この春は「文楽」デビューに最適!人形、太夫、三味線の「三業一体」に心揺さぶられる総合舞台芸術の基本
2024年4月17日(水)8時0分 JBpress
「なんだか難しそうで…面白いの?」。「文楽が好き」と言うと、だいたいこんな反応が返ってくる。いま頷かれた方も多いでしょう。でも、声を大にして言いたい。文楽、本当に面白いんです。この4月&5月には大名跡・豊竹若大夫(とよたけわかたゆう)の襲名披露公演もあり、数十年に一度の“文楽の歴史”に立ち合えるまたとない機会! 騙されたと思って、ぜひ一度観てみてください!
文=福持名保美 写真=PIXTA
130 cmを超える人形が生きているように動く「三人遣い」
「文楽」とは、歌舞伎より早く2003年にユネスコにより「人類の口承及び無形遺産に関する傑作」と宣言され、2008年にはユネスコ無形文化遺産一覧表に記載、その芸術性が世界的に高く評価されている日本の伝統芸能。正式名称は「人形浄瑠璃文楽(にんぎょうじょうるりぶんらく)」という。
人形劇の伝統は世界じゅうにみられるが、多くは子どもを対象としており、成立のころより現在まで、大人のためにつくられてきた人形劇は文楽だけといわれるほど、世界にも稀な芸能なのだ。江戸時代の昔から、“違いのわかる大人”の心を揺さぶり続けてきた総合舞台芸術なのである。
初めて文楽の舞台に触れると、無機物である人形が生きているように動く、表情まで変わって見えることに素直に驚きを覚える。それは「三人遣(さんにんづか)い」のなせるワザ。人形の背後に大の大人が身を寄せ合って、3人がかりであやつるのだ。
文楽では人形をあやつることを「遣う」と言い、1体の人形を3人で遣うのが基本。客席から見て人形の左に立っているのが「主遣(おもづか)い」。左手で人形の首(かしら)を、右手で人形の右手をあやつる。人形の右側に立つ「左遣い」は、自分の右手で人形の左手を担当、「足遣い」は主遣いと左遣いの間で腰を低く落とし、両手で人形の足を動かす。左遣いと足遣いがリーダーである主遣いに息を合わせることで、自然な動きを生み出すのである。
修業は厳しく、「足10年、左10年、主は一生」と言われるほど。主要な役の主遣いになるまでには、20年以上はかかることとなる。動かないはずの人形が自在に動き、ときに人間以上に豊かな感情を見せる三人遣いマジック。これこそ文楽を唯一無二のものにしている重要な要素といえよう。
大阪・日本橋の国立文楽劇場1階には資料展示室があり、よく人形が展示されているので、機会があったら覗いてみてほしい。舞台から受ける印象よりはるかに大きいことに驚くはずだ。だいたい130cm〜150cmなので、人間でいえば10歳の子どもくらい。ずっしりと重く、なかには10kgを超えるものも。こんなに重いものを楽々とあやつってみせるのだから、体力と腕力がないと人形遣いはつとまらない。
物語を隅々まで届ける「太夫」と、影の指揮者「三味線」
文楽は「三業(さんぎょう)」から成るといわれる。義太夫(ぎだゆう)を語る「太夫」、三味線を弾く「三味線」、人形をあやつる「人形」、この「三業」が一体となって物語世界を現出させる。
舞台上手(客席から見て右側)に張り出して「床(ゆか)」が設えられ、太夫と三味線が並んで座る。長いときには1時間以上も語り続けるのが太夫。すべての登場人物のセリフ、場の情景や事件の背景などの説明=ナレーションをたったひとりで語り分けるのだ。腹式呼吸により腹から声を絞り出し、どんなに広い劇場でもマイクなしで、いちばん後ろの観客にまで物語を届ける。このような“太夫の声”になるまで20年はかかるという。
三味線には太棹(ふとざお)、中棹(ちゅうざお)、細棹(ほそざお)の三種があるが、文楽で使用されるのは最も大きい太棹。力強く重厚な響きから繊細な高音まで、さまざまな音色を出すことができる。
三味線は単なる伴奏ではなく、壮麗な御殿、しんしんと降る雪などの情景や、恋人に会う前の弾んだ気持ちなど人物の心情までも表現する。また、太夫と人形にきっかけを与え、舞台進行の役割をもつのも三味線。いわば影の指揮者のような存在でもあるのだ。
太夫、三味線、人形は上演中、互いを見ることはない。「三業一体」と言いつつ、互いに合わせにいくのではなく、それぞれが我が道を突き進みながらも自然と息が合う、というのが理想形。まさに日本的!
