まさに光源氏と紫の上!『プリシラ』エルヴィス・プレスリーに愛された15歳の少女。浮気者のスターと彼女の関係は

2024年3月30日(土)12時0分 婦人公論.jp


写真・イラスト提供◎さかもとさん 以下すべて

1989年に漫画家デビュー、その後、膠原病と闘いながら、作家・歌手・画家としても活動しているさかもと未明さんは、子どもの頃から大の映画好き。古今東西のさまざまな作品について、愛をこめて語りつくします!(写真・イラスト◎筆者)

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エルヴィス・プレスリーに愛された女性・プリシラ


「もしもあなたが美人で若くて、世界的ロックスターに愛されたら?」

そんな夢のようなシチュエーションを疑似体験させてくれる映画がこの『プリシラ』。

一昨年大ヒットした映画『エルヴィス』の大ヒットをうけて製作されたものかと思われるが、当時大スターだったエルヴィス・プレスリーに愛され結婚、子ども(リサ・マリー・プレスリー)をもうけた女性・プリシラの視点から描くことで全く違う世界を堪能できる。

さて、この映画を撮影したソフィア・コッポラは、あの『ゴッドファーザー』を作った巨匠、フランシス・フォード・コッポラ監督の娘。けれど、「どうせパパの力添えで監督をしてみただけなんでしょう?」なんて評価は当たらない。この人凄い苦労人なんですよ。

女優、ファッションデザイナーから監督へ


彼女の映画界のキャリアは女優スタート。父が作った大作『ゴッドファーザー』の初回に洗礼を受ける男の子として出演。『ゴッドファーザーPARTIII』では、体調不良で降板したウィノナ・ライダーの代わりに、主人公マイケルの娘を演じ、本格女優デビュー。日本公開は1990年、私が25歳の時だ。

ところがその演技が酷いと批評家に酷評され、「彼女の出演でこの映画が台無しになった」とまで言われる騒ぎになった。

当時18歳だった彼女には大変な打撃だったろうし、その裏にはコッポラ監督と映画会社の確執があったと、後にコッポラ自身がインタビューで答えている。

あまりの叩かれようだったので、うら若き娘さんはそのまま活動停止してしまうのではと思ったが、その後、女優もしながら監督にも挑戦、ファッションデザイナーもするなど精力的に活動を継続。2003年に監督した『ロスト・イン・トランスレーション』では脚本賞を受賞し、監督としての地位を確かにした。

現代映画界の純文学


今回の『プリシラ』に関しても、「エルヴィスの楽曲を管理する会社が、彼の曲の使用許諾をださなかったの。だから彼の曲は使えなかったけど、その分自由な映画作りをさせてもらったわ」とコメント。実に根性のある大人の女性なのだ。個人的には彼女のことはとても好きである。

ただ、話題になった『マリー・アントワネット』なども、映像美や女優の魅力の引き出し方は文句なしなのだが、歴史観などを打ち出したものではなく、淡々とアントワネットという少女の美しさ、愚かさ、純粋さを描写しただけの処があり、「え、ここで終わるんですか?」と言うあっけない終わり方。

「アンチ・ロマン」ともいえる、ある意味腰砕けな構成がこの監督の癖。(笑)

今度はちょっと違うかな?と、期待したが、この『プリシラ』も特に大きな盛り上がりもないまま、あっけなく終わった。でも、不思議と引っ張られて観ちゃうんですよ。最後の挿入歌などもとてもよくて、ジワリと心を打たれた。あえてドラマ性を打ち出さないのが、彼女の美学なのか。

「ガール・カルチャーの旗手」という評価はまさしく正鵠を得ていて、恋愛の機微、「ああ、男ってこういう反応するよね」とか、皮膚感覚的な恋愛描写は上手いことこの上ない! そういった細部を活かすために、あえてクライマックスを作らず、大きな構成をとらないのかもしれない。となれば彼女の作品は、現代映画界の純文学と言える。

ソフィア・コッポラ自身の強さや魅力


私生活ではスパイク・ジョーンズと結婚し、やがて離婚。今はフェニックスのボーカリスト、トーマス・マーズとの2度目の結婚生活が順調のよう。

恋愛の非常に細かい描写にリアリティを感じるのは、彼女自身が真剣に恋愛をしてきたからだと思う。有名人の娘だからとおごることなく、ごく普通の女性として男性を愛してきた。そんなソフィア・コッポラ自身の強さや女性としての魅力を、スクリーンの向こうに感じてしまう。

それにしてもこの映画の主人公、エルヴィスに愛された女性プリシラが、僅か15歳でありながら、愛を知って急に大人び、交際を反対する両親に「彼は孤独なの、守ってあげたい」と言い切るとこは大変印象的。


急に大人びる少女はまさに現代版「紫の上」!

