山本リンダが放つ“怪光”の目撃者に起こる奇跡とは!? 超絶開運、瞬速充電、時間停止… 元芸能カメラマンは見た!

2022年4月24日(日)9時0分 tocana

——数々の伝説的芸能人と交流し、知られざる姿を目撃してきたカメラマン「YAHIMONときはる」が今明かす真実!


 山本リンダさんのデビュー55周年記念曲「明日への翼」が、元気になれる楽曲として注目されている。元芸能カメラマンである筆者は、かつて山本リンダさんから直接不思議な力をいただいた経験がある。今回、トカナ読者だけに打ち明けたいと思う。


■光なる存在、山本リンダ


 2014年の春、とある日曜日。70年代のポップスを聴きながらジョギングをしていた筆者だが、ちょうど山本リンダさんの「奇跡の歌」(1974)が流れていた時だった。筆者の横を、スポーティーなサンバイザーを被った女性が自転車で颯爽と通過したのだが、その時に後輪が跳ね上げた白い石が、光りながら筆者に飛んできた。


 思わず右手で、白い石をキャッチした筆者だが、走り去る女性の横顔を見て驚きを隠せなかった。なんと自転車に乗った女性は山本リンダさんご本人だったのだ。遠ざかるリンダさんの神々しい後ろ姿にしばらく見とれていたが、ふと、キャッチした白い石を見てさらに驚いた。なんと、石が見たこともない強烈な光を発していたのだ。帰宅後、その不思議な石をリビングで大切に育てている観葉植物の土の上に置いた。


 翌週の日曜日。1週間前に山本リンダさんを見かけた同時刻にインターホンが鳴った。「自転車のお届けです」と、配達員の男性が玄関に運び入れたのは、高級な電動機付き自転車だった。


 筆者はその時、長年愛用していた自転車が壊れてしまい、新しい自転車を買う前にダメ元で清涼飲料の懸賞に応募していたのだった。筆者は元来くじ引き運がまったくない人間なので、これは山本リンダさんのパワーが入った幸運の石のお陰であると直感した。



■山本リンダが放つ凄まじいエネルギー


 3年後の2017年、10月の日曜日。この年、ある人物から実力派シャンソン歌手のステージ撮影を依頼された。キャパは約1,000人のホールだったが、なんとメインゲストが山本リンダさんだった。リンダさんが歌われるシャンソンやバラードは、音楽関係者からも高く評価されているのだ。


 リハーサルからステージを撮影していると、なぜか一眼レフのバッテリーが普段より異常に早いスピードで減っていることに気づいた。本番に向けて不安を覚えた筆者は、念のため会場内のコンセントを使わせていただき予備のバッテリーを充電しておくことにした。通常、バッテリー充電は3時間程かかるため、本番開始ギリギリに完了する計算だった。


 リハーサル撮影に戻ると、ちょうどメインゲストの山本リンダさんが私服で音会わせをしている。その左側ではスタッフが、リンダさんの本番用衣装(の純白ショール)を手に持ち、照明リハーサルも同時に行われていた。リハーサル中のリンダさんは、強烈な光を、まるで体の内側から放っているように輝いて見えた。しかもその光は、3年前にリンダさんが自転車の後輪で跳ね上げた、あの石を思い起こさせる輝きだった。


 そしてリハ終了の20分後、筆者はバッテリーの充電具合を確認しに行った。すると、なんとバッテリーはすでにフル充電されているではないか! 充電を始めてから僅か20分ほどである。あり得ない奇跡に困惑しながらも、本番の撮影を無事にこなすことができた。



■山本リンダは“奇跡の時間”を与えたもうた


 公演終了後、リンダさんにご挨拶をしてから会場を後にしようと思った筆者。楽屋近くまで行くと、廊下でリンダさんのマネージャーが優しく「今、山本に電話が入ったので少しお待ち下さい」と言う。指示通りに廊下にいたところ、別の楽屋から一人の男性が出てきた。それは、3年前から仕事で繋がりのあったシャンソン歌手の高木椋太さんだった。


 この高木さんは、2016年に筆者があるトラブルに遭遇した際に励まし、生きる力をくださった方でもある。久しぶりの再会に嬉しくなり、高木さんと筆者はずいぶん話し込んでいた。どれくらい時間が経っただろうか。近況を何もかも伝え合い、さすがにもう話すこともなくなり、ふと山本リンダさんはまだかなと思ったその瞬間、マネージャーから「どうぞ」と声をかけられた。



 高木さんに挨拶を済ませてから、リンダさんの楽屋にお邪魔した瞬間、眼の前が真っ白になるほど強烈な光が楽屋に満ちていることに気づいた。まるで太陽のような光が、山本リンダさんから放たれているのだ。直視できないほどのまばゆい光に目が眩みながらも、なんとか山本リンダさんにご挨拶すると、


「今日は、この会場に来ていただけて良かったわ、素敵なお写真を撮影して下さって、ありがとう。今日のこの日を忘れないでいてください」


とのお言葉をいただいた。まるでそれは、天界から響くような声であった。そしてこのお言葉を聞いた筆者の中で、何かが変わったことを覚えている。今考えてみると、この日を最後に筆者はステージ撮影の仕事から遠ざかっている。ある意味、理屈を超えた究極形に触れたのか、これ以上のものはないのだと全身で悟ってしまったからかもしれない。


 しかもこの日、楽屋前での会話が、筆者と高木さんとの最後の会話になってしまった。2020年5月2日、新型コロナウィルス感染症により高木さんは58歳の若さで他界されたのだ。多くの方から愛された高木さん。高校の同級生だったという脳科学者の茂木健一郎さんもブログで哀しみを綴られていた。筆者にはこの時、ようやく「今日のこの日を忘れないでいてください」という山本リンダさんの言葉の意味がわかった。


 それにしてもあの日、山本リンダさんの楽屋前で、筆者と高木さんはとてつもなく長い時間をかけて雑談していたような気がする。今考えると、あり得ないほど長時間の雑談であった。あれはきっと、山本リンダさんの女神のような優しさと不思議な力が時間を止めてくれ、筆者と高木さんを心ゆくまで会話させてくれたとしか思えない。山本リンダさんから放たれる光が引き起こす奇跡に、心から感謝した筆者だった。

tocana

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