隆盛は元禄時代、竹本義太夫と近松門左衛門のタッグから
さて、ここでちょっと文楽の歴史を。文楽とは、人形浄瑠璃という言葉からわかるように、「人形」と「浄瑠璃」が合体したものだ。
日本の三味線音楽は「唄物(うたもの)」と「語り物(かたりもの)」に大別される。浄瑠璃はもちろん語り物。江戸時代、浄瑠璃には、現在の文楽で語られる義太夫節(ぎだゆうぶし)のほか、河東節(かとうぶし)、一中節(いっちゅうぶし)、常磐津節(ときわずぶし)、清元節(きよもとぶし)などが生まれた。ちなみに長唄(ながうた)、小唄(こうた)などは唄物である。
芸能としての語り物は鎌倉時代、琵琶法師が平家物語を語った「平曲(へいきょく)」にさかのぼるといわれる。やがて平曲以外を演奏するものも現れ、室町時代中期、牛若丸と浄瑠璃姫の恋物語『浄瑠璃物語』が人気を集めるようになった。浄瑠璃という言葉はこれに由来する。
そして浄瑠璃は三味線と出合う。三味線は16世紀ごろ琉球(沖縄)から伝来した三線(さんしん)を改良したもの。その豊かな表現力で江戸時代の人々を魅了した。伴奏には琵琶を用いていた浄瑠璃は、三味線を取り入れることによりますます盛んとなる。この浄瑠璃と人形芝居が結びついたのが人形浄瑠璃なのだ。
人形浄瑠璃の隆盛は元禄時代、浄瑠璃語りの竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が浄瑠璃作者(今でいうシナリオライター)近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)と組んだことによりはじまる。義太夫は謡(うたい)や流行唄(はやりうた)などさまざまな要素を取り入れたドラマティックな語りで人気を集め、大坂の道頓堀に自ら竹本座をおこした。元禄16年(1703)、近松が実際の心中事件を脚色した『曾根崎心中(そねざきしんじゅう)』を初演、これが空前のヒットに。義太夫節は浄瑠璃を席巻し、やがて浄瑠璃といえば義太夫節を指すようになった。
竹本義太夫が竹本座を開いたころにはまだ人形も小さくひとりで遣うものだったが、さまざまな工夫を重ね、享保19年(1734)『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』で、現在に繋がる人形の三人遣いが登場する。
歌舞伎をしのぐ人気も一時衰退…明治・大正「文楽」として第二次黄金期へ
18世紀中ごろがまさに人形浄瑠璃の黄金期。「三大名作」といわれる『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』が次々と上演され、上方での人形浄瑠璃人気は歌舞伎をしのぐほどに。しかし18世紀後半になると、歌舞伎が隆盛してきたのに加え、竹本座と、それに並ぶ人気を得ていた豊竹座も資金繰りが悪化。両座とも閉鎖に追い込まれ道頓堀から撤退、人形浄瑠璃は衰退していくこととなる。
人形浄瑠璃の再興は寛政(1798〜1801)のころ、淡路出身の植村文楽軒(うえむらぶんらくけん)が大坂に出て浄瑠璃の稽古場を開いたことに端を発する。後に人形浄瑠璃の小屋を設け、明治5年(1872)には「文楽座」の看板を掲げる。このころからが人形浄瑠璃の第二次黄金期。名人を輩出し、明治大正を通じ大阪の旦那衆の厚い支持を集めた。現在の文楽という名称もこの文楽座から来ている。
その後、文楽座の経営は松竹の手に移り、戦後は2派に分裂したこともあったが、昭和38年(1963)、大阪で生まれ育まれた伝統芸能として、財団法人文楽協会が大阪に設立され再びひとつにまとまり、現在に至るのである。
文楽界の一大イベント「襲名披露」など、2024年春は見どころ満載!
今、文楽は太夫、三味線、人形合わせて90人弱の技芸員(出演者)によって担われている。歌舞伎や能とは違い、文楽の世界には世襲制度がない。一般家庭出身者でも師匠に入門して実力を認められれば、家柄や血縁に関係なく大きな役をもらうことができる。徹頭徹尾、実力主義の世界なのだ。
人間国宝級の名人至芸から、あぶらの乗ってきた中堅、そして文楽に魅せられ飛び込んできた若手まで、たゆまぬ努力、芸に対する真摯な姿勢がつくりあげる舞台に触れると、伝統芸能は面白い、と実感するはず。
この4月大阪及び5月東京公演では、57年ぶりに復活する大名跡・豊竹若大夫襲名披露というビッグイベントもあり、文楽デビューにうってつけ。大阪の国立文楽劇場では一幕を部分料金で気軽に見られる「幕見席(まくみせき)」というシステムもあり、気軽にお試し観劇も可能。これを機にぜひ、劇場に足を運んでみてほしい。
【公演情報】
●令和6年4月文楽公演 国立文楽劇場(大阪・日本橋)
4月6日〜29日(17日は休演)
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2024/6414.html
●令和6年5月文楽公演 シアター1010(東京・北千住)
5月9日〜27日(15日は休演)
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2024/6511.html?lan=j
【そのほかの公演情報を知るには】
●文楽協会
https://www.bunraku.or.jp/
【チケットを手に入れるには】
●大阪・東京公演
国立劇場チケットセンター(会員登録無料)
https://ticket.ntj.jac.go.jp
チケットぴあ、イープラス、カンフェティなどでも取り扱いあり。地方公演はそれぞれの劇場に問い合わせを。
【参考文献・参考サイト】
倉田喜弘『文楽の歴史』岩波現代文庫
ドナルド・キーン『能・文楽・歌舞伎』講談社学術文庫
中本千晶『熱烈文楽』三一書房
藤田洋『文楽ハンドブック』三省堂
三浦しをん『あやつられ文楽鑑賞』ポプラ社
山田庄一『文楽入門』文研出版
渡辺保『文楽ナビ』マガジンハウス ほか
公益財団法人 文楽協会
文化デジタルライブラリー
※情報は記事公開時点(2024年4月17日現在)。
筆者:福持 名保美