信じられない理由で“神”になってしまった最近の人たち5選! 幼女レイプ殺人犯や病気の少年に参拝者続出!?

2023年3月18日(土)7時0分 tocana

 人々に崇め奉られる”聖人”と聞くと、後世まで語り継がれる素晴らしい行いを残した人物が連想されるはず。ところが、世界には信じられない理由で神になってしまった人々が存在する。


 少女を強姦・殺害した罪で死刑が実行された後、不法移民たちのあいだで守護聖人として信仰されるようになった元メキシコ軍兵士のホアン・ソルダードをはじめ、人間だけでなく、かつて”子供の聖人”として人気を博した飼い犬・ギーンフォートなど、2018年の記事から、意外すぎる経緯で神聖化された例5選を再掲する。


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※こちらの記事は2018年3月1日の記事を再掲しています。


 “神”や“聖人”として祀られる人々は、生前よほど素晴らしい業績を成し遂げた偉人のはず。ところが、世界には意外すぎる経緯で神になってしまった人が存在する。今回は、いつの間にか多くの人々に崇められるようになった数奇な運命をたどった人物を5人紹介しよう。


国境を越える不法移民の“守護聖人”

 メキシコからアメリカへ、違法に移住を試みる人々の間で“守護聖人”として崇められているホアン・ソルダード。彼は1938年にメキシコ軍の兵士としてアメリカとの国境に位置するティフアナという街に勤めていたが、8歳の少女を強姦・殺害した罪で逮捕されてしまう。この凶悪な犯罪に街の住民は激怒。なかには「ホアンをリンチして町ごと焼き尽くす」と言いだす者もいた。


 結局死刑になったホアンだが、やがて「その墓の周りには無実を訴える彼の魂がさまよっている」という噂が流れだす。この噂が広まるにつれて住民は「ホアンは無罪だったのではないか」と思うようになり、墓に祈りをささげる者たちが出現。今では、国境を越えようとする人々がホアンの墓を訪れ、移住の成功を祈るようになった。


 


“子どもの聖人”となった飼い犬

 13世紀のフランスで、ある貴族の男が、幼い息子と「ギーンフォート」という名前の飼い犬を自宅に残して外出した。男が家に戻ると、息子が寝ていたベビーベッドはひっくり返され、ギーンフォートの口は血まみれになっていたという。息子を噛み殺されたと思った男は怒りにまかせてギーンフォートを殺害してしまう。しかし、息子はベッドの下に隠れていただけ。すぐそばにはヘビの死体が横たわっており、ギーンフォートは息子を守ろうとしていたことが判明する。


 その後、ギーンフォートが埋葬された井戸の上には礼拝堂が建設され、病気の予防や回復を願う人々が赤ちゃんを連れてくるように。この頃からギーンフォートは“子どもの聖人”と呼ばれはじめる。しかし、犬を信仰することを快く思わなかったカトリック教会は、1262年に礼拝堂を破壊。ギーンフォートの遺体は焼かれ、参拝に行く者は財産を没収するとまで発表される。それでも参拝者は途切れることがなく、ギーンフォートの礼拝堂は1930年代まで人気を集め続けた。



墓を崩壊させる男の子

 1973年、アルゼンチンのヴィラ・ユニオンという村でミゲル・エンジェル・ガイタンという子どもの棺が発見された。ミゲルは髄膜炎によって亡くなった男の子で、大雨の影響で棺が地上に出てきてしまったらしい。墓の管理者によって棺は墓石で覆われたが、翌日には崩壊。それ以降、幾度となく墓石を建設しても翌日には崩壊するようになり、なぜか棺の蓋も開けられていたという。ミゲルが“埋められたくない”と訴えていると考えた墓の管理者は、棺の蓋をガラスに変えることに。この噂を聞いた人々は、幸福や病気の回復を願ってお金やおもちゃ、花や服を持って参拝に訪れるようになる。また、ミゲルの母に出逢うことができた参拝者は、お願いすれば棺を開けて彼の頭に触れることも可能。メキシコのローマカトリック司祭の一部は、カトリック教会がミゲルを正式に聖人として認めることを希望している。


 


命と引き換えに聖人となった男

 エフゲニー・ロジオノフは1996年、チェチェン共和国の反政府勢力によって19歳で殺害された。キリスト教からイスラム教に改宗するなら殺さないと提案されたロジオノフだが、これを拒否。犯人に4,000ドルを払い息子の遺体を引き取った母親によると、彼は十字架を握ったまま殺されており、最期までキリスト教に従順だったという。


 この事件が報道されると、ロジオノフは殉職者や英雄、聖人として人々に崇められるようになる。彼の肖像画は中世の騎士や軍人のように描かれており、ライフルや十字架を持つ姿で描かれることがほとんど。軍の兵士達はロジオノフの肖像画の前で跪いて祈り、退役した軍人も彼の墓をよく訪れている。


 


■死刑執行人の息子を呪った男

 1830年代にアルゼンチンに生まれたガウチート・ギルは当時、主要だった2つの政党の戦闘に巻き込まれた。1850年代になって「Reds」という政党に徴兵されたギルだが、戦うことを拒否。“争う2つの政党は兄弟であり、戦う必要はない”と主張したが、政党の上層部により“逃亡者”と認定され死刑判決を受けてしまった。そしてギルを助けようと署名活動が行われ、恩赦も決定していたのだが、その知らせが執行人に届く前に死刑が執行されてしまう。


 ギルは、執行人に向かって「恩赦があるかもしれないから死刑を遅らせてほしい」と頼んだが、執行人がこれを拒否。ギルはさらに“「もし執行すればお前の息子が病気になり、私の墓を訪ねて許しを請わなければならない」と続けた。実際に執行された後、息子は病気になり、ギルの墓に祈ったところ見事回復。この伝説が広まり、今では多くの人々が病気の回復を願ってギルの墓地を訪れるようになった。



参考:「LISTVERSE」、ほか

tocana

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