なぜ作家・下重暁子は今も「清少納言」に唸らされるのか…「<いとをかし>と感じる心、季節の変化に気づく余裕を取り戻したい」

2024年4月11日(木)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』で注目を集める平安時代。主人公の紫式部のライバルであり、同時代に才能を発揮した作家、清少納言はどんな女性だったのでしょうか。「私は紫式部より清少納言のほうが断然好き」と公言してはばからない作家、下重暁子氏が、「枕草子」の魅力をわかりやすく解説します。縮こまらず、何事も面白がりながら、しかし一人の個として意見を持つ。清少納言の人間的魅力とその生き方は、現代の私たちに多くのことを教えてくれます。

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季節の移り変わりの「いとをかし」を愉しむ


『春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。』

この、第一段を何回読んだことだろう。この文章を書き始めるにあたって、私は何も見ずに書いてみた。書けた! ちゃんとおぼえていた。感激だった。

私のどこかに「枕草子」が、清少納言が住んでいる。それを呼びもどし思い出せばいい。

送り仮名が少し違っていたが、学生時代に憶えたものは生きている。

かつて曙というハワイ出身の大相撲の横綱がいた。彼はサインを頼まれると、「春はあけぼの 曙」と書いたこともあるという。ハワイ出身の横綱が「枕草子」を知っていたのだ。誰かが教えたにちがいないが。

かつて放送局に勤めていた頃、朝早い生番組に毎日出ていたことがある。

まだうす暗いうちに起き出して迎えの車に乗ると、空が少しずつ明けてくる、その微妙な変化に見とれた。

やうやうしろくなり行く山ぎは少しあかりて、しらみつつある山際の空が明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのがいい。

一昨年(2022)年まで三年ほどフジテレビの早朝生番組のコメンテーターとして一ヵ月に一回通っていた。

新型コロナが感染拡大した時も番組が続く限り、その時も迎えの車の中で朝を迎える。お台場まで高速に乗りレインボーブリッジを渡る。その頃街は目ざめ、山ぎわならぬ高層ビルの上の空が少しずつ明るんできた。時代変われどあけぼのは毎朝訪れる。

清少納言の好きな季節はいつだったか?


『頃は、正月・三月・四月・五月・七八九月・十一二月、すべてをりにつけつつ、一とせながらをかし。』

折につけ、一年中「をかし」という清少納言がはずしている頃は、二月・六月、そして十月である。
なぜ二月・六月・十月を入れないのか。今の暦でいえば十月は、天気といい風景といい一番良い季節のはずだが。良い月ではなかったのか。

二月は厳寒、六月は梅雨があるので好きではなかったとして納得はいく。
では雨が嫌いかというと、長雨の日には恋人である男の寄りかかっていた簾の残り香が、『まことにをかしうもありしかな』といい、その香が雨にしめって艶なる風情をさらに増していると雨の夜を賛美している。

しかしこれは、五月の長雨の頃と思われる。

雨は物思わす風情あるもので、「枕草子」にも数多く登場する。
「眺(ながめ)」という言葉は「長雨(ながめ)」から出たとも言われるが、長雨には、外へも出られず、ただ眺める、物思いにふけるという意味が込められている。

紫式部も描いた「雨夜の品さだめ」


源氏物語」にも有名な「雨夜の品さだめ」のくだりがあって、公達たちが、雨の夜、女の品定めをする話である。
平安時代、雨の日の過ごし方や遊び方に、様々な工夫があり、雨をも「をかし」と味わうゆとりがあった。

そして七月、

『七月ばかりに、風いたうふきて、雨などさわがしき日、おほかたいとすずしければ、扇(あふぎ)もうちわすれたるに、汗の香(あせのか)すこしかかへたる綿衣(わたぎぬ)のうすきを、いとよくひき着きて晝寢(ひるね)したるこそをかしけれ。』

梅雨明けには雷が鳴り、風も強く吹き、雨ははげしく降る。そんな日は、涼しく、扇も忘れ、汗を含んだ綿衣のうすいのをかけて昼寝をするのも「をかしけれ」である。

「汗の香すこしかかへたる」という表現が「いとをかし」い。

「夏は夜」。漆黒の闇に浮かぶ月明かりの美しさ


『夏はよる。月の頃はさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし。雨など降るもをかし。』

灼熱の太陽の照る真夏の昼は、平安人にとって苦手だったのだろう。涼しさの増す夜がやはりいい。今と違って、土はひんやりして、障子・木など自然素材の家は、夜になれば過ごしやすかったに違いない。


ようやくひんやりと過ごしやすくなる夏の夜(写真提供:Photo AC)

とりわけ月の冴えわたる夜、闇の夜の風情もいい。

当時は夜になれば、漆黒の闇である。月明かりや、蛍のかすかな光だけでも心に残る。すっと尾を引いてまたたく蛍は、天界の使い。川のそばなどに行かずとも、向こうからやって来た。

私の子供の頃は、まだ戸を開け放つと蛍は、家の中に入って来た。蚊帳(かや)の中に入れると、明け方まで隅で光っていた。平安時代には、もっと数多くの蛍が身近にいたのだろう。

見た目に暑苦しいものを排する工夫


今では川筋に沿って養殖した蛍が光るのを見に行く位だが、やはり風情がある。

三十年ほど前、岐阜県美濃赤坂の杭瀬(くいせ)川がわの両岸にイルミネーションのように輝く源氏蛍を見た。
数年前、新潟県の山中では、天から地から湧いてくる蛍を見た。車の灯を点滅させると同類だと思って近付いてくる。肩に腕に首筋にまですり寄ってくるのだ。

現代の私たちでさえ蛍には、この世のものではない幻想を見る。まして平安人は、様々な思いを託したことだろう。

『暑(あつ)げなるもの、隨身(ずいじん)の長(をさ)の狩衣(かりぎぬ)。衲(なふ)の袈裟(けさ)。出居(いでゐ)の少將。色くろき人の、いたく肥こえて髮(かみ)おほかる。琴(きん)の袋。七月の修法(さほう)の阿闍梨(あざり)。日中の時などおこなふ、いかに暑からんと思ひやる。また、おなじ頃のあかがねの鍛冶(かぢ)。』

狩衣や袈裟や服装の暑くるしさ、肥って髪が多いのも、みな見た目に暑くるしい。日中にお祈りをする僧や、赤銅をうつ鍛冶場。これはもう聞くだに汗が流れてくる。

目に見えるもの、耳に聞こえる音、かつては五感を総動員して涼しさを求める工夫があった。

※本稿は『ひとりになったら、ひとりにふさわしく 私の清少納言考』(草思社)の一部を再編集したものです。

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