大神いずみ「いつの間にか長男大学生、次男は中2。ラップのライブに一人で行かせるか?我が身を振り返って悩む」
2024年4月19日(金)12時0分 婦人公論.jp
左が瑛介。いっちょまえにラッパー風(写真提供◎大神さん 以下すべて)
大神いずみさんは、元読売巨人軍の元木大介さんの妻であり、2人の球児の母でもある。苦しいダイエットをしている最中に、長男が大阪の高校で野球をやるため受験、送り出すという決断をした。球児の母として伴走する大神さんが日々の思いを綴る。
* * * * * * *
前回「大神いずみ 「中2になる次男の遠征に帯同して大阪へ。お天気に振り回される中、先輩野球母たちの段取りと結束に圧倒されるばかり」」はこちら
わたしのこれまでの経験が、わたしの全財産
新年度を迎え、我が家の息子たちも1つずつ進級・進学した。
長男は、大学1年生。
すでに2月に大学の野球部寮に入寮したので…
いつのまにかヌルっと本当に大学生になってたんだ!?というかんじ。
履修科目の選択や広いキャンパスでの生活が始まり、時々弾んだ声で電話がかかってくる。いいなぁ、楽しそうだなぁと思って聞きながら、母はウン十年前の自分の時のことを思い出している。
福岡の高校を卒業してすぐ上京した18歳の私でさえ、バブルが弾ける前の東京は、浮かれきった自分を担ぎ上げて歓迎してくれているように思えた。女子大生ブーム真っ只中の横浜に飛び入った小娘、ワクワクヒューヒューな福岡からの上京だった。
ちょっと英語が好きなくらいでなんの資格も特技もなく、自分は何がしたいのか、何ができるかもわからなかった18歳の大神いずみ。
大学生である時間に私が「何某」であるかを知ることができるように、とにかくいろんなことに手やら足やらなんでも出してみよう!
本気でそう思って大学に入学した。
家庭教師に電話受付、アイスクリーム屋、競艇のイベントにアパレル店員、海外ロケ番組のレポーターやアイドル映画の端役など…長く続けるよりいろんなバイトをせっせとハシゴしていた。
これでもまだ足りない、まだまだ知らない世界があるはず、出会える人達がもっといるはずと、勉強そっちのけで「経験を積む」ことばっかり考えていたようなわたしだった。
でもそう言えばそれ以降今日に至るまで、あんなに自由に興味のままに自分で選んでいろんな経験ができたのは、あの4年間だけだったかもしれない。
就活の時、ほぼ資格や縁故のあてもない「素手」でいろんな会社を受けた際、やたらと
「わたしのこれまでの経験が、わたしの全財産です」と言ってのけて、ほぼ落ちまくっていたあの頃。売り手市場の時代に、だ。
そう言えるのもまた、「経験」かもしれない。
しっかり大学で何かを学んで欲しかった
大学に入ったというより、親から離れて自立するまでの、子どもとしての貴重な「ロスタイム」だと思っていたんだろうか、わたし。
あ、初めてサッカー用語を使ってみました(^_^)v。
いま親の立場になってみたら、そんな都合のいい考えで学費仕送り出させて大学に行ったのか、と腹立たしい。こら!ちゃんと勉強せんか!
