元判事「判決を書きたくないという理由で和解を勧める裁判官も」。<できるなら楽をしたいという勤労者としての心情>が裁判にも多大な影響を
2025年4月11日(金)6時30分 婦人公論.jp
(写真提供:Photo AC)
2009年に裁判員制度が始まり、以前よりは裁判が身近になったとはいえ「自分には関係ない」と思っている方も多いのではないでしょうか。そのようななか、令和6年に再審無罪が確定した袴田巌さんの事件を例にあげ、「日本国民であるあなたは、捜査官が捏造した証拠に基づき死刑を執行される危険性を日々抱えたまま生きている現実を知らなければなりません」と語るのは、元判事で弁護士の井上薫さん。そこで今回は井上さんの著書『裁判官の正体-最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音』から一部引用、再編集してお届けします。
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判決を書きたくなくて、和解をすすめる裁判官もいる
民事の場合は和解で事件が終了することがあります。当事者双方がもちろん意見が合わないから訴訟を進めてきたものの、まあ証拠もだいたい出たし結論も想像つくからそれを前提に話し合いをしてそれで決めようという流れが和解を生みます。
当事者だけではなかなか話がまとまらないので、裁判所が仲介するということが多くあります。裁判官というのは、判決を書く人ですからその人にいわれると説得力があります。このままだと負けちゃうよといわれたら、普通の当事者はじゃあ和解をお願いしますとなりがちです。そういうわけで和解がかなり行われています。
和解すると判決を書かないで済む。朝から晩まで目を酷使し続けている裁判官にとっては、嬉しいことです。勤労者としての労力の使い方という点からしても和解の魅力は捨てがたい。
実際、民事事件の半分くらいは和解で終わります。
判決を書く負担
和解をするとその事件は一件落着となり、事件は終わってしまうので、当然、裁判官は判決を書く必要がなくなります。書きたくても書くこともできなくなります。この辺の事情は、あるいは国民一般はあまり知らないのかもしれませんね。でも、この和解による効果というのは、裁判の現場では重要性があります。
つまり判決を書く労力がゼロになってしまうわけですから、これは裁判官にとってみたらかなり労力の減少になります。
判決は、双方の主張と立証を全て頭に入れて、裁判官が考えをごちゃごちゃとまとめて結論を出してこれを文章化する作業の結果生まれるのです。判決の文章の量ですけれども、事案によりますが、たとえば複雑な事案であったり、当事者が多いとか、相反する証拠がたくさんあって判断が微妙だなという場合、あるいは憲法問題のような重要な法律問題がある場合、また前例がないケースという場合、これらの場合には裁判官が判決を書く負担はかなり大きくなります。
これらの事情が複数含まれる場合はますますその負担が大きくなると思います。裁判官も楽をしたいと思うならば、判決しない方法を考えるしかなくなります。できれば和解に持ち込みたい。そういう心理が常にあります。
判決した方がよい事件
しかし、内心は和解にせず判決を出したほうが世の中のためにはよいと思うケースもあります。たとえば、医療訴訟などは、どこに責任の所在があったのかを明らかにするためにも、判決を出したほうがよいと思います。和解では原因や責任がすべて闇の中で終わってしまい、医療の前進が遅れてしまいます。
一方で、夫が浮気して離婚になった——などといった裁判は、和解でよろしいかと思います。
(写真提供:Photo AC)
ときには国家賠償を争う訴訟でも判決に至らない事案もあります。学校法人森友学園(大阪市)への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題で、改ざんを強いられ、自殺した近畿財務局職員の妻が、国に損害賠償を求めた訴訟は記憶に新しいことでしょう。
この裁判では、国側が遺族側の請求をすべて受け入れたこと(こういう手法を「認諾」という)により、判決を書かずに終結しました。本件については文書改ざんについて、しっかり事実認定をし、政府の法的責任を明確にするために判決が出たほうがよかったと思いました。
勤労者としての裁判官の心情
国は責任を追及されるのを恐れて、認諾を選んだものと思います。どうせ支払うお金は税金ですから、そのほうが楽だと思ったのだと思います。これは裁判官の怠慢のせいではないのですが、印象的だったので付記しておきました。
ちなみに、刑事事件では和解という制度はないので、和解による労力の減少という点は民事裁判官の役得といってもいいでしょう。裁判官も勤労者としての利害関係があるということを、国民も当然知るべきです。裁判官の勤労者としての一面を正当に評価して、裁判官の心情がどのように動くかということも知る必要があります。
できるなら楽をしたいという勤労者としての裁判官の心情というものは影響力が大きくて、この点を知らなければ、国民レベルの目からしても、法律専門家の目からしても正当な議論はできないと思います。こういう点からしても裁判官の俗人としての生活ぶり、考え方が透けて見えるだろうと思います。
※本稿は、『裁判官の正体-最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
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