虐待被害者が結婚でDV被害者に。ワンオペ育児の過酷な日々、夫のDVで産後うつに。でも「父の性虐待よりまし」と思えた

2024年3月5日(火)17時0分 婦人公論.jp


写真提供◎photoAC

父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない——。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。 何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

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第21回「虐待されて育ち、自分が母になるのが怖かった。産後から始まった元夫のモラハラ。里帰り出産もできず、孤独な育児は心身を蝕んだ」はこちら

理不尽に抗う瞬発力がない


はじめての育児に疲れきり、満身創痍のところに重なるように降ってきた元夫からのモラハラ。言葉の暴力もDVの一種なのだと、この当時の私は知る由もなく、痣の残らない痛みに一人呻いていた。

理不尽な痛みは黙って耐えるもの。過去、両親から受けた長年にわたる虐待の余波から、歪んだ価値観がこの身に染み付いている。虐待の後遺症は、フラッシュバックや悪夢、心身に起こる不調にとどまらない。怒るべき場面で瞬時に異を唱える。耐える必要のない屈辱から逃げ出す。そういう力が、根本的に欠落している。すると、結果的に同じ被害が繰り返される。DVもモラハラも、相手が強く抵抗してこないことを見抜いた上で横暴な態度が加速する。

虐待被害者が結婚後にDV被害者になることは、さして珍しいことではない。「なんでそんなことを言われてまで我慢するの?」と周りが思うようなことが、機能不全家族のもとで育った人間にとっては日常だったりする。私自身、元夫からの暴言に悩みこそすれ、心のどこかでずっと思っていた。“昔に比べれば今は天国だ”、と。

日常的に殴られることも、煙草で焼かれることも、髪の毛を抜かれることも、定規を振り下ろされることもない。父親が忍び寄る足音に怯えることもなく、酒と煙草が混ざった口臭に耐える必要もない。彼らの暴力に比べれば、元夫のそれはまだかわいいものだ。そう思えば、大抵のことは耐えられた。

相談する相手がいれば、また違ったのだろう。だが、私にはそういう相手がいなかった。耐えるべき痛みと、そうではない痛み。その区別がつかないまま大人になった私は、すべての基準が「昔に比べれば」の一択で、父よりははるかに人間らしい元夫との暮らしを維持することだけが正解なのだと思い込んでいた。

私が受けたDVは『耐えられる』DVか


近年、ニュースでたびたび目にする離婚後の「共同親権」について、共同親権推進派の柴山昌彦衆議院議員が以下の発言をしたことは記憶に新しい。

「公正中立な観点から、DVの有無とか、それが『本当に耐えられるものか耐えられないものであるかということを判断する』仕組みの一刻も早い確立が必要だと思っているんです」

この発言を聞いた時、「私が元夫から受けたDVは『耐えられるDV』と『耐えられないDV』どちらと判断されるのだろう」と思った。そもそも『耐えられる』DVとは、果たしてなんだろう。殴る蹴るなど、外傷が残る被害は『耐えられないもの』に分類されやすい。では、言葉や態度で切り刻まれた心の痛みは、表に見えない苦痛の程度は、誰がどのような基準で判断するのだろうか。

精神科の主治医は、元夫の暴言を「DVです」と断言した。だが、元夫をはじめとして、彼の親族や私の両親はそれを真っ向から否定した。私に「耐えるべきだ」と詰め寄り、耐えられない私の辛抱が足りないのだと非難した。被害者の声は、往々にして矮小化される。本当の被害を「被害妄想」という箱に封じ込める加害者の詭弁を見抜ける“仕組み”でなければ、共同親権の施行は多くのDV被害者を奈落の底に突き落としかねない。

2024年1月29日、離婚後の共同親権導入に向けた民法改正の要綱案がまとめられた。法務省では、本年度の国会に民法改正案を提出し、共同親権成立を目指す方針で議論が進められている。

法改正前に離婚した事例であっても、相手方からの申し立てがあれば共同親権が導入されるという。これにより、元配偶者からの虐待やDVを理由に離婚した被害者たちが再度危険に晒される懸念が叫ばれている。発言力のある人がどれだけ被害者の声に耳を傾けられるかどうかで、被害者親子の安全確保は大きく左右されるだろう。

長男の泣き声に耐えきれず叫んだ


元夫との性行為を終えたあとに「用済み」と言われた夜、私は一睡もできずに朝を迎えた。自分が言われた台詞を脳内で反芻しては、「許せない」と「大したことじゃない」が行ったり来たりする。その繰り返しは、私の精神を思いのほか蝕んだ。憤りを伝えても、どうせまた「それで怒るお前がおかしい」と言われる。謝ってほしくて気持ちを伝えても、想像の斜め上の答えを突き返される。だったら何も言わないほうがいい。

別れるつもりがないのなら、事を荒立てずに黙って笑っていればいい。そう結論付けた私は弱い人間だったと今は思う。誰かに必要とされる自分でありたくて、そのためには我慢が一番の近道だと思っていた。しかし、現実と理想が乖離していくにつれ、心が無理やり引き伸ばされていくようだった。無理は長くは続かない。それに気づいた時には、すでにいろんなことが手遅れだった。

