お父上が「先に腹をお召しになるとことはあるまいな」。兵庫は答える。「それはございませぬ。それがしの介錯をしてくださるとの仰せでございましたので」。ハラキリ、介錯というスプラッターが、このように淡々と、のどかなテンポで進むことに吹き出してしまった。

 忠相は兵庫に説く。そなたが我が子ならば、鋭い歯をもったサメがうようよ泳ぐ江戸城などへ出仕させたくない。が、長福丸様が我が子ならば、そなたにぜひとも小姓になってほしい。長福丸が聡明な頭脳を不自由な体に押し込め、一人で耐えてきた苦しみや悲しみが少しでも減るように。

 長福丸を侮る反長福丸派にとって、カタツムリの這った跡にしか見えないハンディキャップも、長福丸に心を寄せる者にとっては、カタツムリが背負う殻に閉じ込められた窮屈な魂に見える。題名の寓意が反転するこの視点こそ、本書の主題だろう。


絆という言葉では足りないほどの絆を描いた物語

 忠相は兵庫に小姓の心得をこう言い聞かす。「そなたは長福様の御口代わりだけを務めねばならない。長福様は目も耳もお持ちじゃ。決して目と耳になってはならぬ」。長福丸が見るはずもないこと、聞くはずもないことを告げ知らせてはいけない、栄達を望むな、サメどもに必ず足元をすくわれる、と。

 この物語を短く言えば、十四歳の長福丸(徳川家重)と十六歳の兵庫(大岡忠光)が天の采配のような運命の出会いをし、家重に忠光がドッペルゲンガーのように寄り添ったほぼ三十五年の時間を描く大河の小説である。

 兵庫の役目はいわば「通詞」(通訳)だ。私の経験では、通訳をする人には二種類あるように思う。大局から意味をまとめる人、話し手の流れに憑依する人。

 かつて現場を共にした通訳の中に、後者のタイプの凄い女性がいた。口調、声音、呼吸のテンポ、感情のテンション。イタコ技とでも言うべきか。まるで話し手の生き写し。映画会社などがその女性を通訳として入れた取材の場は、インタビューをするのが楽しくて仕方なかった。

 しかし忠光の場合は、それが周囲との軋轢を生む。家重の口調そのままになるので、偉そうだと反家重派の反感をかうのだ。「汚ならしいまいまいつぶろ」と家重の悪口をわざと吐き、それが家重の耳に入るかどうかを試す底意地の悪いサメどもに忠光はじっと耐え、家重が聞かなかったことは自分の胸に収めて、家重の「御口」に徹する。

 その家重は十五で元服、将軍継嗣の称である「若君」と呼ばれ、二十一で京から同い年の比宮(なみのみや=増子)を正室として迎える。丹精して花を咲かせた大輪の薔薇を届け、隅田川で船遊びをするなど心通わせる甘やかな時もあったが、比宮は流産してあっけなく逝ってしまう。

 比宮の早世後は比宮の女官だった幸との間に嫡男(第十代将軍家治)をもうけ、三十五歳にして吉宗の決断のもと、ようやく第九代征夷大将軍に。行政のシステムに阻まれながらも、己の信じるところに従って民の声をご政道に反映させ、五十賀を迎えて家治に将軍職を譲る。これらが本書の中を流れる時間だ。

 絆という言葉では足りないほどの絆を描いた物語である。武家社会の忠の物語なのだろうが、主従の縦の関係を水平にして「友情」と呼びたくなる。実際、家重と忠光の別れの場面は、互いをねぎらい、歩んできた道を振り返る水平の明るさに満ち、目尻に水分を溜めてしまう。

 家重のハンディキャップに寄り添い、明晰な頭脳を窮屈な殻に押し込め、文字通り這うように進んだ家重を支えた人々の群像小説でもあるだろう。

 サメの巣に飛び込もうとしている遠縁の少年を「もう一人の己」とみなした大岡忠相。二人羽織のような家重と忠光を見ていると「いじらしゅうてならない」と人情味を全開にした満月顔の老中酒井忠音(ただおと)。

 吉宗が江戸城内では新参者である元紀州藩士の中から探しださせた「おつむ」担当の小姓で、抜擢当時十四歳の田沼龍助(後の田沼意次)。吉宗に家重の特別補佐を命じられても、「は〜」だの「へ〜」など何とも素っ頓狂な反応しか示さないものの、サメっ気なしに吉宗・家重・家治と三代の将軍に仕えた松平武元(たけちか)。

 吉宗が始めた間諜システムの御庭番が、老齢ゆえの引退を前に我慢がならず、家重と忠光の前に自ら姿を現すところなどにもほっこりする(ほとんど“爺や愛”)。

 御庭番は得がたいキャラクターだなあと思っていたら、村木さんはwebで「まいまいつぶろ 御庭番耳目抄」を連載しているらしい。佳き物語は余滴をうむ。と同時に、盗み聞きや盗み見は蜜の味。間諜の世界をどう描いているのか、単行本にまとまるのが楽しみだ。

 ところで村木嵐(むらき・らん)というペンネームは、作家になる以前、私設秘書を務めた故福田みどりさん(司馬遼太郎夫人)に「むら気乱子さん」と呼ばれたのが由来。直木賞候補になるなど気流に乗った「むら気乱子さん」の次作品に注目している。

※「ストーリー概要」は出版社公式サイトより抜粋。

筆者:温水 ゆかり

JBpress

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