“巨人の国”は本当にあるのか『カシミールの巨人の物語と古代伝説』の謎

2024年3月25日(月)12時0分 tocana

 イギリス統治時代のインドにカシミールから来た2人の巨人兵がいた——。インド亜大陸のどこかに“巨人の国”が存在するのだろうか。


■インドで出会った双子の巨人兵


 世界一周を7回行ったといわれる当時としては稀代の旅行家であったアメリカ人のジェームズ・リカルトン(1844-1929)は1903年に訪れたインド・デリーで2人の巨人兵と並んだ3ショット写真を撮影した。


 7フィート(213センチ)を優に超える2人の兵士は双子の兄弟であり、カシミールの軍隊に所属する兵士であるということで、“カシミールの巨人(Kashmir Giants)”と呼ばれ、写真は当時世界中で話題となった。


 ちなみに背の高い兄の身長は236センチで、一方の弟は223センチである。


 イギリス統治時代のインド・デリーには大英帝国の式典のために作られたデリー・ダルバールと呼ばれる宮廷があり、1902年年末から1903年の新年にかけてここでエドワード7世の戴冠を祝う祝典が開催されたのだ。


 残念ながらエドワード7世は来なかったものの、インド総督カーゾン卿によって企画された祝典はパレードを伴う盛大なもので、国内外の王族たちやこの巨人兵が所属するカシミールの部族の軍隊も参加していた。


 祝典の模様もカメラに収めたリカルトンだったが、この双子の巨人兵に魅了されたのか何枚も写真を撮っている。


 1903年2月の豪紙『The Brisbane Courier』には、「カシミールの統治者の従者には胸甲騎兵の精鋭部隊と巨人が含まれていた」というタイトルの記事が掲載されていた。


■歴史的な“ベストショット”の1枚


 式典を眺めたのはリカルトンだけではなく、この式典と“カシミールの巨人”を取材に来たメディア関係者はほかにも多かったという。彼らの写真と記録は世界中に報道され、双子の巨人兵はたちまち有名になった。


 しかし彼らのプライベートに迫ろうとする取材はなかったようで、兄弟の私生活はよくわかっていない。


 この2人の兄弟はカシミールの「バルモカンド(Balmokand)」と呼ばれる地域の出身であったが、この場所はどの年代の地図にも記録されていなかったため研究者らはこの場所の名称は20世紀のある時点で変更されたに違いないと推測している。


「The Vintage News」の記事では、リカルトンのこの写真の重要性は、歴史的記録や芸術的表現の領域を超えており、過去と現在の架け橋として機能し、カシミールのアイデンティティを形作ってきた伝説を視覚的に証明するものであると賞賛する。


 世界中の人々の想像力を刺激し、歴史と神話の領域の間に位置するカシミールの巨人のストーリーは、今も人々を魅了しインスピレーションをかき立てるものであり、人間の多様性と並外れた存在の永遠の魅力を示しているということだ。


 インドの奥地のどこかにこの兄弟が普通に見える“巨人の国”があるのだろうか? 思わず想像を膨らませるこの写真はこの先も歴史的な“ベストショット”の1枚であり続けるだろう。


参考:「The Vintage News」ほか

tocana

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