長男の泣き声を聞くたびにイライラするようになり、すべての家事と育児が億劫になり、食事をとることさえ面倒に感じた。そのうち、元夫への苛立ちがなぜか長男に向かいはじめた。自分の中に潜む残酷さを目の当たりにするたび、恐ろしくて震えた。

母のようにはならない。私はあの女とは違う。虐待を連鎖なんてさせない。私はちゃんとこの子を育て上げてみせる。何度もそう言い聞かせ、イライラを抑え込んで長男に笑いかけた。しかし、彼はいつだって1時間おきに泣き、短いと30分で愚図りはじめる。抱いても、授乳しても、おむつを替えても、着替えても、何をしても気に入らずに泣き続ける日もままあった。長男は、いわゆる「疳の虫が強い」子どもだった。

「うるさい……!!」

ある日、堪えきれずに叫んだ。長男は一瞬だけ泣きやんだものの、直後に火がついたように泣き出した。赤ん坊は泣くのが仕事で、母親はそれを見守るのが仕事で、私は母親なんだからいつだって笑顔で優しくあらねばならないはずで、でも、何もかもが上手くできない。絶望するのと同時に、自分は結局、あれほど忌み嫌ってきた母親と同じなのだと思った。


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あふれた本音


ニュースで母親による虐待死事件が報道されるたび、元夫は顔をしかめて「こんな親は人間じゃない」と言った。子どもを産むまでは、私もそう思っていた。でも、毎日まともに眠れず、ゆっくり食事をとることもできず、授乳があるため美容院に行くことすら叶わない日々が数ヵ月続く中で、正気を失う瞬間は誰しもあるのではないかと考えるようになった。

「限界、だったんじゃないかな」

ぽつりと呟いた私の言葉に、元夫は“信じられない”という顔をして反論した。

「限界ってなに?子育てが大変だからって、普通自分の子どもを殺す?そんなわけないじゃん。そんな奴は最初から子どもを産まなきゃよかったんだよ」

疲れ果てて、助けてほしくて、でも助けを求める人がいなくて、ようやく悲鳴を上げたところでそんな風に言われるから、思いあまって道を踏み外してしまう人がいるかもしれないと想像することは、そんなにも難しいことだろうか。

「毎日1時間おきに起こされる生活を、何ヵ月も続けたことある?」

堰き止めてきたぶん、溢れたら止まらなかった。

「トイレに行くだけで大泣きされるから、お腹が痛い時は抱っこした状態で便器に座って。忙しい合間をぬってどうにか食事を作っても、いざ食べようとすればなぜか泣き出すから、食べられるのはいつも冷めたご飯で。朝も昼も夜も1時間おきに泣くから、まとまって眠ることができなくて。疲れが取れない状態で朝がきて、夜になってそっちがぐっすり寝ている間も私はずっと1人でこの子を抱いてゆらゆら揺れていて、寝たと思って布団に下ろしたらすぐにまた泣き出すから横になることさえできなくて。そういう毎日がずっと続いて、『ちょっと代わって』と頼める人もいなくて、熱があってもぎっくり腰になっても腱鞘炎になっても脂汗を流しながら抱っこして、それ全部『お母さんなんだから』って言われるんだよ。限界にもなるでしょう」

気づいたら私は泣いていて、元夫は驚いたような顔でしばし私を見つめたが、すぐにいつもの平坦な声でこう言った。

「俺には仕事があるんだからしょうがないじゃん。そっちが俺と同じ給料を稼いでこれるんなら、いつでも育児代わってあげるけど」

届かない。どう足掻いても、どんなに必死に伝えても、この人には届かない。それを悟った瞬間、発作的に家を飛び出した。背中から追いかけてくる長男の泣き声にまで、責められているような気がした。

家出をしてはじめてまとまって眠れた


無意識に海に向かっていた。車を走らせる道すがら、独身時代に読んだ小説を思い出した。育児の疲労とストレスからうつ病になった妻を、夫が正論で追い詰める物語。最終的に妻は夫に離婚届を突きつけるが、夫は自分の何がいけなかったのか本当の意味で理解しようとしない。妻が悪い、自分こそが被害者だと矢印を外側ばかりに向ける夫の姿は、実に哀れで滑稽だった。

海で波音を聞きながら物語の結末を思い出そうとしたが、どうしても思い出せなかった。代わりに訪れた抗いがたい希死念慮は、絶え間なく私を波間へと誘惑した。夜の海に入れば、助からない可能性が高い。いくら泳ぎが達者でも、夜の海は勝手が違う。


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息子を怒鳴ってしまった私は、“いいお母さん”にはなれない。私のような人間に育てられるより、もっと心身共に健康で、頼れる両親がいる普通の女性が母親になってくれたほうがあの子のためになる。そのために私は消えるべきだと、耳元で誰かがひっきりなしに囁く。その声に従おうと思ったところで、意識が途切れた。気づいたら朝日が昇っていて、波間に橙色の筋が揺蕩っていた。

眠れた。細切れではなく、まとまって数時間眠ることができた。たったそれだけで、触れそうなくらい間近にあった希死念慮が遠ざかっていた。逡巡しながらも帰宅した私を出迎えた元夫の腕に、泣き疲れて眠ったであろう息子の姿があった。

「お前は母親失格だ」

そう言った彼に、私は即答した。

「離婚しよう」

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