「迷惑行為」の犯人と疑われ、自宅に向けて設置された5台の防犯カメラ。勝手な撮影は許されるのか…撤去を求めた裁判の行方は

2025年4月25日(金)6時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

「この国で各地の地裁に起こされた民事訴訟は年間14万件、起訴された刑事事件は6万件。そのうちニュースとして報道されるのは、ごくごくわずかな一部にすぎません」と語るのは、日本経済新聞電子版の「揺れた天秤〜法廷から〜」を連載した「揺れた天秤」取材班。そこで今回は、この大好評連載をまとめた書籍『まさか私がクビですか? ── なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』より一部を抜粋し、<学びになるリーガル・ノンフィクション>をお届けします。

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勝手な撮影は許されるのか


一軒家が並び立つ東京23区内の閑静な住宅街。2020年11月のある日、夫は私道を隔てた隣の家に4台の真新しい防犯カメラが取り付けられていることに気がついた。

うち何台かは自宅を向いているように見える。この隣家に住む女性に2カ月ほど前、「話がある」と呼び止められたことを思い出した。

「家の周りに油をまかれている。被害届を出していいですか」と非難されたものの身に覚えがない。在宅勤務のさなかだったこともあり「出せばいいのでは」と素っ気なく応じると「わかりました、出しますから」と激高しながら告げられた。

このとき以来、女性が我が家をにらみ付ける姿をたびたび目撃するようになっていた。カメラは2週間後にも追加され、計5台による常時記録が始まった。

「常に軟禁されている感覚」


24時間カメラを向けられる生活に夫婦は追い込まれていく。バルコニーで趣味の家庭菜園もできなくなった妻は次第に不眠などの症状が表れ、精神科クリニックに通院。警察に相談すると、家全体を映していた1台は撤去されたが、監視はなお続いた。夫婦はプライバシー侵害だとして自宅に向けられたカメラの撤去などを求めて提訴した。

「大げさでなく常に軟禁されている感覚」。夫は法廷で日々の暮らしをそう表現し「何とか私たちを犯人に仕立て上げようとする悪意と執念に満ちている」と批判した。妻は「この先もずっと続くのかと思うと恐怖で息苦しくなる」と吐露した。


『まさか私がクビですか? ── なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』(著:日本経済新聞「揺れた天秤」取材班/日経BP)

判例は「人はみだりに容貌を撮影されない法律上保護された人格的利益がある」とする。撮影が違法になるかどうかは目的や範囲、必要性などを踏まえ、利益の侵害が社会生活上受忍できる限度を超えるか否かが分かれ目となる。今回のようなカメラの設置も、目的などに正当性が認められれば合法とされる場合がある。

女性側は訴訟で、生命や財産を守る上でやむを得ず、設置は違法ではないと反論した。この地区では数年前から路上に液体や生魚が散らばる異変が目立っていた。女性の家も20年9月ごろから、油のようなものをまかれる被害に遭っていた。

設置の目的は、異物をまく犯人を特定するための証拠収集だった。実際、被害が発生した時間帯の映像には毎回のように夫婦の家の2階バルコニーで身をかがめる妻の姿が映っていた。女性は夫婦の妻がそのとき遠隔で異物をまいていた可能性があるとして、夫婦を疑って撮影を続ける根拠があると主張した。

夫婦のしわざと考えていたのは実は女性だけではない。女性側が証拠として提出したのは近所の住人の陳述書だ。この住人は、被害が起きたのは決まって自分の子どもが騒いだ翌日だったと説明した。過去に騒音について苦情を言ってきたことがある夫婦を「最も疑っていた」と明かした。

「猫好きのおばさん」もいた


他方、夫婦側も別の住民の陳述書で対抗した。それによると、この地区では周辺に住む「猫好きのおばさん」が生魚を細かく切った餌などをまき、野良猫が食い散らかすことが過去にあったという。「複数の防犯カメラで監視し続けることはやりすぎといわざるを得ない」とその住民。裁判は、夫婦と女性以外の近隣住人を巻き込んだ地域内の紛争に発展する。

23年5月、東京地裁は判決を言い渡した。地裁は被害時刻にバルコニーに妻の姿が映る事態が多数回あったことを認め「被害の原因が夫婦らにあると疑う理由がないとは言いがたい」と女性側の言い分に一定の理解を示した。

ただ、実際に異物をまく動作は映っておらず、身をかがめたまま被害を生じさせるのは「物理的に困難に見える」とも指摘。事実確認のため、最後の被害から1カ月程度の撮影は正当化できるが、その後の撮影は違法だと判断した。夫婦の自宅が撮影範囲に入るカメラの撤去を命じた上で、今後は同様の位置に設置することも禁じた。

いわゆる「ご近所トラブル」は近年、顕在化している。22年に全国の警察が取り扱った相談のうち、ゴミ出しや騒音などを含む「家庭・職場・近隣関係」は約29万2千件。18年(約25万2千件)から4万件ほども増えた。新型コロナウイルスによる在宅勤務の増加などが背景にあると見られる。

“真犯人”は明らかにならず


近隣同士仲良く和気あいあいとできるようにという願いを込めてお話しします─。「猫好きのおばさん」による可能性を挙げた男性は、陳述書の冒頭にその一文を記していた。

その思いも手伝ったのか、女性側は控訴せずに一審判決を受け入れ、法廷での争いは長引かずに終結した。不和を引き起こした被害の真相は明らかにならなかった。


<『まさか私がクビですか? ── なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』より>

プライバシーを侵すカメラは取り外されたが、他人をいぶかる人間の目はレンズよりも厄介だ。夫婦や女性が居を構える一角の住人らは疑心暗鬼を乗り越え、平穏な日常を取り戻すことができただろうか。

※本稿は、『まさか私がクビですか? ── なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』(日経BP)の一部を再編集したものです。

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