親はしっかり大学で何かを学んで欲しかったのだと、今なら本当にわかります。すんばせん。
言うまでもなくそんなわたし、大学の履修単位を楽々取得していったわけではない。かなぁり大変な思いをした。4年生のとき一般教養の「体育」の単位を下級生と一緒に履修していたとだけ、ここには書いておこう。
そんな時代を高い高いお立ち台に立って謳歌していた4年間。(あ、ジュリアナという意味ではなく。あの格好が苦手で一度も行ったことはなかった。一度くらい行っとけばよかったと後悔。なんでも後から人に語れる経験って、大事大事)
あまり勉強に熱心ではなかったが、入学した時たしかに、
「ここから4年間、ありがとうございまーーす!」
そう思って大学生活をスタートさせていた。
そんなわたしが、だ。
長男が履修科目を選択する傍ら、教職課程を履修させるか迷っていた。息子が、部活動もあってスケジュールが相当タイトになりそうだと悩んでいた時、わたしはやや声高に電話口で彼を説得していた。
「教職はぜひとったほうがいいよ。将来きっとあなたの役に立つから。絶対とったほうがいいよ!」
どの口がそれを言う、である。
親になって初めてわかったこと
いま私は親として「是非」などと勧めているが、
自分は大学のとき必要な単位を「必要最低限」修めることに全力を傾けて課外活動ばかりしていたのだ。
36年後の私はすっかりそのことを箱にしまって人生の袋棚の奥の奥に放り上げてしまっている。
親になって初めてわかったことはたくさんあるけれど、実は親になってすっかり忘れてしまったこともたくさんあるんだということに、今週私は初めて気がついた。(今週かい!?)
もし今あの頃に戻ることができて、大学に入学したばかりの18歳・いずみにおばちゃん・いずみが
「教職課程、とったほうがいいよ」と勧めることができたとしても…
「はーい、大丈夫でーす」
相当めんどくさそうに金言をスルーするに違いない、わたくし大神いずみ。
実はそんなところは、いくつになろうとわたし自身が一番わかっているのである。
んん。今日はなんだかややこしいな。
次男・瑛介はこの春、中学2年生。
ぎょっ。いわゆる「中2病」のオフィシャルエントリーか!?
いえ、もうかなり前から「中2病」の症状は始まっています。
最近日に日にラップにはまっていく、瑛介。野球の行き帰り、学校から帰ってきてから家で過ごすほとんどの時間を、ヘッドホンで音楽を聴いて過ごしている。
YO!だ、Yeah!だ、Nnn!だよくわからない合いの手を入れつつたたみ込む言葉の連打、韻を重ねてHO〜!!どうだおれのバース、見たかオレのセンス、YEAHーーー!!!
…みたいな。わからない者が簡単に語ってはいけない気がするのでこの辺でやめておきます。
これを対決式に競い合う「ラップバトル」なるものに心酔している息子。
子どもだけでライブに行くのなんてまだ早い
音楽の好みは食やファッションと同じで、誰にも制限されたりとやかく言われる筋合いはない、というのがわたしの信条だ。
なので野球や勉強、今日するべきことを全て終えたらいくらでもどうぞ。それが我が家のルール。
最近は少々野球で厳しいことを父親から言われる時こそ、逃げ込むようにヘッドホン片耳外してラップを聴いている瑛介。両耳で聴いてしまうと父の不規則な問いかけに返事が遅れてしまい、父の大噴火が起こりかねないからだ。
反抗期あるある。母も気が気ではない。
夜の平日練習の時見上げた葉桜。もう桜の季節は終わっちゃいましたね…まもなく!鮮やかな緑の季節です。
そんな瑛介が、最近ラップのライブに行きたいと言い出した。
同い年の友達がそろそろ行くようになっているらしく、羨ましそうに友達の話をわたしに聞かせる瑛介。
横浜アリーナや日本武道館、ラップバトルの行われる会場の横を通るだけでヒヤッヒャと興奮するようになった。
「今度武道館であるラップバトル、友達といっしょに行っていい?」
「いい?」くらいのところに被せるように
「ダメです」
わたしは答えた。
あーだからこーだから、と理由を並べるまでもなく、当たり前だけど
「子どもだけでライブに行くのなんてまだ早い」
地獄のような光景が頭を支配
電車も調べないとまだちゃんと乗れない、指示したことの半分以上聞いていない時がある、お金の管理が甘くて狙われやすいであろうまだ中学生の我が息子。彼がラップの会場に集まってくる大観衆に紛れて決して無事であるはずがないであろう「地獄のような光景」がすっかりわたしの頭を支配していた。
たとえば行き先がディズニーランドでも、反対するのか、わたし?
