実家で母と2人暮らし。61年間、一度も独り暮らしをしたことはない。「実家だから老後の家は安泰」とも限らない

2024年4月19日(金)12時30分 婦人公論.jp


写真提供◎photoAC

昨年は、モトザワ自身が、老後の家を買えるのか、体当たりの体験ルポを書きました。その連載がこのほど、『老後の家がありません』(中央公論新社)として発売されました!(パチパチ) 57歳(もう58歳になっちゃいましたが)、フリーランス、夫なし、子なし、低収入、という悪条件でも、マンションが買えるのか? ローンはつきそうだ——という話でしたが、では、ほかの同世代の女性たちはどうしているのでしょう。今まで自分で働いて自分の食い扶持を稼いできた独身女性たちは、定年後の住まいをどう考えているのでしょう。それぞれ個別の事情もあるでしょう。「老後の住まい問題」について、1人ずつ聞き取って、ご紹介していきます。

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還暦前に終活を。荷物を減らし住まいを小さく、VIO脱毛も始めた栄子さん。老後は「お金がないなら、身の丈に合った暮らしを」はこちら

老後の心配は、同居の親を見送ってから


独身のまま還暦を迎えた女性には、ずっと実家住まいの人も少なくないでしょう。20年ほど前には「パラサイト・シングル」と揶揄されたものです。

当時は経済的にも、家事など生活面でも、親におんぶにだっこ、親の庇護下でしたが、還暦ともなると、関係性はすでに逆転しています。老境の親には頼るどころか頼られていて、生活面でも精神面でも、子は親を日常的に支える庇護者になっています。

そうなると、親を看取るまでは、自分の老後のことなんて考えられません。東北在住の会社員、文枝さん(仮名、61)は、そんな1人です。独りで迎える自分の老後の心配は、同居の親を見送ってからと、後回しにしています。

文枝さんはいま、6LDKの広い一戸建てに、母(88)と2人暮らし。県庁所在地の中心部に近い住宅街に、40年以上前に父が建てた2階建てです。

地方には珍しく、スーパーもコンビニも病院もバス停も徒歩圏内という好立地。文枝さんは車通勤していますが、いずれ車を手放しても生活には便利でしょう。いま母が1階の3部屋を使い、2階の3部屋はすべて文枝さんが使っています。

「モノが多いんですよね〜。母は、使えるものは捨てられない、っていう人で。押し入れの中とか、布団や引き出物なんかであふれていて」

かつては両親と兄(64)の4人で住んでいた家です。兄が大学進学で上京した後に父が単身赴任になり、母1人を実家に残すのは不経済だからと、文枝さんは県外への進学を断念。独り暮らしのタイミングも逸してしまいました。結局、61年間、一度も独り暮らしをしたことはありません。

若い時に重い病気をして将来が見通せなかったため、文枝さんは結婚も出産も最初から諦めていました。働いて自分を養うつもりでしたが、地元の短大を卒業した頃は就職氷河期でした。

地方で女性は、就職は超狭き門。なんとかコネで県庁の臨時職員になりましたが、単年度採用で、3年までしかいられません。人づてで建設会社の正社員に移り、15年働きました。

70歳まで働くなんて長すぎる


でも今度は業績悪化によるリストラで、事務職の誰かが辞めなければいけないことに。文枝さんは後輩に席を譲り、自らが退職しました。しばらく失業手当で暮らした後、通販会社の営業を経て、いま働く地元企業に正社員で転職しました。41歳の時でした。

それからちょうど20年。パソコンが使えたので事務職採用でしたが、建設会社時代のスキルと経験を生かして、ガタガタだった社内手続きなどを整備。人当たりの良さから営業にも駆り出され、いま営業部の課長です。

業務内容は、ビルの清掃や維持管理など。定年は70歳。まだ9年ありますが、「64歳11ヵ月で辞めて失業手当をもらうのが、一番お得」という話を聞きました。あと3年です。実際に何歳まで勤めるか、いつ辞めるか、考えているところです。

「60代後半の社員もいますけど、若い子が10分で出来ることが半日かかったりする。事務職で何十年も会社にしがみついて、老害にはなりたくない。それに、70歳まで働くと、いざ定年ってなった時に足腰がダメになってて、旅行にも行けないかも。体が元気なうちに、やりたいことをしたいですし」