エルヴィスの好みに合わせて黒髪に染め、請われるままにドイツからアメリカにわたって彼の家から通学してカトリック系の高校を卒業。「現代版・紫の上」みたいな展開と行動で、「男に振り回される女」でもあるのだが、迷わずそれを選んでいく強さが、「愛する力」なんだなあと、妙に心を揺さぶる。

「ANOTHER LIFE」を楽しませてくれる


そういえば、映画にもなったマルグリット・デュラスの『愛人 ラマン』は、「18歳で、私は年老いた」という一文から始まる。少女は愛を知ると一気に「女」へと変貌していき、年上の恋人よりはるかに老成していくものだが、それは10代で「母親」になることが可能な女性の生理に裏打ちされた強さなのだろう。

『カラー・パープル』の主人公セリーが、子どもを産んだにも関わらず、いつまでも幼かったのとは対極的。愛を知ることなしに、女の精神の成長はあり得ないのかもしれない。逆に言えば男を心から愛した時、たとえ10代であっても少女は女へ、そして母へと変貌していける。

果たして、愛する男の好みに合わせて自分を変えるのは、自立していない証拠なのだろうか? むしろ「相手の思うままになってあげたい」という優しさ、受容力は、自立なんかよりもっと深い価値があるんじゃないか?

私たちは「男の為に尽くすだけではだめ。手に職や学歴を手に入れて自立しなさい」と教育されて大きくなった。男好みの服を着れば女友達に「媚び」だと非難されるのを恐れて、あんまりガーリーな服装もできなかった。

でも本当は、うんとガーリーに着飾り、愚かと言われても男の理想の女になって、全身全霊で男に愛されたかったんじゃないか?

『プリシラ』は、私たちが自立と引き換えに捨ててしまった、もう1つの「ANOTHER LIFE」を楽しませてくれる稀有な映画なのだ。フェミニズムに染まってしまった女性監督には、絶対に構築できない世界がそこにある。

若い時の夢を仮想体験


更に見ていて楽しかったのは、エルヴィスの「男」としての俗っぽさ。愛する彼女に自分の好みを押し付け、世界的ロックスターの知名度と財力を盾に、まだ高校生の子女を自宅に呼び寄せる。カジノや高級ブティックに連れまわし、自分の家から出るなと命じて、愛玩物としての子犬をプレゼント。

同居しているのにセックスを求めるプリシラを拒み、「今はその時じゃない」と、1年以上「じらしプレイ」。大好きなプリンは最後に取っておいて食べるタイプなんだろうと笑える。

一方で自分は女優や歌手と浮気し放題。どこぞの「光源氏」そっくりで、金も力も容姿も恵まれた男がすることはみな一緒のよう。エルヴィスの「男の本音全開」な行動は、溜飲が下がるほどにマッチョ。今時こんな行動はレアで見ることが無いので、必見だ。

いよいよ「その時」が訪れるや、プリシラにエッチな下着をつけさせ、互いにカメラで撮影大会。ルームサービス以外ドアを開けず、部屋にこもってやり放題…。

ああ、こんなですよね、男と女が盛り上がると…。これ、やりたいですよね、とみていてニヤニヤしてしまう。没入して観れば、女にとってこんなに楽しめる映画は無し! 自立だのフェミニズムは一切忘れて、2時間たっぷり「若い時の夢を仮想体験」してください! 

P.S.
前回おすすめした『オッペンハイマー』で固くなった頭を、今回はこの映画でうんと柔らかくしちゃいましょう。理屈抜きで「女であること」を、楽しめる映画。見終わって思うのは、「あー、オンナって楽しい!」これにつきます!

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