確かにたとえ行く先が遊園地でも、実はまだ心配だ。けれど遊園地に子ども同士だけで行かせる年齢は、年々下がっているような気がする。
子ども同士が約束してきても家庭ごとにお許しがいただけるかどうかはさまざま。結局まだ我が家は子どもだけで行かせたことはない。
(ちなみに兄は大阪に出して一人暮らしをさせたところで、あれこれルールを言い渡しても守っていたかどうかは…不明)
きっと「何か起こった時、どうするか?」を考えた時、必ず親が駆けつけられる保証がない限り、子どもたちだけで解決できる可能性は低い。だから心配なんだと思うが、子どもたちにしてみれば
「なんで?野球でいつも一人で電車に乗ってるのに何が心配なの?」
いや、野球に行ってるときも実はまだ心配なんだが。
推しのアマチュアバンドを追いかけて
ましてやこのたび、ライブ会場だ!
ごった返す血気盛んな観衆の中に放たれる我が息子…
勢いの中でお財布がポケットから滑り落ちている様しか想像つかないのである。
‥なぁんて話を、
久しぶりに連絡した福岡の友達にしていた。
すると友達はよほど驚いたようなスタンプを返してきて、
「いずみがライブに行くなって子どもに言うとか、ありえんやろ」
「あんた親に黙って一番ライブ行っとったやん。よくもまあ、今になって子どもに反対できるよね」
大学3年の時。ワンレン全身真っ黒な装いが基本。なぜタンバリンをクビにかけているのか思い出せない…
それ高校の時な!
‥いやしかし親に黙って行っていたのは、そうです、本当です。いひ。すんばせん。
時代はバンドブームの走りの頃。
推しのアマチュアバンドを追いかけて楽屋口で出待ちしていた、いずみ16歳。
誰にでも親に言えないことの1つや2つ、ありましょうよ…
ということは、今息子たちがわたしに言えないことの1つや2つ、大いにあるということだ!
‥ということに、わたしはつい先週気がついたのでした。先週て!?
ちなみにわたしが人生初のライブを観に行ったのは、中2の12月。YMOの散開(解散)ライブだった。
誰よりも憧れていた坂本龍一さんに一目会いたくて、両親に拝み倒し額を床に擦り付けて頼み、なんとか許してもらって行ったライブだった。
子どもを手放していく時
一生記憶が色褪せることはない。40年経ってもまだ繰り返し観て感動が冷めないライブ。
奇しくもいま瑛介の歳で観たあの時を思い出して、一生の宝物を大切に大切に抱えている自分に気がついた。
そのわたしが、どうしたものか息子のここ一番のお願いを真っ向から却下している。
親ってホントに、ズルいと言われても仕方ない。
パーティの司会をよくしていた頃。「盛り上げ芸」はこの時に培ったのか。まさかこのままマイクを握る仕事につこうとは…
いつからいろんなことを忘れてしまったのかな、と考えることがある。
大人は一通り子どもを通り越してきたのなら、子どもの頃の気持ちも覚えているはずなのに。
いつのまにか頭ごなしに「ダメです!」な親になってしまったことが、恥ずかしいようなザンネンなような、複雑な気持ちになってしまった。
立場が変わると感じるものも変わるのかもしれない。
でも一度でもその経験があって知っているのなら、
「ああ、そうそう、そうだよね。それわかるよ」
目の高さを同じにして話をしたり、一緒に考えたりすることに奇をてらわない親でいられたらな、と…
少し首を垂れて反省する大神なのでした。
いつのまにかわたしの背を追い越して、よく見ればわたしより屈強な体格から擦り手で拝み倒してくる中2・瑛介。こんな図体のデカい息子を、まだディズニーランドにも親なしで行かせたことがないのだ。
1つ1つ、信じて子どもを手放していく時が来たのかもしれないな。
ライブ、
お母さんも一緒に行こうかな!
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