定年後はどんな計画を? 文枝さんは、「まず旅行」と挙げます。もともと旅行好きの文枝さん。国内では、まだ行ったことのない四国に行きたいし、九州も魅力的。海外ももちろん行きたいです。

特にスペインのサグラダ・ファミリアは絶対見たい。「よぼよぼになってからじゃ、サグラダ・ファミリアに登るのは大変でしょう? きっと楽しくないでしょ」と、楽しそうに話します。体が動くうちに老後を楽しむのなら、70歳まで働くなんて長すぎる、「仕事してる場合じゃないでしょう!」と言います。


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でも、旅行をするにも資金が要るのでは? 「お金はなんとかなるかも。この3、4年、コロナで出掛けてなかったから、貯めるよりも減らなくて。旅行の代わりに、美味しい物を食べには行ってますけど」。

母は父の遺族年金で暮らしているので、文枝さんが実家に入れるお金は少しで済みます。地方の所得水準は東京より低いとはいえ、実家住まいだと、自由になるお金に余裕があるようです。働いて得た稼ぎの多くが住居費に消えてしまう東京の賃貸生活のほうが、異常なのかもしれませんが。

受給額の低さにがっかり


文枝さん、投資は? 「してません。よく分からなくて」。周囲でも新NISAの噂は聞きますが、自身ではまだ何もしていません。「親が元気だから今は好きにできますけど、母も兄も亡くなって私1人になったら、今よりもっとシビアになるでしょうね……。自分の先々のことも考えないといけないんだろうな、とは思います」

年金について考えると、さすがにちょっと心配です。厚労省から送付されてくる「ねんきん定期便」を見ると、「これだけ働いてきて、これだけか〜」と、受給額の低さにがっかりしてしまいます。

20歳から40年間ずっと働き、国民年金も40年間かけてきました。それでも年金の受給予定額は多くありません。会社の男性社員が、「地方は物価も安いけど賃金も安い。年金で手取り20万円をもらおうと思ったら、年収700万円で40年掛けないといけないから、ここじゃ無理だ」と嘆いていました。

男性ですら無理なら、女性はなおさらです。「今は給料があるからいいですけど、退職したら月々いくら入るか、計算してみなくちゃ」

幸い、以前15年勤めた建設会社には、企業年金基金(年金の3階建て部分)があります。月々数万円としても、プラスαがあるのは助かります。さらに文枝さんは当時、ゆうちょの10年確定個人年金にも入っていました。

1990年代はまだ、生命保険は「家族を養う男性のもの」という意識が強く、高額の終身保険や個人年金保険に入る女性は多くありませんでした。

でも、転ばぬ先の杖。生保レディーに「個人年金はやりなさい。銀行の定期預金と同じで、積み立てておくだけだから」と勧められるまま入ったのですが、おかげで、文枝さんは60歳から個人年金を受け取っています。70歳までもらえます。「個人年金は、やっといて良かったです。お金はあっても困りませんもんねえ〜」

目下最大の懸念材料は母


もちろん終身保険にも入っています。「結婚は向かないと思っていたので。する気もなかったし」、こちらも勧められて20代で入りました。ただ、転職後に、知り合いに頼まれて別の終身保険に入り直すため、解約してしまいました。

「今考えるともったいないですよね〜。昔の保険は利率が良かったから」。いま入っている終身保険は、掛け捨てのような、介護保険やがん保険などの特約が厚めについたタイプです。「結婚しないなら、死んだ後に保険金が出ても意味がない。葬儀代の100万円だけあればいい」と思ったからです。

でも、特約は5年ごと見直しで、年を取るほど保険料は上がります。同世代の女友達が県民共済で病気や介護に備えていると聞き、県民共済に掛け替えたほうがお得かしらと、いま思案しているところです。

文枝さんの場合、目下最大の懸念材料は、同居している母です。かつては父の役割だった“大黒柱”は、いまは文枝さんが担っています。食事は母が作ってくれます。肉や魚を焼くといった簡単な料理ですが。

文枝さんが夜に友達と予定がある時はカレンダーに書いておくと、母は1人で勝手に夕食を済ませます。主婦の仕事に慣れているせいか、独りにしても文句は言われません。互いに独りで過ごすことが好きなので、過干渉はされません。それが同居人との余計な衝突を回避するコツでもあります。

一方で、車を出すのは文枝さんの仕事です。母に頼まれて、病院や買い物、友達との外出時の送迎をします。近くで独り暮らしをしている兄からは、定年後は自分も母の送迎をすると言われていますが、あてにはしていません。

時折、兄が週末に遊びに来ると、母は張り切ります。自分のお金で大量に高級な食材を買ってきて、兄の好物を作ります。息子が娘よりかわいいのは、終生変わらない女親の習性かもしれません。

実家でずっと面倒を見たい


ほかにも母は、同世代の女友達や親類らと、健康麻雀をしたり、日帰り温泉に出かけたりもします。そんなふうに活発で、認知症でもありませんが、年々、母の心配ごとは増えています。

先日は、ふと気付くと、下駄箱にしまっておいた文枝さんの高級ブランド靴が2足、消えていました。アルマーニとフェラガモです。「お母さん、あたしの靴、どうしたの」。問い詰めても、母は、「知らない」の一点張りです。

兄も来て調べたところ、押し入れにしまってあった蛇腹式の年代もののカメラもなくなっていました。カメラ愛好家だった父の遺品で、おそらくは値打ちものだったのに。

自宅は、国道からも近く、飛び込みの業者が営業に来ることがあります。母はきっと、飛び込みで訪れた「高額買い取り」を謳うリサイクル業者を家に上げ、家探しをさせて、金目のものを二束三文で売ってしまったのでしょう。数千円程度のお小遣いになったと、喜んでいるに違いありません。

文枝さんは母に、「私がいない間に、勝手に知らない人を家に上げないで。業者に売らないで」と叱りました。でも母はまったく懲りてなさそうで、どっと疲れました。

今はまだこんな喧嘩ができるほど元気ですが、いずれ母はもっと衰えるでしょう。それでも実家でずっと面倒を見たいと、文枝さんは思っています。

仕事柄、顧客の介護施設に行くこともありますが、どんなにきれいでも、施設は施設、家ではないと思うからです。「やっぱり家のほうがいいですよね」。最期は自宅で死なせてあげたいし、自分も自宅で死ねたらいいなと思います。

すっきり暮らしたい


ところで、2階建ての家は、老後、文枝さんが独り暮らしになった時には、大きすぎて維持をするのも大変そうです。文枝さん自身の、老後の住まい計画は? 文枝さんは、母を見送った後の夢物語と断って、「平屋に建て替えるの、良いですよね」と話します。

親を看取った女友達が最近、親と同居していた実家を平屋に建て直しました。平屋は移動も楽そうで、老後も住みやすそうに見えました。運転免許を返納したら車も手放すでしょうから、車庫も要らなくなります。車庫と2階を潰して平屋に建て替えて、部屋もモノも減らしてすっきり暮らしたい、と文枝さんは夢見ます。


『老後の家がありません』(著:元沢賀南子/中央公論新社)

ただし問題があります。実家は、いまは兄の所有物で、建て替えるなら兄の許可が要るのです。父が14年前に亡くなった時、文枝さんは相続を放棄し、土地・建物とも兄が相続したからです。

固定資産税も兄が負担しています。兄も独身。公務員で、転勤族のため、ずっと独り暮らしです。来春に定年を迎えますが、その後も実家に戻る気はなさそうで、近くに家を買って住んでいます。

兄には、「そっちの家と実家と交換しようよ。私がそっちに住むから、実家に住まない?」と提案しましたが、イエスとは言いません。大きすぎる実家は、兄も持て余すようです。

ならば、いっそ実家を売って、マンションに買い換えたほうがすっきりするのでは? 文枝さんは、そうなんですけれど、と言った後で、実家の土地にこだわる理由を教えてくれました。

自分が亡くなったら、そこで終わり


「飼っていた猫の、お墓を作っちゃったんです」。父の他界した翌年の2011年に、愛猫が21歳で天国に行きました。ずっとかわいがってきた猫は、居間のソファの上で事切れました。「心にぽっかり穴が開く、というか……」。文枝さんはペットロスになり、いまも他の犬猫を飼うことは考えられません。


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愛猫が眠る土地を、文枝さんは離れられないと言います。「猫を置いていきたくないんです」。だから、買い換えではなく、できれば同じ土地で建て替えたいのだそうです。

お墓のことも、実は気になっています。先祖代々の墓は遠方にあるため、父が生前、近所の墓所を買いました。いまは初代の父だけが入っていますが、いずれ母と兄も入るでしょう。

でも、自分が亡くなったら、そこで終わりです。あとは誰が面倒を見てくれるでしょう。どこかのタイミングで永代供養を頼むべきなのか。墓じまいをした女友達がいるので、話を聞きたいと思っています。

一方で、仲良しのいとこが墓守をしてくれると言うので、任せちゃおうかとも思います。急ぐ話でもないので、結局、いまだ手を付けていません。

老後の家や墓をどうするかはさておき、「断捨離はもう始めないといけないと思っています」と、文枝さんは言います。会社でビルの管理・清掃を任されている関係で、顧客から住宅の「遺品整理」業務を依頼されることがあるからです。

継ぐ人のない物品はゴミになる


大きな一戸建てを片付けた時のことです。文枝さんも現場に行きました。空き家の多い住宅街に、老夫婦が2人で住んでいました。子どもは県外在住で、親の死後も、県内には戻らないそうです。

貴重品だけを持ち出した子どもに、「あとはお任せします」と言われました。アルバムなど思い出の品もありましたが、すべてが「ゴミ」になりました。見ていて悲しくなりました。仕事だと割り切って処分しました。

先日は、3LDKのマンションを整理しました。「すべてお任せ」との発注で、県外在住の子どもは片付けに立ち会いませんでした。部屋には、老夫婦の生活の痕跡がそのまま残っていました。夫の位牌がある部屋で、老妻は布団で亡くなったそうです。

すごく大量の布団や、花器や食器など、家財道具もたくさんありました。もしかしたら子どもたちが帰ってきた時のために取ってあったのかもしれません。目利きならば遺品を選り分けられたかもしれません。でも、興味のない者には価値は分かりません。全部、ゴミとして捨てるしかありませんでした。

そんな現場を見るにつけ、我が身を振り返ってしまいます。「子どもがいる人は、子どもに引き継ぐんでしょうけど、私みたいに独り身だと、自分で処分しなくちゃいけないなあ、と……」。継ぐ人のない物品はゴミになります。

文枝さんは遺品整理に立ち会うたび、自分も、持ち物を減らさなくてはと痛感しています。買うだけ買って袖も通していない服や、箱に入ったままの贈答品のタオルなど、使えそうな新品は、仕事で知り合った海外からの技能実習生にあげています。「使ってくれる人がいるだけありがたいです」

そもそもは、つい「大人買い」してしまう習性を改めないといけないんですけれど、と文枝さんは苦笑します。かわいい服が好きで、ブティックで目にすると、「かわいい〜」と、つい買ってしまいます。

しかも色違いで気に入ると、別色も「大人買い」。そのうえ買ったら満足してしまい、ほとんどはそのまま「タンスの肥やし」になっています。おかげで自室として使っている2階の3部屋すべて、荷物でぱんぱんです。「汚部屋です。捨てればいいのに、モノが多いんですよね〜」。モノであふれている母のことを笑えません。

女性たちの「転ばぬ先の杖」


「少しずつでも片付けないと。もう、モノを買うのではなく、片付けないといけない年齢だと感じています。これからは、旅行したり、おいしいものを食べたりするだけにして、あとはシンプルに暮らしたいです」。

モノの所有より体験を重視するという、文枝さんが目指す暮らし方は、「モノ消費からコト消費へ」という現代の価値観とも符合します。その心構えは、こころ豊かな老後を暮らすヒントになりそうです。

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「同居の親の看取りがあるから、自分の老後は後回し」という「家付き娘」は、少なくないでしょう。地方でも東京でも、実家なら月々の住居費は抑えられ、持ち家なら「老後の家」も確保できます。家賃やローンに苦しんでいる単身世帯のシングル女性からすれば羨ましい限りです。

でも、「実家だから老後の家は安泰」とも限りません。親の介護費のため家を売るかもしれませんし、相続できょうだいと揉めるかもしれません。ですから、「家&親付きシングル女性」たちには、住居費が掛からない今のうちに、貯蓄や投資に励むことをお勧めします。

将来何が起きても困らないように、老後に使える資金を増やしておくこと。それが「自分のことは後回し」になっている親孝行なシングル女性たちの「転ばぬ先の杖」になると、モトザワは思います。文枝さんも言った通り、「お金はあっても困りません」から。

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